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3人目の夫は、母は他国の王女、叔父は十字軍の英雄王という、2つの強国と血の繋がりを持つ若者だった。
奇しくも私と同じ名を持つ婚約者がいたが、権力をめぐる争いの中で、別の叔父に奪われてしまったと言う。
英雄王に心酔し、異教徒との戦いにも参戦してきた彼は、義父にも認められる実力者だった。
王国のための、やむを得ない政略結婚……そのはずだった。
再び結ばれることは叶わなかったが、1人目の夫はまだ生きている。
その彼への想いは、私の中でまだ消えずに残っていた。
けれど……3人目の夫は、そんな彼と同じ年齢だった。そして、騎士らしい立派な肉体を持ちながらも、2人目の夫のように荒々しくはなく、高貴な血ゆえか、礼儀正しく洗練されていた。
1人目の夫と、似ているようで、似ていない。面影を重ねていたつもりはない。
けれど、気づけば私は3人目の彼に惹かれていた。
3人目の彼は、とても優しく愛しげに、私の名を呼んでくれた。
もしかしたら彼は私に、結ばれなかったかつての婚約者を重ねていたのかも知れない。
だが、始まりがどうであれ、私と彼との間に育まれたものは、確かに真の愛情だった。
私は1人目の夫に後ろめたさを感じながらも、3人目の彼に心寄せていった。
愛しきかつての夫の、記憶の中にしか無いぬくもりよりも、今すぐそばで抱きしめてくれる腕のあたたかさに、溺れていった。
周囲も認める夫との、愛ある結婚生活。
この日々が続けば、どんなに良かっただろう。
しかし、その暮らしは、たった5年しか続かなかった。
ある日、彼は窓から転落し、呆気なくこの世を去ってしまった。
一見すれば、不慮の事故。
しかし、不審な点が数多く、自己に見せかけた暗殺と囁かれた。
私は彼の亡骸に取り縋り、泣いた。
冷たくなったその身体に、いつまでもいつまでもキスを浴びせ続けた。
一度愛を失い、二度と男を愛することなどできないと思っていた私に訪れた、奇跡のような恋。
もう二度と手放したくなかった。今度こそ、幸せになれたと思っていた。
なのに、それは呆気なく、手のひらから零れ落ちた。
私は愛しい夫から引き離され、その遺体は私の手の届かない、暗い土の下に葬られた。
それでも私は国のため、幼い子どもたちのため、そして私自身のために、また新しい夫と婚姻を結ばなければならなかった。
4人目の夫は、姉婿の実兄で、27歳離れた男だった。
顔だけと評され、王位に就くことを誰からも望まれていなかった姉婿は、十字軍の英雄王により、ひとつの島を与えられていた。
姉婿の死後、地中海に浮かぶこの島を受け継いだのが、4人目の夫だった。
彼は先妻との間に6人の子があり、私もこの時、3人の娘を抱えていた。
20代半ばにして、9人の子の母。しかも上の方の子に至っては、夫よりも私に歳が近い。
それだけでも大変なことだと言うのに、4人目の夫との間には、さらにまた子が生まれた。
出産は命懸けの難事。
そしてこの時代、赤子や幼子はふとしたことで簡単に命を落としてしまう。その成長から目を離すことはできない。
毎日が目まぐるしく、愛や恋など考えている暇も無いほどだった。
このまま、日々に追われ、愛も嘆きも悲しみも、全てが遠く、ぼんやりしたものに変わっていくのではないか……そんな風に思っていた。
愛や恋からは遠ざかっても、家族に囲まれた騒がしくにぎやかな日々が、この先ずっと続いていくのではないか……そんな気がしていた。
けれど、その日々の果てに待ち受けていたのは、あまりにも呆気ない、私自身の終わりだった。
4人目の夫との結婚から8年後のある日、それはやって来た。
初めに夫が、急な不調に倒れ伏した。
魚にあたったのではないかと言われたが、真実は分からない。
次に私が。そして子どもたちも、次々と倒れていった。
病の床で、夫が先に逝ったことを知らされた。
私もそう遠くないうちに、後を追うことになるだろう。
人の命は儚い。病や怪我、運命の悪戯で、容易く失われてしまう――これまでに大切な人を幾人も見送ってきた私は、それを痛いほど知っていた。
だが、それでも……自分自身にもそれが及ぶとは、その時にならなければ、なかなか実感できないものだ。
肉体から少しずつ、少しずつ、命が失われていくのが、自分でも分かる。
苦しい息の中、子どもたちはどうしているだろう、と思う。
せめて、あの子たちだけは生き永らえて欲しい。
特に、私が産んだ5人の娘たち……。
できることなら、私のように、時代に、男に、運命に翻弄されず、幸せに生きて欲しい。
……けれど、それが叶わないであろうことも分かっている。
現在の世の中は、女独りでも生きていけるようには出来ていない。
その領土、財産、生活を守るためには、どうしても夫という存在が必要だ。こんな戦乱の世であれば、尚更に……。
しかし、その相手さえ、女が自らの意思で自由に選ぶことなど、ほとんどできない。
自分で選んだ相手ではないのに、その後の運命は夫次第。
女は、自分の運命を自分で賭けることさえ許されていない。
ただ、自分ならぬ誰かの手に操られ、弄ばれるばかり。
そうして子を孕めば、否応なく己の命さえ賭けさせられる。
……そんな世の中に、まだ幼い娘たちを遺して逝かなければならないなんて……。
だんだんと、意識が薄れていく。
世界の輪郭が曖昧にぼやけて、見えなくなっていく。
……これが死というものなのだろうか。
結局私はこの人生で、何を得られたのだろう。
女王とは名ばかり。大切なものすら守れず、喪ってばかりの人生だったような気がする。
王国が聖地を奪われていなかったら……戦がこんなにも長引かなければ……そもそもこの時代が、こんなにも戦乱にまみれていなかったら……もう少しは幸せに生きられただろうか。
女に生まれていなかったら、大切なものをこの手で守れただろうか。
考えてみても、分からない。知ったところで、もうどうにもならない。
私はこれから何処へ行くのだろう。
教会の教える神の国が、本当にこの先に在るのだろうか。
そこへ行けば、喪ってしまった人たちにも会えるだろうか。
今はもう、皆この世を去ってしまった、私の4人の夫たち……。
死の先にあるその何処かで、私を待っているのは誰だろう。
私はあの4人の中で、誰に逢いたいと望むのだろう。
結局、この人生の中で、私が一番に愛したのは………………
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