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6話 執事と誕生日
烏丸迦阿子はお気楽な性格であまり悩むことのない娘である。
それでも以前は悩み落ち込むこともあったのだが彼女に仕える執事、赤井翔太と共に暮らすようになってからは益々日々をのほほんと過ごしているように見える。
「はぁ……」
しかし、その日迦阿子は教室で悩ましげなため息を吐いていた。それを見て(珍しいこともあるものだ)と綾瀬美鈴は思った。だが、迦阿子も自分もまだ16歳。どれほど素晴らしい大人たちに囲まれようと悩みが尽きることなどない年頃だ。それに大人には話しにくいことだってあるだろう。そういう時は同い年の友人の出番である。そう思い美鈴は自分の机にカバンを置いてから、迦阿子のいる席へと近づく。
「おっはよ、カァちゃん」
明るく挨拶をする。ポイントは普段と変わらぬ態度。端から心配そうに話しかけたら誰だって心配をかけては申し訳ないと誤魔化してくるだろう。そうさせないためにも最初は普段通りの態度で接していくのがよい。
「え、あっ?み、美鈴!?お、おはよ」
目をパチクリさせながら迦阿子はそう挨拶を返してきた。どうも考えごとに没頭し美鈴が近づいてきたことにも気がついていなかった様子だ。これは深刻かもしれない。慎重に接しないとダメだな、と美鈴は気を引き締める。
「ところでカァちゃん、何か心配事でもあんの?」
どストレートに聞いた。
綾瀬美鈴、あどけない顔をしているが性格はかなり大雑把である。慎重に接しなければならないと思いつつもまどろっこしくなったらしい。慎重とはなんであったのか?
「へっ!?い、いや、別に悩みなんてナイッスヨ〜」
「ふーん」
迦阿子の答えに美鈴は疑わし気な目を向ける。
「ホント、ホント」
「ふーん」
美鈴のガラス玉みたいなくりくりとした瞳がジッと迦阿子を見つめる。
「あ、う……えーっと、や、やぁ、たしかに考え事はしてたけど大したことじゃないっすよ。別に美鈴が心配するようなことじゃないっす大丈夫、大丈夫」
「ふーん……ま、カァちゃんがそう言うなら信じるけどさ。でも、何かあったら私に言ってよね」
美鈴がそう言うと迦阿子はホッと息を吐いた。それを見た美鈴は(やっぱ何か隠してるなぁ)と思ったが黙っていた。本人が大丈夫と言うのだからそれを信じることにした、と言うのもあるがこれ以上突いても存外頑固なところがある迦阿子は喋らないだろうと思ったからだ。
「うん、わかったっす……ねぇ、美鈴」
「何?」
「ありがとね、心配してくれて」
素直か!と美鈴は内心でツッコむ。だが、その素直さが迦阿子の良いところであるのを彼女はよく知っている。だから微笑み「気にしないでよ」と答えたのだった。
「ふわぁ〜」
夕方。帰宅した迦阿子は自宅の居間にあるソファーで寝転びながら息を吐く。今朝方友人に『悩んでいるのではないか?』と問われた際には『ない』ときっぱり答えたのであるが、実際のところ迦阿子は大いに悩んでいた。
「うう〜ん」
一声唸りあれこれ考えるものの悩みに対する答えは見つからず迦阿子は頭を軽く掻いた。
「どうかされましたか、お嬢様?」
頭上から声が降り注ぎ迦阿子は仰ぎ見る。するとそこにはティーセットを乗せた盆を手に持った翔太の姿があった。
「ん?うーん、いや、ちょっと悩んでることがあってっすねぇ」
あっさり迦阿子は言った。それから執事が持ってきてくれた茶を飲むため体を起こすとソファーへと座り直す。
「左様でございますか。僕でよろしければお話を伺いますよ?」
「あー……」と一瞬迷う。しかし、このまま1人で悩んでいても埒があかぬと思ったのだろう。「じゃ、ちょっと聞いてくれます?」と言った。
「はい」
そう答えると翔太はテーブルを挟んで対面に置かれたソファーに腰を下ろす。
「……ねぇ、翔太。女の子を落とすためにはどんなプレゼントすればいいと思う?」
「何をおっしゃっているのですか?」
即答だった。執事の返事に迦阿子はしばし腕を組み考える。流石に伝え方がまずかったと思ったのだろう。
「あのっすね、実は来週あたしの友達が誕生日なんっすよ。それで喜んでもらうにはどんなプレゼントを贈ればいいのかなって」
最初に質問したときどれだけ要点を削って聞いたのだろうか?それでは伝わるはずなどない。しかし、迦阿子の言い直した質問を聞いた翔太は得心が言ったような顔をすると口を開く。
「月並みな返答ですが、それはお相手の方が喜ばれるものがよろしいかと存じます。ちなみにそのご友人はどのような方なのですか?」
