15歳、梅雨

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目が覚めると同時に激痛が全身を駆け巡る。目が覚めたことに後悔するほどの苦しさだった。だけどこの場所の居心地はとてもよくて、一瞬天国に来てしまったと思った。私は白くてふかふかのベッドに仰向けになっていて、私を見下ろす顔がすぐそこにあった。 「咲夜子!」              すぐ傍に母が泣き腫らした顔をしていた。今まで見たことがないくらい泣き喚いて私を抱きしめた。自分の身に起きたことがすぐ把握できない。 ふと、有明晴司の泣き顔を思い出す。     そうだ、私は彼を庇って、代わりに自動車に轢かれたのだ。 「お母さん、私・・・」 「無茶なことして、馬鹿。あんたまでいなくなったら、お母さんどうしたらいいの」 事故を目撃した人が救急隊員や警察に通報してくれて私は病院に運ばれたらしい。自動車の運転手は運転しながら携帯をいじっていたせいでブレーキが遅れたという。かなりの距離で弾き飛ばされた私は頭を強く打って意識を失った。病院に運ばれてすぐ緊急手術が行われた。 幸い、頭蓋骨骨折は免れたが左耳の内耳新盪症という聴力障害をおってしまっていた。 目が覚めてしばらく経っても頭痛とめまいと耳鳴りがひどかったが、治療が進むうちに緩和されていった。     でも、どんなにリハビリをしても、二度と左耳の聴力が戻ることはなかった。命には変えられない、だから後悔はしていない。 長い入院期間に瑞穂をはじめとする友人達は学校が終わると足を運んでくれたし、母は夕食を病室で毎日一緒に食べてくれた。病気や怪我をして改めて身の回りの人間が愛おしいと感じる。人生最大ともいえる今回の事故は、周囲のありがたみを感じるきっかけとなった。 改めて生きていてよかったと思う。だから左耳が聞こえなくなったことを嘆く必要はない。 それとは逆に、後ろめたいこともあった。 有明晴司の母親は頻回に見舞いに来ては、そのたび涙ながらに謝罪の言葉を口にした。私が勝手にやったことであり、人助けをして満足なのだからと言って、見舞いの品も丁寧に断った。  しかし、一つ腑に落ちない点がある。 「あの、有明君は大丈夫ですか?」 有明晴司の母親の瞼がぴくりと動く。私が事故にあって以来、有明晴司は一度も病室に趣いたことがないのだ。気まずさからそうしたのかと思った。 それとも。 自分のことばかりですっかり忘れていたのだが、彼は心臓に病気を抱えている。私が事故にあったショックで寝込んでしまった可能性もある。 「咲夜子さんのおかげで、事故はかすり傷程度で済みました。・・・晴司が病院に来られないことを許してください。あの子は病院が怖いのです」 私は眉をひそめた。 病院が怖い? 心臓病を患ったのが原因で病院恐怖症になったのだろうか。それならば仕方がないとそれ以上余計なことは訊かずにおいた。元気でいるのならそれでいい。 事故から数ヶ月が経過して、私は早く学校に戻るためリハビリに集中した。頭の包帯もすっかり取れて、歩行も杖なしでできるようになった。もう少しで退院できる。 病院の中庭で自主的にリハビリをしていると、正門からこちらを見る人物がいた。有明晴司だった。彼は敷地内と外の境目のぎりぎりの場所で立っていた。中にはいることを躊躇しているようだった。私はゆっくりと歩み彼に近づいた。 「久しぶりだね。怪我は大丈夫? 何しているの?」 こうして面と向かって会話をするのは恐らく初めてだ。よく見ると華奢で肌が白い。もし髪が長ければ女の子と間違えられてもおかしくない顔だちをしている。 彼は目を合わせると場が悪そうにしてふいと視線を地面に逸らした。 「・・・病院の中に入ろうとしていたんだ」 「どうして?」 「木暮に謝るために」 下を向いたまま細い声でそう言った。教室では一人堂々としていたが、今はとても小さく見えた。 「でも病院、怖いんでしょ? それなのに来てくれたの?」 「うん、でも頑張ってここまでは来ていたんだ。