疵音

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疵音

   三年前のことだ。  その女は木陰に座り、さめざめと泣いていた。この世の悲しみや、苦しみを全てその背にのせているかのように見えた。辺りは眩いほど陽の光が降り注いでいるというのに、その女の周りだけが真っ暗な闇に包まれていた。  疵音は、女を慰める声も、言葉も、持ってはいなかったけれど、何かしなければ、という思いだけはあった。  辺りを見まわすと、紫色の小さな花が咲いていた。あの花はなんという名だったろう。千杜世にもらった本に、書いてあったが思い出せない。疵音は花を一本摘み、泣いている女の肩にそっと触れた。女は疵音の気配に少しも気がついていなかったようで、びくりと体を跳ねさせた。  ゆっくりと顔を上げた女は、お世辞にも美人だとは言えない顔をしていた。生まれつきのものなのか、はたまた、病気や怪我なのか、とにかく、女の顔半分には赤々とした痣があった。  疵音は驚きはしなかった。ただただ、女が泣いている理由が、この痣のせいなのだとしたら、可哀想だなと思っていた。 「ん」  花を差し出すと、女は驚いた様子で両目を見開いた。そのまま、まじまじと疵音の顔を見つめ「ありがとう」と言って受け取った。  女は、好きで好きでたまらなかった男に、捨てられたのだと言った。悔しくて、悔しくて、それでもまだ好きで、そんな自分に嫌気がさして、気がついたら妖になっていたのだと、悲しく笑った。 「世の中は不公平だと思わない?私は、人から羨まれるモノは何一つだって持ってはいなかった。それなのに、両手からこぼれ落ちるほど、与えられている人もいる。私はいつだって羨むばかりで、少しも自分を愛せなくて、そんな自分が大嫌いで仕方がなかった。だから、これで良かったの」  女は自らを納得させるように、何度も何度も頷いた。その姿があまりに切なく、疵音は女を抱きしめた。 「ん、ん」  女の背中を優しく撫でて、大丈夫だと心の中で繰り返す。女はまた思い出したように、さめざめ泣いた。
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