脱せよストーカー予備軍

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予想だにしない伊丹の提案に、明智の心臓はまたばくばくと鼓動を刻み出して、苦し紛れに出た間抜けな一言ですら声が震えた。 「だめですか?」 「...っ、だめなわけ、ねぇだろ..!」 「はは、それならよかった」 独特の緊張感を孕みつつも何故か余裕そうな伊丹に改めて視線を合わせれば、少し困ったように眉が下げられて、なんて愛おしいんだと明智は悶絶する。 「....つーか、何でそんな余裕なんだよ、」 「え、俺余裕そうに見えます?強いて言うなら今日色々ありすぎて一種のハイ状態かもしれないです」 「ハイ状態....」 伊丹をそうさせたのはまさしく自分のせいでしかないが、その言葉に明智は若干の不安が滲んだ。 「てことは正常な判断ができてねぇってことだろ。...そりゃ物凄くしてぇけど...けどな、そんな状態でしても後悔するだけだからやめとけよ」 心の底から伊丹の提案に乗りたい、いつもの妄想のようにめちゃくちゃに愛でたい。 そうは思うもののやはり伊丹の本意でないことはしたくなくて、この場の雰囲気に流されて伊丹に後悔させるくらいならと、自身の欲を必死に抑えながら明智はそう口にした。 しかし当の伊丹は曖昧に笑みを浮かべるだけで、また困ったように目が細められる。 「明智さんって意外と心配性ですよね」 「そりゃそうだろ、....好きな奴に嫌な思いさせたくねぇし」 「それなら大丈夫ですよ」 「...は?」 伊丹は一言そう言うと、さらに言葉を続けた。 「さっきも言いましたけど、俺嫌じゃなかったので。それにいくら俺でもその場のノリでこんな提案しません」 そう言い切る伊丹の瞳はいつもの気怠げなもののはずなのに、その奥に覚悟が滲んでいる気がして、明智は思わず言葉に詰まる。 「....、」 それでも何か言わなければと明智は口を開こうとするが、そんなことをする間もなく優しく肩を押されてそのままベッドへと二人で倒れ込んだ。 「明智さん、俺キス下手だと思いますけど許してくださいね。...文句は後でいくらでも聞くので」 聞き覚えのあるセリフとともに、今度はしっかりとした意思を持って、自身の唇に伊丹の唇が重なる。 ひたりと吸い付くような口付けは今までのどんな経験よりも気分が高揚し、それとともにとてつもない幸福感が心を満たした。 優しく触れる程度のそれはすぐに離され、お互いに顔を見つめ合う形となる。 二人ともこの後どうしたらいいかなど分かっていないし、考えてもいない。 それでも本能のまま、また触れたいと明智が顔を寄せれば、伊丹は照れたように笑ってそれに応えた。 「伊丹」 「...はい、」 「好きだ」 「...っ、」 キスの合間に今まで伝えられなかった分の想いを伝えてやれば、小さく伊丹の肩は震える。 そんな姿すら愛おしくて、明智は伊丹の背中にゆっくりと腕を回した。 そのまま抱き締めるように引き寄せれば、伊丹は容易に身体を預けてくるので、きっとそこまで余裕がないんだろうと微笑ましくなる。 でもそれは自身も一緒だ。 伊丹を前にするといつだって余裕はないし、それを補おうといつも以上に虚勢を張ってしまう。 しかしこれからはその必要はない。 伊丹のことが好きで堪らない自分の事だ。 きっとこの先も伊丹を前にして余裕を持って接するなんてことは到底無理だろう。 それでも自身の素直な気持ちを「受け止める」と言ってくれた伊丹に、明智は心の底から感謝していた。 「...っ、」 「え、明智さん?」 そんなことを考えていれば今までの想いがとめどなく溢れてきて、思わず感極まる。 嬉し泣きなどという初めての経験に必死に涙を堪えていれば、伊丹は焦ったように明智の名を呼んだ。 「明智さん、泣いてます?大丈夫ですか?」 「.....大丈夫だから、気にすんな」 その後も心配そうに言葉を続けようとする伊丹の口はキスで塞ぎ、安心させるように抱き締める腕に力を込める。 そうすればまた、自ずとお互いを求め合うような口づけを交わし、出張先で何やってるんだろうななどという野暮な事を二人とも口にする事はなかった。
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