5.虹の麓

1/31
92人が本棚に入れています
本棚に追加
/478ページ

5.虹の麓

 夕貴が貸してくれたスマホのデジタル時計は午前零時三十九分を示していた。 「眠れない……」  昨夜は問題なく眠れたのに、昼間のことがストレスになっているのか、眠ろうとすると音がうるさい。  正しくは『頭内爆発音症候群』というふざけた名前らしい。眠ろうとウトウトすると耳元でスピーカーのボリュームを一瞬だけ全開にするような爆音が耳の中で『グワァンッ』と鳴り響く。全く無害だが、ただひたすらうるさい。大層な名前がついてるが、霞月にとっては単なる騒音だ。  両親と兄の死後に始まり、祖母が病院に連れて行ってくれたが、同じ症状を持つ人は少なくないこと、ストレスをコントロールすることが主な治療法で、投薬は年齢的に勧められないこと、自然に治癒することが多いことを告げられた。  医師の言った通り、自分でも忘れ去るくらい何もない時期もあれば、逆に祖母の死後などストレスが半端なかったときは、明け方まで続いて苦痛で仕方なかった。不思議なことにそれが起きるのは夜ばかりで、昼間の仮眠はすんなり出来たりする。  霞月は溜め息を吐きながら、枕元の灯りを点けた。病院からの好意で無差額の個室に入れて貰えたことは本当にありがたかった。そうでなかったら同室の人が寝ているこんな時間に電気は点けられないはずだ。  惺が持ってきてくれた写真立てに入れた家族の写真。  彼に全てをぶちまけてしまったあの日から、その写真を見る度に浮かんでいた気持ちが少し変わった気がする。  写真に映る彼らの顔から険しさと嫌悪が消えて――。  ――優しく慈しんでくれているように見える……。  写真立てと一緒に、惺が差し入れてくれた本はこれ見よがしに可愛らしい恋愛小説だった。 「書店に行ったら今一番売れてる本だって」  そう言った彼の顔にはいつもの胡散臭い笑顔が浮かんでいた。  一見散々甘やかしているかのように見えて、時々こういう嫌がらせみたいなことをしては、人の反応を楽しんでいる節がある。  一応二回読んでみたが、この主人公の女性のように惺を見てドキドキ胸を高鳴らせるか、と言ったら違う気がする。  彼が自分にとって特別であることは、霞月もよく分かっている。「手放そう」と思った時の切り裂かれるような心の痛みは説明できるものではなかった。そもそも特別でなければキスなどしないし、させたりしない。
/478ページ

最初のコメントを投稿しよう!