白鳥は最期にもっとも美しい声で歌う。

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白鳥は最期にもっとも美しい声で歌う。

 大学で経済学を専攻した。  その際に資本主義の仕組みや顧客との在り方などに関して勉強する事になった。  経済学科を出て、一流企業の商社マンに就職していく人間も多いのだと聞く。  とにかく、金を稼ぐ事が偉い。どんな事においても誰よりも金を稼ぐ事が偉い。金を稼ぐ為になら、自身の魂を売れ。その時の教授やその周辺の人間達は、そんな考えの持ち主だった。よく、経営者などを講義に招いては、経営学などを語らせていた。  白金朔(しろかね さく)にとって大学生活は苦痛に満ちたものだった。  彼は孤独だった。  両親は普通の人間だ。  朔自体に問題があった。  小中高と通っていて、友達が作れない。自閉症なのだろうか?と疑われもしたが、どうも、定型発達寄りらしい。他人を理解出来ないわけではない、空気を読む事も出来る。アルバイトもそつなくこなす事が出来る。日常生活に支障をきたしていない。  でも、朔はどうしようもない程に孤独だった。  彼にとっての逃げ場は、劇団だった。  劇団員は年齢を重ねた劇団長が、若い団員達を仕切っていた。  女性ばかりの劇団で、男性は朔も含めて三名程だった。  ある男子中学生達が集まって秘密の儀式を取り行う。  綺麗で残酷な少年の世界を描いた有名な劇を、劇団長は取り行うと言っていた。男子中学生ばかりが登場人物だったので、劇団長は、女の子達に男子学生服を着せて“男装”させた。代わりに劇の数少ない登場人物である女の子役として男子団員は“女装”させられた。  朔はその劇のヒロイン的なポジションだった。  真っ黒な髪のセーラー服の美少女。  朔は美しい顔と体型をしていた。  当時は草食系男子、といった言葉が流行るか流行らないかの時代だった。マッシュルームヘアの朔は女性団員達から人気があり、女装がよく似合っていた。 †  二十二歳になって、あるガールズ・バンドのメンバーの一人がメジャーデビューを果たした。彼女は強い耽美趣味だった。十代の頃から朔の支えだった。彼が所属していた劇団『闇の夜鳥』も、そのガールズ・バンドを高く評価していた。むせ返るような退廃的な趣味。  けれども、そのリーダーの女の子的は存在である、雷果は、そんな劇団員の世界を歌ってくれていた。彼女の独特の世界観は当時の孤独な若者達にも共感するような内容だったと思う。  朔の想い出は汚された。  雷果はいともあっさりと、メジャーで売れる為に路線変更をして、明るくて健康的でファッション・イメージも変えた。名前も雷果からライカへと漢字からカタカナに変えた。  朔は失望した。  当時はインディーズでは好き放題やって、メジャーに行けば大衆受けを狙う。そんな風潮が当たり前だった為に、雷果の方向転換もみな受け入れていた。可愛い女性が頑張っている、そんな理由でファンは付いていくのだ。結局、誰も雷果の歌を聞いていなかった。歌詞を理解していなかった。そして雷果自身もブログで、自分のかつての世界観は捨てて、前に進むと表明した。何かを得る為には何かを捨てなければならない。自分は所謂、“中二病的”な感性は捨てて大人になる、と。  強い裏切られた感情が、憎しみとなって朔の中に渦巻いた。  再び深い孤独に突き落とされた気分になり、自分が分からなくなった。  かつて、彼の心を裏切った劇団『黒い夜鳥』の団長に対する憎悪もフラッシュバックした。なので、汚れ続ける雷香をこれ以上、生かしていくわけにはいかなかった。どんなに時間が掛かっても、朔は雷香を“始末”しようと決めた。  二年後。  充分な計画と、充分に下調べを済ませてから、朔は事件を引き起こす事にした。  ライカはいつも事務所に所属しているわけでも、いつもマネージャーなどが付いているわけでもない。一人、素性を隠して向かっているBARがある。  そのBARの帰り道。朔はライカを拉致した。  