・・・毎日」 「毎日来てくれていたの?」 有明晴司は病院恐怖症なのにここへ毎日来ていた。私に謝るために。恐怖症についてはよくわからないけど、彼にとってどれほどの勇気だったのかはわかる。 「じゃあ、私がそっちに行くよ」 よっと芝生とアスファルトの境目を乗り越え敷地内を出た。有明晴司はきょとんとした顔をして一歩後ずさる。  ゆっくり話すため病院の隣にあるコンビニのベンチを借りて話をすることにした。左耳が聞こえないので、声が聞きやすいように私は彼の左側に座る。耳が悪いことは私の希望で有明晴司には秘密にしておいてもらっていた。 彼が自責の念を感じて再びあんなことをしないようにするためだ。 有明晴司が毎日持ってきていたというお見舞いのまんじゅうを二人で食べた。 「出てきちゃって大丈夫なの?」 「少しくらい大丈夫よ。ねえ、それよりも」 入院中、どうしても知りたかったことがあった。私がこうなったきっかけ。なぜ有明晴司は赤の横断歩道を渡り、真ん中で立ち止まり、そして微笑んだのか。考えちゃいけないとわかっていても、当時の彼の意図に気づいてしまう。 「あの日、わざと渡ったでしょ?」 有明晴司は目を伏せて黙っていたが、しばらくすると口を開いてまた細い声で話をした。 「死にたいと思ってた。いや、死んでみたいと思ってた」 本人から直接事実を聞くはやはり胸が詰まる。一瞬息ができなくなるも込み上げてくる悲しみの感情をどうにか押さえ込んだ。 「それは、病気になったせいで? 病院が嫌いになったのも病気のせいなの?」 有明晴司は頭を掻いて質問の答えに詰まっている様子だった。 「俺がどんな病気なのか知ってる?」 「先生が教えてくれたから少しは……」 「じゃあ話が早いね」 有明晴司は苦笑いを浮かべた後、不登校の間にあった出来事と交通事故当日について教えてくれた。私は右耳の聴力に神経を集中させる。 「学校を休んだ最初のきっかけは病気のせいじゃなかった。噂通りズル休みをして一人で旅行に行っていたんだ。好きな画家の展示会があって。でもその帰りにばあちゃんが危篤に陥ったと連絡が入ったんだ」 「おばあちゃんが?」 「そう。病院に駆けつけていよいよ息を引き取ってしまうというところで、俺は心臓が苦しくなって倒れた。ばあちゃんが死んだと同時に、エターナルハートを発症してしまったんだ。エターナルハートは不死の病というけれど、唯一の治療法があるって知ってる?」 私は首を横に振る。 「唯一治る方法は、心臓を止めるストッパーが存在すること。ストッパーはその人にとって一番大切な人で、お互いに身を寄せ合うことで副交感神経っていうリラックスさせる神経が働くんだ。それで徐脈になっていきやがて心停止する」 「つまり、エターナルハートが治るってことは、死ぬという意味なの?」 「普通ならそう捉えるよね。でも、特定疾患に規定されている内容は、エターナルハート者の心停止は死亡ではなく完治として定義すると書かれていたよ。つまり、ロボットの機能停止と同じ扱いということだから、例え死体が転がっていたとしても事件沙汰にはならないってわけ。死体になっても腐ることも朽ち果てることもない様から『眠る』とも言われているんだ」 私は身震いした。 「ロボットだなんて・・・。どうしてそんな扱いを受けなくちゃいけないの?」 「表では綺麗事ばかり言われるけど、裏では毛嫌いされている差別的な病気でもあるんだよ。神に嫌われた病とも皮肉を言われている。ある国では生贄にされたり、魔女狩りの対象になったりしているそうだよ。俺は日本に生まれたのがラッキーだったな」 有明晴司の話は私にとって衝撃的だった。 それでは彼は人間扱いをされていないことと変わりないではないか。無知な自分を愚かだと思った。なんて残酷な病気なのだろう。私の心臓は壊れてしまいそうなほど動悸していた。 「どうして好きで病気になったわけじゃないのに、怯えなくちゃいけないんだろう」 「そうだな。びくびくしなきゃいけないなんておかしいよな」 有明晴司はまるで諦めきったように困った顔で笑った。 