脱せよストーカー予備軍

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だいぶ早い時間から飲み始めたので、21時も過ぎた頃にそろそろホテルに帰るかと腰を上げる。 「ん、...」 「おい大丈夫か」 「ああはい、平気です。すみません、ペース考えはしたんですけどちょっと飲みすぎました」 受け答えはしっかりとしつつも若干のふらつきを見せる伊丹が心配で堪らず、明智はその手を取り自身の腕を掴ませた。 「とりあえず掴んどけ、したら転ばねぇだろ」 「ありがとうございます。なんかデジャヴ...」 「...前は立場逆だったからな」 何気ない伊丹の言葉に、初めて二人で出掛けた日のことを思い出す。 あの頃の自分はただただ伊丹のことを目で追うだけの日々で、やっとの思いで漕ぎ着けた映画デートも自身の不甲斐なさからぐでくでに酔ってしまっていた。 「なんかすげぇ懐かしいな...」 「思えばあの時から明智さん俺になんやかんや構ってくれてますよね」 「...まあな」 本人に伝える気はないが、伊丹に認識されたいという思いの集大成があれだったんだよなと初心に返り、日々の積み重ねでここまで気を許してもらえるようになったのだと考えるとなんだか感慨深い。 「...少しずつ進展してんだな、」 「え?しん...しんて、」 「もう喋んなよ。大人しくついて来い、ホテル帰んぞ」 「...はーい」 珍しく間延びした返事をしては隣で嬉しそうに笑っている伊丹を見て、明智は微笑ましい気持ちになるとともに、この後どうしようかと落ち着きなく刻まれる鼓動からはそっと目を逸らした。 「おら着いたぞ」 「...すみませんご迷惑お掛けしました」 「別に。俺の前ならいくらでも酔えよ、全部受け止めてやっから」 「はは、相変わらず頼もしい」 伊丹はふらふらとした足つきで自身のベッドへと辿り着き、そのまま天井を仰ぐように体を預ける。 そして天井に向かって意味もなく手を伸ばしている姿を見て、前もこんなことしてたし酔うとする仕草なんだろうかとその習性について一つ学んだ。 「明智さん明智さん」 「あ?」 「お風呂先入っちゃっていいですよ。外寒かったし早くあったまってきてください」 「...いや伊丹先入れよ。酔っ払ってるしすぐ寝れた方がいいだろ」 伊丹の提案は丁寧に断り、未だに天井に手を伸ばしている伊丹に近付く。 明智が目の前までやってくればその視線はこちらを向き、また嬉しそうに目が細められた。 「いつまでそうしてんだよ。風呂まで連れてってやるから早く来い」 「...さすがに風呂くらい自分の足でいけるんで大丈夫ですって」 「とか言って、ほっといたらずっとそうしてんだろ」 「あははバレた」 伊丹はそう言っていたずらに笑い、明智が伸ばした手を掴む。 今日は伊丹ラブタッチ特大号だなと内心喜びながら、明智はその手を引いた。 しかしベッドに付いていた膝は二人の重みで外れ、明智は伊丹のいる方へ雪崩れ込むような形で覆い被さることとなった。 「...っ、」 「...びっくりした。大丈夫ですか明智さん、怪我ないですか」 「....悪い、普通に滑った。」 我ながら気を抜きすぎたと反省しながら謝罪を口にし、そのまま体を離そうと明智は何気なく視線を上げる。 しかしその時、思いのほか近くにあった伊丹の顔を視界が捉え、今までにないくらい鼓動が速くなるのを感じた。 「...っ、...!」 「明智さん、?」 謝罪を口にしてから一向に退く気配のない明智を不思議に思い伊丹が名前を呼ぶも、その視線はまっすぐと自身を見つめたままで、酔っているとはいえ普通じゃないこの状況に伊丹も焦る。 「どこか痛めました?大丈夫ですか」 「...伊丹、」 「え、はい。なんでしょう」 「...」 どこか様子のおかしい明智が心配になり咄嗟にそう尋ねてみるが、それも名前を呼ばれて制される。 とりあえず返事をしてはみたものの、明智からその先の言葉が紡がれることはなく、伊丹はじっと目の前の存在を見つめた。 「...伊丹、嫌だったら後でいくらでも文句言ってもらって構わねぇから...」 「え、?」 ───少しでも、俺のこと意識してもらいたい。 明智の言葉は酔った頭でなくてもきっと意味は理解できなかった。 それくらい唐突に囁かれた言葉に伊丹が瞠目していると、次の瞬間には唇に温かい感触がある。 「...っ、!」 伊丹は驚きのあまり目を見開くが、明智はその驚きを掻き消すかのように深く口付けをし、伊丹は非現実的すぎるこの状況に頭がぼんやりとした。 「...伊丹、好きだ」 息継ぎの合間に言われた言葉はあまりにも切実で、これが何かの冗談などではない事を伊丹は悟る。 「あけち、さん...っ、」 「好きなんだ、...ごめん、」 「...、」 やっと離された唇にすぐに明智の顔を窺い見れば、その顔は今にも泣きそうで、自身の頭の後ろに回された手も僅かに震えている気もする。 何がどうなってこんな状況に、と必死に整理しようとしても上手く思考はまとまらず、伊丹は素直に口を開いた。 「...すみません、俺...今頭追い付いてなくて、」 「....」 「でも、そんな顔して謝らないでください、」 どういう思いで明智がそうしたのかは分からない。 紡がれた言葉が本当だとしたら、それにどう対処したらいいのかもわからない。 何もかもがいきなり過ぎて、伊丹は混乱する思考の中で、そっと明智を引き寄せた。 「とりあえず、こうすれば落ち着くと思うんです」 「...っ、」 「どうですか」 「.....くっそ、こんな時まで愛おしいのかよ..」 覆い被さる明智の背中に腕を回し抱きしめてやれば、耳元で呟かれた聞き慣れた声に少しだけ安心する。 「....明智さん、俺どうしたらいいか、」 「俺も...わかんねぇ」 「...はは、俺たちわかんないことだらけですね」 苦し紛れにも似た渇いた笑いも、今はこの異質な空気に飲まれてしまって、これ以上自分にはどうすることもできないなと半ば諦めにも近い気持ちも生まれる。 それでもお互いにどこかこの温もりに安心してしまっていることも言葉にせずとも分かって、ひとまずはこのまま落ち着くまで待とう、と二人して答えは先延ばしにした。
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