新たな境地

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伊丹が再びトイレに立ったのを確認して、明智も席を立った。 その際向井からはストーカーかよという辛辣な突っ込みをもらったが、この際気にはしていられない。 「伊丹、二次会どうする?」 「あー...俺はもう帰ろうかなって思ってます」 二人で手を洗いながらそんなことを尋ねれば、伊丹は少し疲れたように笑ってそう言った。 「まあこういう飲みも久々だもんな。...したら俺も、」 「明智さんは行ってきてください。俺のことは気にしなくていいので」 「いやでも」 「俺と違って明智さんが来るのみんな楽しみにしてますよ。さっき俺がいたテーブルでも、明智さんとこの後話したいって言ってる人結構いましたし」 伊丹はいつも自分に合わせてくれる明智に無理をさせてないかと言うことが心配だった。 自分の気持ちを自覚し、それを伝えると決めたとはいえ、今日何がなんでもというわけではない。 それよりもたまにしか会えない同期たちと楽しい時間を優先してもらいたいと本心から思った。 「伊丹、」 「...はい?どうしました」 「...俺は少しでも伊丹といたい。二次会も別に行きたいわけじゃねぇし」 個室に戻る途中のガヤガヤとした廊下で明智の先を歩いていれば、後ろからためらいがちに名前を呼ばれる。 その先に続けられた言葉はいつも聞き慣れた優しいもので、そこに愛を感じてしまうあたり自分もだいぶ絆されているなと妙に気恥ずかしかった。 「明智さんは俺に合わせすぎですって。たまには自分のこと優先してください」 「...嫌だ」 「え?」 普段からこうして自分のペースに合わせてもらっていることに若干の後ろめたさを感じた伊丹がそう伝えれば、明智は駄々を捏ねる子供のようにそんな事を呟いて立ち止まる。 伏せられた顔が窺い見れず、少し腰を屈めてその表情を覗き込めば、下唇を噛んで眉を顰めているのが目に入った。 明智は明智で、伊丹が自分に遠慮している事を見透かしていて、その優しさは不要だとうまく伝えられない事をもどかしく思っていた。 「なんて顔してるんですか」 「...いつもこんな顔だ」 「そんなわけないでしょ。俺が知ってる明智さんはもっと穏やかに笑ってて、なのにどんと構えてて、加えてかっこいいです」 「んだよそれ..、」 冗談ぽくそう伝えて明智の顔を手で挟み込み、無理やり口角を上げさせれば、なんとも歪な笑顔になってしまい、やった本人である伊丹は思わず吹き出してしまった。 「おい、なんだよ...」 「あはは...、すみません...なんかされるがままで可愛いなって...」 「可愛いってお前な、」 伊丹の笑顔に先ほどまでしょんぼりしていた明智も堪らず笑みが溢れる。 やはり伊丹といると気持ちが穏やかで、いつだって好きだと自覚させられる。 「おいそこの男子二人〜。なーにいちゃついてんの、早くこっち来なさい」 どうやら一次会はもうお開きらしい。 個室から顔を出した向井に呼びつけられ、とりあえず戻って一本締めに参加する。 締めた後の会場もまだ賑やかで、二次会がどうのこうのと口々に話されていた。 「じゃあ明智さん、俺今日はこれで...」 伊丹もあまり出遅れて二次会に参加なんてことにならないよう、足早にその場を立ち去ろうと明智に声を掛けるが、それを言い終える前に明智はその腕を優しく掴んだ。 「っと...明智さん?」 「俺も帰る」 「え、でも..」 「帰るっつったら帰んだよ。ほら行くぞ」 明智はそれだけ言うと出口の方に向かっていき、腕を引かれたままになっている伊丹はその後を追うことしかできない。 「あー明智帰るの?」 「向井...。俺今日は二次会行かねぇから」 「なんだよつれないなぁ...明智の純情恋バナ聞きたかったのに。まあいいや、伊丹くんと一緒に気を付けて帰んなよ」 「...ああ」 店の外に出てから、先に集合していた二次会組の向井にそう声を掛けられるが、明智は何の気無しにそう答えて歩みを進める。 伊丹くんもまた今度一緒に飲もうね、と言って手を振ってくれる向井に、伊丹は小さく頷いてから手を振り返した。 「伊丹くん案外可愛いなぁ...。庇護欲そそられる感じ?」 「なんだよ向井。ついに春到来か?」 「はは、バカ言わないでよ。伊丹くんにしかあいつは扱えないだろし、見守る気しかないっつーの」 「は?あいつ...?」 向井の意味深な発言にも酒の入った頭では深く考えられず、同期たちはわいわいと楽しい雰囲気のまま次の店へと歩みを進めた。
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