合気道などの武道を習っていた為に、上手い具合にライカを無力化して気絶させて自分の車に乗せる事が出来た。  そして、彼女を拉致して自宅のマンションへと監禁した…………。  彼女の為に、雷香の為に、作曲に必要な機材は十全に取り寄せていた。  かつて雷香がヴォーカルを務めていた、ガールズ・バンドで輝いていた。バンドと言っても、実質的に雷香はギターを弾きながら歌うので、彼女一人だけでも、バンドの世界観は成り立っていたと思う。  美の定義は人間にとって多種多様だと思うが。  退廃的で豪奢なデザイン。幻想的で孤独を抱えているような世界観に、朔は強い美を感じる。それを失った、それを生み出す事を止めた雷果は“自ら汚れた”のであり“地位の為に売春婦”になり下がったのだと、朔は強く感じた。  だから、朔はライカを散々、強迫して死の恐怖を与えた後、“最後の歌と曲。そして歌詞”を作らせた。それは間違いなく、かつてライカが雷香として所属していた幻想的なガールズ・バンドで生み出した音楽であり、かつての朔の心を満たした作品だった。  雷香の新曲。  最期の、新曲…………。 「貴方のやっている事はただのストーカーよ。狂っている、異常者…………」  ライカは言う。 「分かっている。貴方は俺の理想だった。俺の人生の希望だった。救済だった」  曲を作らせながら、幾度となく、そんなやり取りは為された。 「ねえ、あんた、あたしに恋愛感情を抱いているの? それとも身体目的?」 「違う。別に君に彼氏がいようが、結婚して子供がいようが関係が無い。僕が重要なのは、君の作っていた“作品”なのだから」 “雷果”の作り終えた曲を聞いて、朔は涙を流し続けた。  劇団に所属していた頃、よく聴いていた。励まされていた……。  同じ感情が蘇ってくる…………。 「良い曲だ。雷果としての最高傑作。もう、幻想的な世界観は卒業したのかい? 澁澤龍彦は読んでいる? 倉橋由美子の『聖少女』は好きかい? 月夜の散歩である月光浴はよくするかい? クラーナハの絵に恋い焦がれる?」 「…………、…………。何を言っているのか分からない。あたしは、バンド時代の事は卒業したんだ。幼稚な世界で自閉的な世界だった。もう、そんなものに興味は無い。だから、あたしは今を駆け抜けるっ! 全部、昔、好きだったものは捨てた。成功しなければ生きる意味が無いんだっ!」  ライカのそんな言葉を聞いて、朔は酷く落胆する。  こんなものか……。  自分がずっと憧れ続けていた人間は…………。 「“あたし”は下品だ。わたし、か、わたくし、と言っていた。以前の君はね。それだけでもこだわっていた。成功する事が生きる意味か……。昔の君は違っていた。この世界に居場所が無い者達に向けてバンドをやって歌っている、と、インタビューで答えていたね。でも、今、生きる価値があるかどうかは、僕が決める」 「昔のインタビュー? それは過去。過去は過去。昔の事っ! 今は関係ないっ! それに、あんた、こんな事やって、本当にどうかしてる。あんたこそ、人生終わったんだっ!」  朔は大きく溜め息を吐いた。 「残念だよ。僕は君を始末する決心が付いた」  そう言うと、朔はライカの喉を床に置いていたロープで締め付けた。  あまりにもあっさりと、ライカは意識を失い、朔は更にロープを強く締め上げ続ける。  そして、かつて耽美的で退廃的なガールズ・バンドをやっていて、地下アイドル的なもののカリスマだった、ライカは死亡した。  朔はノートを引き千切って、自身の筆跡を変えて、殺人動機を記す。  そして、自らの事を“添削屋”と名乗る事にした。  雷香の人生の添削をしたと。  やがて、今やポップなメジャーシングルを出し続けているライカという、シンガーソングライターは死亡した。  死体を布に包んで縛って、事務所付近の廃墟ビルに放置する事にした。  犯行動機の書かれた犯行声明文を添える。  売れ始めた歌手を殺害したのだ。 “添削屋”の存在は、いずれ世間に知れ渡るだろう。  自己顕示欲が満たされる感覚は、どうなんだろうなあ、と、朔は帰りの車の中で考えていた。