50歳、冬

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50歳、冬

目の前の男女は、一見夫婦のようだが 間には目では見えない壁のようなものを感じた。親しいが、そうでない。例えるならば友達以上、恋人未満のような。どこかよそよそしい。 「二十五歳の時、エターナルハートを発症しました。実質八十五歳です」 そんな話を聞いても私達はいつしか驚かなくなった。多くのエターナルハート者と関わってから月日は三十五年も経っていたからだ。 つまり、私は満五十歳を迎えた。右隣に座る晴司は変わらず十五歳のままだった。 「あなた方の関係は?」 晴司の質問に彼らは一瞬目を丸くさせた。恐らく、私が主導者と勘違いしていたのだろう。さしずめ子連れで仕事をしていると思われていたに違いない。 「私達は、何とも言えない関係です」 エターナルハートの男性、宮沢景隆さんは困ったような口調で言った。 「というのは?」 「話せば長くなりまして・・・」 宮沢さんは自身の生い立ちについて話を始めた。 二十七歳の時に奥さんと子どもをいっぺんに亡くした。二十五歳でエターナルハートを発症して以来、奥さんは宮沢さんを避けるようになり別居したという。奥さんは宮沢さんの病気が治る方法は自分にあると気づいていたようだ。宮沢さんを死なせないためにわざと距離を置いたらしかった。  「別居中のことでした。妻はまだ五歳の息子を連れて運転している時、交通事故にあいました。私物から、私宛の手紙と贈り物が発見されたことから私に会いに来る途中だったのだと知ったのです。その日から私は、もう誰も人を愛すまいと誓いました」 そうして六十五年、宮沢さんは独りで生きてきた。容姿がこのままでいつまでも年老いていかないとなると、いつまでもお金が必要になるため、いつまでも働き続けなければならない。でも、好奇的な目で見られ続ける生活に苦痛を耐え兼ねて、同じ場所にいつまでもいるわけにはいかなかった。 「転々と住所を変え、職を変えてきました。そして、巡り巡ってこの人に出会いました」 隣で静かに座る彼女は谷川穂乃美さん二十五歳。素朴な印象だが顔立ちが整っている綺麗な女性だった。きっかけは職場の上司と部下の関係だった。彼女からのアプローチで最初のデートでは映画を観に行った。人に好意を持たぬよう、持たれぬようつかず離れずの人間関係を送ってきた宮沢さんだが、谷川さんには不思議と心を許したらしい。 表とは裏腹に健気でおしゃべりが好きな谷川さんを見ていて、自分にもし孫がいたならばこのくらいの年頃になっているのではないだろうかと感傷に浸ってしまうほど、愛しさを感じた。それは、罪深いと知っていながらもどうしようもなかった。 「私は自身の秘密を彼女に打ち明けました。彼女は私を受け入れ、そんな病気を持っていても構わないと答えてくれたのです」 しかし、二人で生きていくには膨大な我慢の壁が存在する。谷川さんは宮沢さんに触れられず、宮沢さんは谷川さんに触れられない。この先、いつ我慢や欲求が破裂して、愛し合うことが苦しみに値するようになるのか。それが一番恐ろしかった。だから。 「私達の心が変わってしまわない内に、予期的悲観を終えてから最期を迎えよう 決めてやってまいりました」 ここまでたどり着くのに何度話し合いを繰り返したのだろう。二人の目は迷いがなかった。残される者に説得をすることはどれだけ辛かっただろうか。 「一人ずつ、お話を伺う時間を頂いてもよろしいですか?」 晴司の突発的な言葉に二人は顔を見合わせた後、少し躊躇しながら頷いた。谷川さんはレストランを出てしばらく外で待ってもらった。残された宮沢さんは椅子に座り直して姿勢を整えた。 「個人的に訊きたいことがあるようですね」 「はい、あなたの本音についてです」 私と同じように晴司も宮沢さんの本当の思いに気がついたのか、次の質問をした。 「あなたは、谷川さんの未来を守るために自分の生涯を終わらせようとしていま せんか?」 宮沢さんはこの問いにすぐ返答できず、窓の外に立つ谷川さんの後ろ姿を眺めた。私が初対面から感じていた違和感がようやくわかった。二人は互いに気を遣い過ぎて、愛し合っているはずなのに他人以下の関係にも見えてしまっていたのだ。 「きっと彼女は」 宮沢さんは薄く唇を開いて本心を呟いた。 「これから一緒にいる時間が増えていけば増えていくほど、私を愛してくれるのでしょう。私も必ず愛は深くなっていく。たとえ我が身を引いても彼女は私を探し続ける。それでは絶対に幸せにはなれないから。それは彼女にも、あの世で待っている妻や子にも申し訳が立たない。彼女はまだ若く未来がある。こんな老人を忘れて、これから他の人を愛していく資格がある」 「彼女のために生涯を終わらせる、ということでいいんですね?」 