「俺にとって、一番大切な人はばあちゃんだった。母子家庭で母さんが仕事で忙しいから、よく面倒を見てもらっていたんだ。その大切な人が目の前でみるみる白く冷たくなっていくのを、二度と開くことのない瞼を見てしまったから、死への拒絶が強く出て俺はこの病気を発症したんだろう。エターナルハートはまだ詳しく解明できていない病だけど」 「それじゃあ有明君は、そのままの姿で永遠に生き続けるってこと?」 恐る恐る尋ねると、彼は案外平気そうに答えた。 「ストッパーがこの世界からいなくなったなら、俺の心臓は永遠に動き続けるだろうね。やっかいなのが、木暮の言うとおりこの姿のまま成長できないってことだ。この先どうやって生きていこうと考えていたら、面倒くさくなって死にたくなった。でも自動車に轢かれたところで心臓が無事なら拍動を続けるだろうし、意識を失っても俺は生存し続けるんだ。だったらいっそ心臓を潰すしかないね」                              実際に、自分の心臓を故意に潰すなんて恐ろしいことができるはずない。誰かに頼むわけにもいかない。彼の抱える苦痛は図り知れなかった。生き物には寿命があって、いつか必ず心臓は止まる。それが普通なのに、だんだんこの世界は普通が通用しなくなっているのだ。不老不死の少年がここにいる。私が大人になって年老いて、やがて死んでしまっても彼だけはこのままで有り続ける。その様にふと、造花を思い浮かべた。 「木暮には悪いことをした。本当にごめん」 「私のことは気にしないで。ねえ、ストッパーがこの先現れる可能性はないの?」 「心から愛する人って、そう簡単にできないよ。ばあちゃんは、俺の全てだったんだ。これからばあちゃんより大切な人は現れるのかな」 ストッパーが現れなかったら有明晴司はいつか独りぼっちになる。自分がその立場だったらどうだろう。想像しただけで恐ろしい。皆先に進んでいくのに自分だけ置いてきぼりにされて、やがて自分を知る人がいなくなって独りで生き続ける。まるで生き地獄じゃないか。皮肉にも、彼が今死にたいという気持ちが共感できてしまう。きっと自分でもそうしたくなるはずだから。 「じゃあ、私が有明君の一番になるよ」 自然にそんな言葉が口から出た。数秒間沈黙が流れてはっと我に返る。 案の定、彼は呆然と私を見つめていた。 「あ、告白のつもりで言ったんじゃないよ。有明君がそうやって悩んでいる時に私が傍にいれば、それだけで少し楽になればいいなって思っただけだから。だから、私達、友達にならない? 一番の友達に」 変に誤解される言い方をしたが、私は本心からそう思っている。二度とあんなことをしないように。有明晴司が独りにならないように。 彼は少し考える仕草をした後、嬉しそうに笑った。 「ありがとう。そんなこと今まで誰にも言われたことなかった」 私より一回り大きい手を差し出してきた。握手のつもりらしい。 「なんだか照れくさいけど、よろしく」 ややあって私はその手を握った。緊張で汗ばんでいる手を有明晴司はどう思うだろうか。 有明晴司の手は鉄みたいに冷たくない、生きている人の暖かい手だった。 「よろしくね。今の話、恥ずかしいから皆には内緒だよ。私はもう少しで学校に行けるから、またそこで会おう」 「わかった。学校で待ってる」 私と有明晴司はこの日から友達になった。初めて男の子の友達ができて、その上秘密の約束もした。だから新鮮で浮かれていたのだ。 彼の一番になるということは誰にも秘密だった。エターナルハートは幅広く知られているものではないし、姿がこのまま変わらないこと意外は普通と何も変わらない。どのみち誰も私達の関係には気づきはしないだろう。 私が彼を救いたい、その気持ちに偽りはなかった。しかし、彼の一番になるということは、私が有明晴司の人生をいつか終わらせてしまう意味に繋がっていた。 無垢で無知な私は、まだこのことに気づいてはいなかった。
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