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先ほど体調が悪そうだった明智だが、今も無表情で前の座席部分にある『ご乗車の際の注意事項』をガン見している。
伊丹は新幹線にわくわくしている場合じゃなかったと高ぶるテンションを落ち着け、咄嗟に口を開いた。
「明智さん、寝てて大丈夫ですよ」
「あ?何でだよ。...別に寝ねぇぞ」
「あれ、そうなんですか」
しかし明智からは一言そう返ってくるだけなので、その反応を意外に思いながらも伊丹はそれ以上何かを言うことはしなかった。
新幹線も発車の時刻を迎え、ゆっくりと動き出す。
朝の時間帯とあって指定席もほとんどの座席が埋まっている状態だ。
自分たちと同じようにスーツを身にまとい眠りに入る者、ラフな格好で旅先の話をしている者さまざまで、伊丹はそんな空気感の中、また明智に視線を向けた。
「...」
「....っ、なんだよ。何見てんだ」
「え、ああ。すみません」
不躾にそのまま見つめていれば、その視線に気づいた明智は驚いたように目を見開いて、戸惑いがちに言葉が紡がれる。
伊丹はその様子に、何をそんなにも焦ることがあるのだろうかと思いながらにこりと笑った。
「...なんか俺、プライベートでも明智さんと旅行とか行ってみたいです」
「...っ、あぁ!?..な、...なん、だ....と...」
思ったことをそのまま口にしてみれば明智はわかりやすく狼狽えるので、そんなに嫌だったのだろうかと伊丹は少し落ち込んだ。
「なんて。すみません、何でもないです」
───何言ってんだ俺。明智さんは同期のよしみでこんな自分に構ってくれているだけだ。
自分だけテンションが上がってそんなことを思ってしまったが、これ以上勝手に盛り上がってしまっては明智に呆れられてしまう。
伊丹はそう考えてすぐに黙り込んだ。
何かを勝手に察してすぐに顔を俯かせる伊丹を見て、明智はまたやってしまったと焦った。
自分のぶっきらぼうな態度でまた伊丹に余計な心配をかけてしまっている。
いつも言葉が足りていないせいで思いがうまく伝わっていないことを思い出し、今日こそはと勇気を持って口を開いた。
「い、いや...機会があったら行ってやるよ」
「え、...嫌じゃないんですか?今の反応から見るとすごい嫌そうだったんで俺調子乗りすぎたなって結構反省しました。」
「嫌なわけねぇだろ。伊丹がどうしてもって言うなら...」
明智は常套句のようにそう言って伊丹のその先の言葉を待とうとするが、それより先に伊丹は言葉を重ねた。
「俺がどうしてもって言わなかったらどうするんですか」
「...あ?」
予想もしなかった反応に、明智は咄嗟に伊丹に視線を向ける。
その目には珍しく不安が滲んでおり、明智は普段から自分主体で何かを発することなく、無意識に伊丹の優しさを利用してしまっていたことを自覚した。
「....明智さんこんな俺にも同期だからって気に掛けてくれてますけど、なんか負担になってないかなって、」
「....馬鹿なこと言ってんな。俺の性格知ってんだろ」
「え、...まあ」
「だったらわかんだろ?俺はわざわざ好きでもねぇ奴に自分から絡みに行ったりしねんだよ。だからんな心配もしなくていい、伊丹はもっと自分に自信持て」
明智はそれだけ言ってから、腹を決めたように先ほど尋ねられたことへの答えを口にする。
「..俺は同期とかそんな括りで伊丹に構ってるわけじゃねえ。人として....す、好きだから、...伊丹が「どうしても」って言わなかったら、俺が「どうしても」ってお願いするまでだ」
「...え、」
普段は多くを語らない明智から、意外すぎる言葉をこれでもかと言うほど聞いて、伊丹は驚きのあまり一瞬言葉を失った。
しかし何故だか胸の辺りにあったもやもやとした不安は綺麗に消え去っていて、代わりに小さく笑みが溢れた。
「...はは、何ですかそれ、ずるいです。」
「あ?ずるいってなんだよ...」
「そんな事言われたら俺、明智さんが「どうしても」って言う機会作れる気しませんもん」
「...っ..、」
「じゃあこれからも俺遠慮なく誘いますね」
伊丹はそう言って嬉しそうに笑うので、明智はあまりの衝撃的な光景に咄嗟に視線を逸らす。
「...っぐ、..身がもたねえ...。」
「え?何ですか」
「な、んでもねぇよ...」
新幹線が発車してまだそこまで時間も経っていないのに、割と濃い話をしてしまったなと自身の身を案じながら、明智はどこかふわふわとした幸福感の中、静かに目を閉じた。
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