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「まぁ、そうといえばそうだねぇ」
曖昧に答えると、璦百が眉間に皺を寄せた。
「何ですか?誤魔化すなんて、私の悪口でも言っていたのかしら」
「そんなことあるわけないではないですか。ねぇ、千杜世様?」
「そうだよ。雅久は陰口を言うような男ではないよ。璦百だって、分かっているだろう?」
差し出された湯呑みを受け取りながら璦百に問うと、黒狐は、はてと首を傾げた。
「どうでしょうか。このお坊様は調子の良いところがございますから、私の前では良い人でも、別の人の前では、悪い人かもしれません。また、逆も然り」
驚いたのは雅久だった。
「私のことをそんな風に思ってるのですか?」
ずいと身を乗り出し、知りたいような、知りたくないような顔で璦百に詰め寄っている。
「えぇ。なんだか掴めないお人だと思っております。けれど、仕方のないことでしょう?私たちはまだ、出逢ったばかりで、お互いのことを全て知り得るなんて無理な話なのです。いいえ、どれほど長い時を共に生きたとしても、全てを知るなんて無理なのです。さ、おかわりはいかがです?紅芭が作ったつまみも」
「無理かどうかはやってみなければ分かりません」
食い気味で言葉を紡ぎ、妙に凛々しい顔で見つめてくる雅久に、璦百は小鉢を持ったまま、ぽかんと口を開けている。
「私は、無理だと言われても、諦めるつもりはありません。毎夜、こうして月を眺め、お互いのことを語り合い、少しずつ、少しずつ、知っていきたいと思っています」
「私が、もう少しこの屋敷にいたらどう?と言った時、あなたは、寺に帰らねば、と言わなかったかしら……」
「言いました。言いましたが、気が変わったのです。千杜世様が、自らの歩む道は自らで決めて良いと、仰ってくれたからです」
璦百は暫し雅久の顔を見つめ「そう。それは良かったわ」と微笑んだ。
雅久も「はい。良かったです」と微笑み返し、こちらにちらと視線を向け、照れたように頭をかいた。その無邪気な顔を見ていると、無性に胸が熱くなった。
寺に来たばかりの頃、雅久は少しも笑わず、話さず、ただただ、夜毎、月を眺めては泣いている子どもだったことを思い出す。少しずつ、少しずつ、亀の歩みよりも、雪どけよりも、月の満ち欠けよりも、もっと随分とゆっくり、雅久の心は開かれていった。
千史も千杜世も千艸も、ありのままの雅久を受け入れ、ただただ寄り添った。そのうち、雅久は笑うようになり、話すようになり——恋を知るまでになった。
今回の件でも、それ以前も、千杜世はこの二人を引き合わせるなど、考えたこともなかった。雅久はいずれ、自分の後を継ぎ、千艸と共に寺を守っていく。璦百は疵音と共に、この地の平安を守っていく。二人の道行は交わることなく、別の方、別の方へと続いていく。そう思っていた。
「人と人は思わぬところで繋がるものだ。それは、神様の巡り合わせというよりも、その人とその人が、お互いを呼び合い、そして出逢うのだと思う。
そこから、ナニが生まれ、ナニが壊れるのか、それは、出逢ってみなければ分からない。良い出逢い、悪い出逢いがあるだろう。
けれど、惹かれあったのだ。共に過ごした時間には、必ず意味があり、それは宝となるのだよ。愛された証も、傷つけられた心も、流した血や涙も、眠れず過ごした長い夜も、なにもかもが、これからの自分を形作る、大切な宝だよ」
師僧である千史様の言葉が頭を巡った。
「そうですね……。全ては、宝ですね」
手の中の湯飲みに月を映し、ぐいと一口、喉に流し込む。温かな熱が、伝って落ちて、広がった。
終
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