「ああ、美鈴っすよ。綾瀬美鈴。家にも何度か遊びにきてるし翔太も知ってるよね?」
「綾瀬様でございますか。でしたら、僕もよく存じております。では、趣味のものを贈られてはいかがでしょうか?綾瀬様ならお嬢様とご趣味が共通されてますし……そうですね、同人作品などよろしいのではありませんか?先日もお二人でそうした作品をお買い物に行かれてましたよね?」
「え、あ、いや、それはちょっと……でも、喜んでくれるなら。や、でも……」
それは迦阿子がチラリとも考えなかった案であった。趣味人であるのに、と言うべきか趣味人であるからこそと言うべきか迦阿子はその案を完全に見落としていた。
翔太の提案を迦阿子は検討する。誕生プレゼントは相手が喜ぶものを贈るべきであろう。それは間違いない。だが、それを共通の趣味の品で賄うのはいかがなものか?そう思ったのだ。
迦阿子がここまで悩むのには2人の趣味が関係している。2人の趣味、それは少年向け商業作品の登場人物同士が行き過ぎた友情を育む類の作品であるからだ。しかし、この辺りの趣味は非常に繊細な問題がある。例え友人同士であっても解釈違いが生じると一瞬で血みどろの争いに変わる。だが、その点で言えば迦阿子と美鈴は『お前はあたしか!?』というほど趣味が被りに被り倒している。ゆえに解釈違いの悲劇は考慮しなくてよい。なんなら迦阿子が選んだ同人誌を受け取った美鈴が喜び、泣いて土下座する未来まで見えるくらいに趣味は共通しているのだが、それゆえ『なんか嫌!』と迦阿子は思ってしまうのだ。
迦阿子と美鈴が友人同士になったのは去年の夏頃の話だ。つまり、今回の美鈴の誕生日は迦阿子にとって初めて親友にプレゼントを贈るイベントになるわけである。だから、それに同人誌を贈るのはあまりに生々しすぎてどうなのだろうと思ってしまうのだ。ついでに言えば美鈴の趣味、翻って言えば迦阿子の趣味をコンプリートするにはR18な作品を手に入れる必要がある。2人ともその年齢に達していないのに、だ。
それは色々アウトだろう。
「いやー、やっぱりそれはまずい、かなぁ?」
主に年齢的な意味で。苦虫を噛み潰したような主人の顔を見た翔太はしばし考える。
「そうなりますと僕の意見ではあまり参考にならないかもかしれませんね。自分のことでお話しさせていただくと、贈っていただいて嬉しいものはコーヒー豆など消費できるものしか思いつきませんので。これはお嬢様方のようなお若い女性には味気ない提案でございましょう?」
「うん……」
迦阿子は頷く。しかし、翔太の言うことも理解できる。例えば化粧水など消えものを贈られたら迦阿子も嬉しいと思う。思うがやはりそれも何か違う。もっと何か形に残るものを、心に残るものをっと考えてしまうのは贅沢だろうか。
「あっざす、翔太。一緒に考えてくれて。あとは自分で考えてみるよ」
「申し訳ございません、お力になれず」
「ううん、いいっすよ。翔太のおかげで気づいたこともあるし十分ですって」
そう言ったのは別に気を使ったからではない。迦阿子の本音である。とはいえこれでまたふり出しに戻ってしまったわけだが。
煎れてもらった紅茶を一口喉に流し込む。美鈴の誕生日にはまだ時間がある。それまでにじっくり考えればよいのだ。焦ることはない。そう思い迦阿子は息を吐いた。そんな主人を見つめながら翔太は口を開く。
「こう申してはお為ごかしのように聞こえるかもしれませんが、綾瀬様はお幸せであられますね」
「幸せ?」
「はい、こんなにも自分のことを考えてくれる友人がいること。それはとても幸せなことだと思いませんか?」
翔太に言われ迦阿子は考える。もし美鈴が自分のために悩み、誕生日の贈り物を選んでくれたら、と。それはたしかにとても嬉しく、幸せな想像であった。
「そうっすね。うん、翔太の言う通りっす。でもね、知ってる?何をあげたら美鈴が喜んでくれるのかなって考えるのも同じくらい幸せなんっすよ!」
そう言って迦阿子は微笑む。それを見た翔太もまた微笑んだ。
「左様でございますね。では、僕にもその幸せをお裾分けしていただけませんか?プレゼントをお買い求めになる際はぜひ僕もご一緒させてください」
「もちろん!2人で選べばきっと1人で選ぶより、ずっと素敵なものが見つかるよ」
そして2人は声を揃えてあははと笑った。
後日、2人が選んだ誕生プレゼントを受け取った美鈴は大いに喜び、その場で迦阿子に抱きつき教室をどよめかせたのだった。
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