「そうです。どうかこのことは彼女には言わないでおいてください。悲しみますから・・・」 晴司は宮沢さんの本心を聞いた後、谷川さんを呼んで対談した。宮沢さんがレストランを出るのと同時に、谷川さんは泣き出した。 「私、本当は彼を殺したくありません」 これまで大人しくしていた彼女の豹変ぶりに私は驚いた。彼女はストッパーになることを拒絶したままここに来たのだ。晴司は知っていたかのように驚きもせず彼女に問う。 「やっぱりそうだったんですね。あなたの顔はずっと強ばっていたから」 「私、彼を愛しています。愛している人 を殺すなんて残酷なことできるはずがありません!」 私の胸に鋭い何かが突き刺さった感触だった。 「なぜ、病気だからって、他の人と違うからって小さくなって隠れて生きていかなければならないんでしょう? 私も、いっそのこと、彼と同じ病気なら良かった」 他人事とは思えない悲鳴が耳にこびりついてしまった。 この人は私に似ているのだ。そして、私の心を代弁してくれている。親しみさえ湧いてしまう。 両手で顔を覆い泣き喚く谷川さんに晴司は語りかけた。 「エターナルハートになった方は、共通して矛盾を生じる傾向にあります。それは二つの恐怖を持つことです。永遠に生き続ける恐怖と、終わりを迎える恐怖です。大抵はその間をいつまでも彷徨っている。宮沢さんは、その恐怖と戦い続けた結果、あなたという安らぎに出会ったのです。それに応えるかどうかはあなた次第です」 私は外に待つ宮沢さんを呼んでくるよう晴司に頼まれ、レストランを出た。 「あの、谷川さんとのお話が終わりました。ごめんなさい、寒いところ立たせて」 出入り口付近に立つ宮沢さんはにこりと笑う。 「そうですか、ありがとうございました。彼女、泣いていたでしょう?」 宮沢さんは中での様子を陰ながら伺っていたらしい。 「少し、気持ちが落ち着くまで時間がかかると思います」 「どんなことを話していたのかは大体想像がつきます。残酷ですね、私」 否定も肯定もできないまま、私は確か なことを一つだけ伝えた。 「あなた方の愛は決して浅くはありませ ん。宮沢さんは先ほど、愛が深くなっていくとおっしゃっていましたが、もう十分。手遅れなほど深いんです」 宮沢さんは一瞬目を見開いた後、困ったように微笑んだ。 「あなたとあの少年はそっくりですね。やはり親子に間違いない」 これにはさすがに否定しようとしたが、宮沢さんは何か決意したように早足で店内に戻って行ってしまった。宮沢さんが戻ると、谷川さんは赤く晴らした目を隠すように前髪を手で乱した。 「対話は終わりました。結果、お二人にはまだ決断までの時間が足りないことがわかりました。現段階では依頼を引き受けることはできません」 晴司のこの言葉に、谷川さんはどこかほっとしている様子だった。 「人に私達のことを初めて話すことができて心が軽くなったようです。確かに、もう少しだけ時間が必要ですね。また出直すとしましょう」 「いつでもお待ちしております」 二人はお辞儀をした後、レストランを去った。晴司はウエイトレスにコーヒーを二人分追加で頼む。私は正面に座って溜息をついた。 「まだ心の準備ができていなかったみたいね」 「宮沢さんは愛している彼女の未来のために終わらせたい、谷川さんは愛する彼を失いたくない。この矛盾が双方に生じているうちは、俺は動くことはできないよ。彼らには時間が足りない。だったらその時間を設けてあげるしかない」 晴司は届けられたコーヒーを、頬杖をついて飲み始めた。私はカップに唇を付けただけですぐテーブルの上に置いた。置いた拍子にコーヒーが一滴私の手の甲に付いた。晴司はナプキンで拭いてくれようとしたのだが、私は咄嗟に避けた。 「大丈夫、自分で拭くから」 私は慌てて鞄からハンカチを出して手の甲を拭き取った。そして話題を急いで戻す。 「宮沢さんがいなくなった後、谷川さんはどうなるのかしら?」   晴司は珍しく困った様子で、少し間を空けてから答えを出す。 「いなくなってみないとわからないもんだ。初めからいなかったように自分に言い聞かせて乗り越えるか、悲しさや思い出を抱いて生きていくしかない」 そう言って晴司はまだ湯気の立っているコーヒーを一気に飲み干した。 とてもじゃないが私は落ち着いていられなかった。自分もいつかそんな日が来る、それは晴司と関わってから決まって いる未来だった。 あの日、関わった瞬間からすでに選択のカウントダウンは始まっている。 私も、いっそのこと、彼と同じ病気なら良かった。谷川さんの叫びが、痛いほどわかった。  
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