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第一話 傷心旅行と新米魔術師 2
つづら折りの階段を息切れしながら登り切った時、吐きそうになった揺恵はその場に座り込んだ。頭がぐらぐらして血の巡りが良くなりすぎているのがわかる。顔が熱いのは急激に高くなった気温のせいだけではない。
四月の下旬といえば、北海道では桜が少しずつ咲きはじめる頃だ。まだ少し季節の気温差に慣れていないのか、季節の変わり目で感じる体調不良がいつもより長い気がした。
「何で金持ちってのは、こう……」
文句を垂れる揺恵の目の前には低い鉄柵に囲まれた煉瓦造りの洋館が佇んでいる。
外壁の表面は粗く仕上げられ、鎧戸や煙突など日本家屋にはないものを備えている。上部がアーチ状になった窓枠や反りの入った屋根など、全体的に曲線を多用したデザインには穏やかな表情が見えて、何となく金持ちの余裕のようなものを感じた。
式見家から届いた手紙には案内図も添えられ、揺恵が選んだのは最短ルートとして勧められた道であった。JR根岸線の根岸駅を出た後、ほぼまっすぐに進めば突き当たる階段はほとんど山登りの過酷さだった。
ショルダーバッグのポケットからヤンが這い出てひなたへ走り出た。すぐに立ち止まって振り返り、あの太くて柔らかそうなしっぽを誘うようにふりふりする。
「ちょっと待ってよ……」
ペットボトルの水を飲んで少しは落ち着いたが、焦って立ち上がればめまいを起こしそうな気がする。ヤンは走り寄って揺恵の膝に飛び乗ったかと思うと再び道へ走り出る。ずっと狭いポケットに入っていたからのびのびしていたいのだろう。人が来る気配もないし、少し遊ばせるのも悪くないと思った。
座り込んだまま、揺恵は自分が上がってきた道を振り返った。生い茂る青葉に覆われた、長くて急な階段だった。地上の様子はよく見えないが、国道十六号を行き交う車や根岸駅を発着する電車の音がほとんど聞こえないので、相当高くて遠くまで上ったのだろう。空を見上げると、雲が少しだけ近くなって見えた。
式見家からの手紙に改めて目を通し、空にかざす。きっと母もこの手紙を受け取りたかっただろう。横浜に移り住むのは式見文庫に行きたいからだと言っていた。
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