01.有名大指揮者の落日

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 食堂と呼ばれる部屋の大きな食卓の上座には、すでに祖父の英輔が威厳を漂わせて着席していた。 「おはようございます。遅くなりました」 「乾(いぬい)君、朝食の時刻の変更は伝えていなかったのか?」  祖父は遅れてきた孫娘にではなく、そばに控えていた執事に強く尋ねた。  直接華音に話しかけてくることは、ほとんどない。目の前にいても、こうやって執事に尋ねるのが、祖父の常だった。  重苦しい雰囲気の中、上手く間に入ったのは富士川だった。 「遅れたのは俺のせいです、先生。すみませんでした」  華音をかばいつつ、そして師の機嫌も損ねることがないように、器用に言葉を紡いでいく。 「芹沢先生、華音ちゃんも年頃の女の子ですから。身支度に時間がかかるのは大目にみてやってください」  一番弟子の答えに何か思うところがあったのだろう。祖父はそれ以上、華音を責めることはなかった。  静かにそして淡々と、朝食の時間は流れていく。 「今日の演奏会が終わったら、少しゆっくりしようかと思っている。祥、お前を私の後継者として、もう少し鍛えてやらなくてはならんからな」  その主人の言葉を聞き、執事の乾は富士川に紅茶を給仕しながら、嬉しそうに会話に加わってくる。 「それは頼もしいですね。富士川様はこれからの芹響を背負っていかれる方ですから」 「そんな後継者だなんて、俺なんかまだまだ……」  富士川はどこまでも謙虚な姿勢を崩さない。それでも一番弟子という立場として、己の行く末はもちろん理解しているはずだ。  いずれは、芹沢英輔の後継者として音楽監督となり、楽団を率いていくことになるのだろう――それは華音も信じていた。  英輔は、富士川の隣に着席している孫の顔に、一瞬だけ目をやった。 「華音も、十六になったことだしな」  続く英輔の言葉を、富士川は慌てて遮った。 「いや、あの、そんな、華音ちゃんはまだ高校生ですし」  そう言って、富士川は砂糖もミルクも入っていない紅茶を、スプーンで何度も何度もかき混ぜる。  芹沢老人は、途端にしどろもどろになる弟子の変わりようを、面白げに眺めている。 「まあ、すべては今夜の演奏会が終わってからの話だ」  師の言葉に、富士川は華音の横で、安堵したように大きなため息をついた。
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