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坊主の言う通り、沙和の屋敷の周りには結界が張り巡らされていた。けれど、どうということはない。
構わず門戸を開き、屋敷へと入っていく。着物が切り裂かれ、それと共に頬や腕や足や、とにかくそこらじゅうから血が流れた。けれど、そんなことは少しも気にならない。
屋敷には坊主が纏っていた嫌な気が充満し、呼吸をする度に肺が可笑しな音を立てる。沙和は布団の上で眠っていた。着物も髪もきちんと整えられ、いつものように頬は桃色に染まり、あまりにも美しかった。
もう、息はしていない。妖術を撒き散らし、男を誑かし、ありえないほどの生気を吸い込んだ山姫の結末が、これだ。布団から抱き起こし、己の腕の中に閉じ込めると、どうしようもなく切なくて、胸が苦しくて、涙が頬を伝って落ちた。
「ごめん。ごめんね、沙和。もう少しだよ。もう少しで僕も逝くから……」
千杜世様は言っていた。全ては巡り合わせなのだと。だから、きっと遅かれ早かれ、こうなっていたんだろう。坊主は言っていた。共に堕ちてくれる沙和も、堕ちてゆく疵音の手を最後の最後まで離さずにいてくれた璦百も、どちらも愛なのだと。そんなはずはないと思いながらも、そんなことは随分と前から知っていたような気もする。
とにかく、自分は二人に甘え過ぎたのだろう。父親にいたぶられ、母親には冷めた目を向けられ、自分の存在意義など分からないまま育った。愛されたかった。ただただ、ありのままの自分を、愛してほしかった。
愛されたい、愛されたい——そればかりで、愛することをしなかった。これはせめてもの償いだ。
「璦百……どうか、幸せに……」
最期の時——名を呼ばれた気がした。懐かしい声だった。けれど——誰の声なのかは、分からなかった。
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