ニュースの報道を見て、朔は自宅のマンションで小さく溜め息を吐いた。  重要なのは、自己顕示欲なんかじゃない…………。  雷香の最後の曲は、今や朔の部屋の中で流れている。  それはとても美しい旋律を奏で続けている。  世間に対する攻撃的な歌詞に、退廃的な絶望が織り交ざっている。  それでいて、とてつもなく、繊細さを帯びている。  まさしく、あの頃に好きだった、雷香だった。 †  かつて、朔の所属していた劇団員の団長をやっていた三十代後半の男は、団員の若い女性達に性的関係を強要していた。未成年もいて未成年も強姦ないし準強姦をしていた。団長という地位。芸能界とコネがある、有名アーティストとコネがあると言ってたぶらかし、女性達は団長に従って、盲目的に性的関係を強要されていた。  劇団長は、確かに芸能人の何名かや、有名アーティストとの面識はあったが、それは名刺交換をしただけなど、コネと呼べるものではなかった。話を盛るだけ盛って、劇団の中で好き勝手に支配していた。  思春期の孤独な感受性を持っている少年少女達。あるいは青年、若い女性なら、引っ掛かりやすいからという理由で、幻想的な劇を選んでいた。結局は、不純な動機で劇団をやっていた。  朔は…………、そして、他の団員達は、劇団長に裏切られたのだ。  朔は、一人で決行する事にした。  その劇団長の喉を掻っ捌いて、始末した。  そして、朔は劇団長の死体を包んで、山の奥へと埋めに行った。  当時の他の団員達。特に被害にあった女性劇団員達の何名かは、朔が殺人を犯した事を知っていた。ただ、みな心の中で朔を称賛していた。  ライカを殺害して、朔は自身の人生の方向性を決める事にした。  次のターゲットは、小説家である。  六十代近い男性だ。  彼は、現代における、幻想文学と怪奇小説の旗手としてデビューしてヒット作を作り続けた。  直木賞と三島由紀夫賞を受賞して、天狗になり、与党のお抱え売文屋になった作家。隣国との対立を煽るプロパガンダ小説ばかり書き散らして、人種差別を先導した作家として、近年では見なされている。読者層は露骨に変わった。昔の美しい文体の調律は、今の彼には無い。日本で貧困に苦しむ人達を自己責任と馬鹿にして、トランス女性を差別的に罵る発言ばかりしている。朔が思春期に憧れていた、幻想怪奇作家の重鎮のなれの果ては、もっとも醜いものへと変貌してしまった。 「流血怪奇作家クライヴ・バーカーはまだ好きかい? 幻想作家のジュリアン・グラックの文体にはまだ想いを馳せている? ミケランジェロの『最後の審判』の生身の絵を見て涙を流して感動する心はまだありますか? かつての貴方は美しかった。俺の神様だった。二十年前に書いた、哲学者であるニーチェとサルトルに関する評論は感動したんだ。アウシュビッツの旅行記を書いていた頃の貴方の純粋な気持ちは、もう無いのかい? 全部、訊ねに向かう」  朔は凶器となるものを、再び、準備した。  最近は赤坂のホテル辺りによく出没するらしい。  短編で良い。  最期の作品を書かせよう。  あの頃と同じものを…………。  警視庁特殊犯罪課は、日本の特殊な犯罪者達を取り扱う集団だ。  朔は自身の事を“添削屋”として名乗り、犯行声明文を被害者の死体の隣に残した。  警視庁特殊犯罪課の中に、彼の犯行動機に対する理解者が現れ、彼はまるで違った名前で呼ばれるようになった。  ヨーロッパの伝承で、白鳥は死ぬ時に美しい声で鳴くと言われている。  それに例えられて、人が亡くなる直前に人生で最高の作品を残す事は“白鳥の歌”と言われている。  二件目の被害者である小説家の斬首死体の隣には、彼が犯人から書かされた“短編小説”の原稿のコピーが置かれていた。それを教養ある人間の眼に触れられた。かつて、その作家が幻想怪奇作家として栄光に満ちていた頃のような、傑作と呼べる短編だった。  故に、警視庁の一部の人間は犯人に敬意を持って、こう呼ぶのだ。  連続殺人犯『スワンソング』と。 了
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