脱せよストーカー予備軍

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朝目を覚ませば、抱き締められている感覚がある。 そのぬくもりに伊丹がぼんやりと、そういえば昨日は色々あったんだっと思い出していれば明智も目を覚ましたようで、薄らと目を開くのを静かに見守った。 「明智さん、おはようございます。いい朝ですね」 「....」 「明智さん?」 「....っ!!!い、いた、...いた...み!」 「はい、伊丹です。よく寝れました?」 その視界が伊丹を捉えた瞬間、明智はわかりやすく狼狽えるので、毎度のこの反応もそういう事だったのだろうかと伊丹は思わず笑ってしまった。 「お前なんでそんな冷静なんだよ...」 「いや、明智さんがドギマギしてるから、むしろ冷静になりますよ」 「....納得いかねぇ、」 朝起きてすぐに眉間に皺を寄せる明智をどうどうと宥めながら、伊丹は枕元にあったスマホを手繰り寄せた。 「いま何時だ」 「6時ちょっと過ぎですね」 「随分早ぇな」 「俺いつもの癖でこの時間に目覚めちゃいました」 そう言って笑えば明智はまだ寝れるだろ、と抱き締める腕に力を込めてくる。 まあ朝食も8時までに行けばいいし、ここを出るのも8時過ぎだ。 伊丹はそれだけ考えて、ゆっくりと明智の背中に腕を回した。 「...っ、」 「なんかすごく落ち着きます。何でだろう」 「...落ち着くのか」 「はい。同じ柔軟剤使ってるからかな」 「絶対違うだろ」 伊丹の予期せぬ行動に明智が驚いていれば、そんな素っ頓狂な返しがあるので、ほんと天然だよなと考える。 昨日まで心の中で想うことしかできなかった伊丹と、今はこうして抱き締めあって同じ布団にいる。 どう考えても天国でしかないこの状況に、明智は脳内でソーラン節を炸裂させていた。 「...ああくっそ、まだ信じらんねぇ」 「え?いい加減腹くくってください。現実ですよ」 「...んなすぐに受け入れられるかよ。どんだけ伊丹のこと好きだったと思ってやがる」 昨日の出来事から伊丹は取り乱すこともせず、淡々と自身を受け入れてくれる。 それでもきっと頭の中では色々と考えているんだろうと、明智は何も言わずに首元に顔を埋めた。 「...くすぐったい」 「ああ、痕付けてぇ...」 「え、ちょ、やめてくださいね。出張先でワンナイトラブした下半身野郎みたいに思われます」 「は、たしかに」 伊丹の冗談まじりの言葉に思わず笑い、明智は朝からなんて幸せなんだろうかと幸福感を噛み締めた。 妄想の中では既に付き合って同棲しているくらいのことはしてきたが、現実でもそうならないだろうかと期待ばかりが募る。 「...明智さん、起こすのでもう少し寝てていいですよ」 「伊丹は寝ねぇのかよ」 「俺明智さんからどういう風に見えてるかわからないですけど、二度寝できないくらいには今どきどきしちゃってるので」 「...っ、..」 伊丹の言葉に咄嗟にその表情を窺い見るが、そこには焦りなど見えず、伊丹も伊丹である意味ポーカーフェイスだよなとぼんやり思う。 「..伊丹」 「はい」 「キスしたいっつったら、どうする?」 「え、」 伊丹を目の前にして、自身の気持ちの制御が効かなくなっている。 そんな事を自覚しながらも、勇気を振り絞ってそう尋ねてみれば、伊丹は少し考える素振りを見せてから視線を上げた。 伊丹は気怠げな目元を緩ませて、にこりと笑う。 そしてそのまま肩に手を置き顔を近づけてくるので、明智はごくりと息を飲んだ。 「明智さん、」 名前を呼ばれたかと思えば次の瞬間には唇に欲しくて堪らなかったぬくもりが伝わってきて、明智は自身の中に湧き立つ熱に見て見ぬふりをする。 「..っ...伊丹、好きだ」 いつも言えなかった愛の言葉を素直に伝えれば伊丹は照れたように唇を離し顔を伏せた。 「...今それ言うのはずるいですって」 「昨日言ったろ、惚れさせるから覚悟しろって」 「..ああ、いやまあ..そうですね」 煮え切らない反応を示す伊丹も愛おしくて仕方なく、明智は思春期の男子中学生のごとく伊丹の唇を貪った。 •••••••• 布団でいちゃついていたらあっという間に時間は過ぎ、危うく朝食バイキングの時間を過ぎるところだった。 あの後なんとかパンと卵焼きを掻き込み、バスの時間ギリギリに二人でバス停に到着する。 「社会人失格になるところでしたね」 「まあ伊丹と一緒にいられるならそれでも良かったけどな」 「...明智さんにあるまじき言動だ...」 朝の道路混雑の影響か5分ほど遅れてやってきたバスに乗り込めば、自分たちと同じようなサラリーマンや学校へ向かう学生で車内は溢れかえっており、とてもゆっくり座ることなどできそうにない。 ひとまず運転席に一番近い吊革を掴み、明智はぼんやりと車窓に映る伊丹を眺めた。 「なんかさっきまでふわふわしてましたけど、今日普通に平日なんですよね。いきなり現実に引き戻された感じします」 「...頼むからよくよく考えたら嫌でしたとかやめてくれよ」 「昨日のことです?だとしたら心配しないでください。前にしたときから嫌じゃなかったので」 伊丹はそう言ってまた視線を窓の外へと向けるので、その言葉の意味を考える。 前に...、 それは自身の家で調子に乗って腕枕や抱き締めてしまったことを指しているのだろうか。 もしそうだとしたら、それすら受け入れて今こうして隣に立ってくれていることに、この先も未来があるのではないだろうかと期待してしまう。 伊丹は自分に振り向いてくれるだろうか。 何としても振り向かせたい。 しかし、もし考えた末に望まぬ答えが返ってきたら─── 「たぶん俺死ぬな...」 無意識に口から出た言葉に伊丹はぎょっとした表情を浮かべてこちらを窺ってくるので、慌てて口を噤む。 到底伊丹を諦めるなんて選択肢を取ることはできない。 それくらい伊丹のことが好きで堪らなくて、このチャンスをなんとしてもものにしたい。 明智は混雑するバスの中で、ひっそりと闘志を燃やした。
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