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7話 執事と針仕事
「翔太ぁ、翔太ぁ!」
と言う賑やかな声とドタバタやかましい足音が屋敷に響き渡った。
「なんでございましょう?」
声に応え、ヒョイと屋敷の一室から赤井翔太が姿を表した。その手には雑巾が握られている。どうやら部屋の掃除をしていたらしい。
「ねぇ、ねぇ、見て、見て!これどうっすか!?」
そう尋ねてきた迦阿子はフンス、フンスと鼻息荒く大分興奮した様子だ。見てみれば彼女は真新しいワンピースを着ている。どうやら、これを自慢しに来たらしい。
翔太は主人の姿をジッと見つめ微笑んだ。
「大変よくお似合いでございますよ」
迦阿子の顔がパァッと輝いた。
「でしょ、でしょ?いやー、頑張ってお小遣い貯めて買った甲斐があったっすねー」
言って迦阿子はその場で嬉しそうにスカートの裾を掴んでヒラヒラ踊ってみせた。その無邪気な様子を翔太は微笑ましそうに見つめながらも「あまりはしゃがれると危のうございますよ」と執事らしく注意することを忘れなかった。
「はーい。じゃ、翔太あたし出かけるね!」
「どちらへお出かけですか?よろしければお送りいたしますよ」
執事の提案に迦阿子はカラカラ笑って首を振る。
「あはは、ありがとう。でも、いいっすよ。すぐそこのコンビニで美鈴と待ち合わせてるからね。デートとは待ち合わせの時から始まってるんっすよ、翔太くん」
どこ目線で話をしているのか首を傾げたくなる物言いの主人に翔太は慇懃に首を垂れる。
「左様でございますか。それではお嬢様、いってらっしゃいませ」
「うん、行ってくるっす」
そう言って迦阿子はシュタッと手を上げるとスキップをしながら玄関のほうへ去っていった。賑やかな主人が居なくなったのを確認してから翔太は楽しげな笑い声をあげ「さて、僕は残りの仕事を片付けますか」と呟き、また部屋の中へと戻っていった。
「みぎゃーーーー!!!??」
という素っ頓狂な声が玄関先から聞こえてきたのは迦阿子が屋敷を出て間もなくのことであった。
「お嬢様!?」
赤井翔太がその声を聞きつけたのは彼が室内の清掃を行っている時であった。しかしそこから彼の決断は早かった。声の主が迦阿子であること、悲鳴に近い声色から彼女に問題が生じたことを瞬時に理解し部屋を飛び出す。
広い屋敷の廊下をあっという間に駆け抜け玄関を出る。一瞬で翔太は声のした方へと辿り着いた。するとそこには青い顔をした迦阿子が呆然と立っていた。
「どうされました、お嬢様!?」
「しょ、翔太ぁ……」
涙目の迦阿子が震える声で言った。素早く主人の状況を翔太は確認する。どうやら怪我などはなさそうである。それでホッと息を吐く。だが、その時なぜ迦阿子が悲鳴をあげたのか理解できた。
真新しい白のワンピース。そのスカート部分に小さな穴が空いていた。
「庭の枝に引っ掛けたのですか?」
翔太の問いに迦阿子はコクコク頷いた。
広い烏丸邸の玄関。そこから門までは幾らかの距離があり、間には目を楽しませるため木々が植えられていた。しかし、その木々は翔太や庭師の手により完璧に手入れがされており普通であれば枝に引っかかることなどありえない。
そう普通であれば。
残念ながら今日の迦阿子はその普通に含まれない。新しいワンピースを手に入れ友人と遊ぶことに興奮していた迦阿子は。おそらく、はしゃぎ踊るようにして歩くうち足をもつれさせ樹木にぶつかり服を引っ掛けたのだろう。
そこで翔太はため息を吐き『だから気をつけるよう申したではありませんか?』などと言わない。まずは起きてしまった事態への対処を行う。そのためワンピースに空いた穴の程度を確認する。
服に空いた穴は大きいが存外裂け目は綺麗で修復するのは可能そうだった。
「少しじっとしてくださいまし」
言うや彼はスーツのポケットから小さな刺繍道具を取り出す。そしていくつか糸を取り出し、その中から服の色に合いそうなものを選ぶ。
「失礼いたします」
と、断ってから翔太は迦阿子のスカートの裾をつまみ見事な手際で縫い合わせていく。迦阿子があっと思う間にワンピースの穴は塞がっていた。
「差し当たり、これでよろしいかと」
迦阿子は穴の空いていた部分を矯めつ眇めつ眺めてみる。近くに寄ってよくみれば補修したあとを確認できるが、少し離れてしまえば全くわからない完璧な仕上がりであった。翔太の腕前に迦阿子は舌を巻く。
「あ、ありがとうっす。うん、大丈夫、これなら出かけられるっす!」
迦阿子の顔に笑顔が戻った。
「それはようございました……ですが、それではお召し物に修復した跡が残ってしまいます。お時間を頂ければ同じものを新しくご用意いさせていただきますよ?」
「あー……」
翔太の提案に迦阿子は言い淀む。
「お金のことをご心配されているのでしたら、今回は僕のほうからプレゼントさせていただきますがいかがいたしましょう?」
「いや、いや、いや、それは悪いからいいっすよ!あたしの不注意で穴あけちゃったんだし。それに……これで特別になったじゃないっすか」
「と、おっしゃいますと?」
不思議そうに翔太は首を傾げた。迦阿子はニシシとイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「だってこのワンピースさっきまでは世の中に代わりがたくさんあったけど、ホラ!見てよ!」
そう言って迦阿子はその場でクルリと回って見せた。その時、陽光が翔太が縫い合わせるのに使った糸に反射しキラリと光った。
「ね、きれいな翔太カスタムのワンピになったっしょ?だから、これはあたしにとって特別!この世に代わりのないたった一つのものになったんっすよ」
迦阿子の言葉に翔太は一瞬驚いたような表情を浮かべたが「そうおっしゃって頂けて幸いです」と言って微笑んだ。
「そう言うわけであたしはこのワンピが気に入っちゃたんっす……ってそういや美鈴と待ち合わせてるんだった!でわ、でわ、あたしはこれで失礼するっす!」
そう言うと迦阿子はピューッと駆け屋敷から出て行った。それを翔太は心配そうに見送る。だが、幸いにも今度は転んだりせず無事出かけていったようである。全くもって嵐のように騒がしい娘だ。
主人を見送った翔太は小さく息を吐くと「それでは今度こそ残りの清掃に取り掛かりますかね」と呟き伸びをした。
その時一陣の風が屋敷を通り抜け、翔太の髪を優しく撫でた。春を感じさせる温かな風に翔太は目を細めゆっくり歩きながら屋敷の中へと戻っていった。
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