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「泣きたい時は我慢せず泣いた方が良いと言いますよ」
さらりと言われた言葉に鼓動が跳ねる。本能の赴くまま生きることは、咎められることだと思っていた。
「……ありがとう」
「あなたは色々と抱え込みすぎなのです。私で良ければ話くらいは聞きますから、これ以上、自分を追い詰めるのはやめた方がいい」
「……そうね。そうかもしれない。でも、今は泣いている場合ではないわ」
「素直じゃないですね」
呆れたように肩をすくめた雅久を睨みつける。
「あなたは妖祓いには向いていないわね」
先ほどから辺りを漂う、纏わりつくような視線と妖気の出どころを気配から探る。それ程強くはないけれど、雑魚というには強すぎる。
「山の北側」
不意に聞こえた声に、背中を冷たいものが伝って落ちた。気配は瞬時に移動し、今、璦百の正面に立っている。
「母上を探しているのでしょう?」
深紅色の着物を纏った五つくらいの娘が、璦百を真っ直ぐに見上げている。こぼれ落ちそうな大きな瞳と、限界まで歪められた口が、なんとも気味悪い。
「確かに私たちはある女の人を探しているけれど、それが君の母上かどうかは分からないな」
璦百のかわりに雅久が答えると、娘はゆるゆると首を横に振った。
「きっと母上よ。まちがいないわ。
男の人はみんな母上のことを好きになるの。そして、朝も昼も夜も、何度も何度も母上のことを抱くの。母上はまた強くなれたと言って喜んでいるけれど、私はいつも一人ぼっちで退屈なの。寂しいの。
昔はたくさん遊んでくれたのよ。それなのに、最近は邪魔しないでと怒られるの。私は悲しいの。あなたは纏っている空気が優しいのね。母上とは違う、とても、優しい。お願い。私と遊びましょう?」
璦百を見上げ、縋るように目を潤ませている娘の前に屈み、視線を合わせる。途端、娘は、ほっとしたように微笑んだ。その顔は、妖のそれとは程遠く、愛らしかった。
「何をして遊びましょうか」
「あのね、あのね、なんでもいいの。あなたがしたいことで良いわ」
「それじゃあ、きっとつまらないわよ?」
「そんなことないわ。こうしてお話しているだけで、とっても楽しいもの」
「そう。あなたお名前は何というの?」
「莉よ」
「莉。良い名前ね。少しお散歩しましょうか」
「お散歩は大好きよ。あの、手を繋いでくれる?」
躊躇いがちに差し出された小さな手を「もちろんよ」と言って握ると、しっとりとした熱が伝わってきた。
「こうしていると、親子みたいね」
莉の言葉に雅久を見ると、小さな手を握り、ゆらゆらと揺らしていた。その姿が、莉の言う通り、本当の親子のようで、心の中に温かなものが広がった。
疵音も璦百も、親の愛情を知らずにここまで育った。愛されたい、認められたい——消化されずに膨れ上がったその想いが、知らず知らずのうちに、二人の間に大きな蟠りを作ってしまったのは明白だ。
愛されたいと願う疵音を、どうやって愛せば良いのか分からない。
「あなたはたくさんの愛に包まれて育ったのね。お母上はどんな方だったの?」
着物の裾が濡れるのも構わず、川の水と戯れている莉を、優しい眼差しで見つめている雅久に問いかけた。
「母上は、美しい人でした。髪は、あなたのように黒く艶やかで、私はその長い髪を結って遊ぶのが好きでした。私が何をしても、怒ることはありませんでした。呆れたように眉根を寄せ、困った子ねと笑っていました。
母上も私も、どこかで分かっていたのです。幸せな時が永遠には続かないことを……。だから、いつも笑っていました。
そうですね、愛されていたと思います。いえ、今もその愛は私の中で生き続けています。母上から与えられた愛は、私の一部ですから、消し去るということは、私がこの世から消えるということです。
人を欺き、傷つけた母上は、骨となり、灰となり、消えました。私だけでも、あの悲しい女の末路を覚えておきたい。そう願うのは、やはり、わがままなのでしょうね」
話し終えると、こちらに視線を向け「そんなに見つめられると可笑しな気になります。私も男ですよ」と言って、破顔した。
「誤魔化さなくてもいいのよ。私はあなたの本心が聞きたかったの。実の親ではなく、妖に育てられたというのに、あなたの纏う気はある意味異様だわ。千杜世様はあなたのことを人間であり、妖であり、妖祓いをする坊主だと言った。でも、あなたは妖ではないわ。妖は負の感情に振り回される、良くも悪くも……。あなたは、そうじゃない。きちんと制御できている。母上様に愛されていた証拠よ」
「母上が聞いていたら、さぞお喜びになるでしょう」
「羨ましいわ、あなたのことが」
「選ばれし者である黒狐様に羨まれるなど、身に余る光栄です」
「光栄ついでに、一つお願いしてもいいかしら」
「なんなりと」
この男になら任せられる。そう思った。諦めたわけではない、決して。黒狐様への——最後の神頼みだ。
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