18歳、夏

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18歳、夏

この世界には大きく分けて二種類の命がある、と私は思っている。簡単に言えば、寿命を迎える者と永遠に生き続ける者。そして目の前にいる男の子とロッキングチェアに座る高齢の女性は、どちらも後者である。五歩程度離れているだけなのに、二人との距離は果てしなく感じてしまう。まるで私を置き去りにして別世界に行かれてしまったような、そんな感じ。 「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらの椅子に腰をかけてくださいな」 真っ白い髪をなびかせて、ロッキングチェアを静かに揺らす彼女は国原夏乃さんという。見た目は七十代くらいに見える。しかし、実際はそうじゃない。 豪華な家具が備え付けられた部屋。草花が生い茂る鮮やかな庭。広い敷地。この豪邸に今三人しかいないのが勿体無いくらいだ。 洋風の一室の窓から見える庭のあちらこちらには、かつて一緒に住んでいたと思われる人の私物が置いてあった。物置小屋の横には男性用の大きな農作業着、花壇ブロックの上には子ども用の小さなシャベルやおもちゃ。皆、どこに行ったのかは大体想像がついてしまう。 「いいえ、このままで結構です。それよりもさっそくお話を伺いましょう」                                            有明君は淡々と話を進める。先ほど私達にもてなされた紅茶はテーブルの上に置かれたままで、湯気は消えてすっかり冷めているようだ。私達はこうして出される飲食物には決して口を付けない。そう二人で約束した。要は『道連れ』にされてしまう可能性があるからだ。毒や劇物が含まれているかもしれないという疑いは、必ず持っていないといけない。前にうっかり口にした時は地獄を見た。 自暴自棄になった依頼主が、私に手渡した飲み物に劇薬を入れていたのだ。あの苦しみは表現しきれない。すぐに病院で処置が施されて大事には至らなかったが、毎回都合良く助かるはずはない。 彼女は少し残念そうに微笑んだ。 「それで? あなたが私と同じエターナルハートの方かしら?」            銀縁の眼鏡をかけた国原さんは、レンズ越しにじっと有明君を見つめた。薄く 青みがかった瞳の色が、まるで海の底のようで神秘的だった。 「よくわかりましたね」 「外見と裏腹に中身が年相応ではない気がして。真実、お連れの方と歳は変わらないんじゃなくて?」 お連れの方、つまり私のことである。確かに有明君と私は同い年だ。しかし、同じではないことがある。 「実年齢は彼女と同じ十八歳です。でも外見は十五歳のまま止まっています。国原さん、あなたは八十歳の時にエターナルハートを発症したと伺いましたが、実年齢は百二十歳を超えている、そうですよね?」 一般的には信じがたい会話が私の頭に入り込んでくる。でもそれにももう慣れてしまった。経験とは恐ろしい。同じ場面を何度も繰り返すとそれが普遍化してしまうのだから。それならば死はどうだろう? 何度も死を体験すれば、いつか慣れて恐ろしくなくなるのだろうか。私はいつか一度だけ死を体験することができるが、この二人は永遠に死を体験することのない運命を背負っている。その運命を覆すために私達はこの女性と出会った。 有明君と友達になってから三年が過ぎた。私達は高校を卒業してそれぞれ別の空間で過ごすことが多くなった。私は地元の大学に通い、有明君は自宅でアフィリエイトをしている。 無時間性運動心臓病、エターナルハートを十五歳で発症した有明君を救うため私は情報を集めた。どうしたら病気が治り、普通の人と同じように生きていけるのか。どんなに調べても根本的治療はなかった。年々発症率も上がっているし、発症した人の大半はストッパーを必要としている。 ストッパーは、エターナルハートの心臓の拍動を徐々に弱らせ、やがて緩やかな死へと導く役割を持つ者を示す。発症者が最も愛した者がそうである。三年前に私は、彼の一番の友人になると宣言した。今思えば安易に口にするものではなかった。少し成長して熟した脳ならすぐにわかることだ。言い換えれば私は、有明君が死ぬ手助けをしているのと同じなのだ。宣言を撤回しようとしたけれど、あの嬉しそうな有明君の顔が浮かんで、結局言えないまま今日に至る。 三年前に比べて彼のあどけなさはなくなった。滅多に笑わなくなったし、鋭い目線が合うとつい恐縮してしまう。外見は変わらずとも中身は私と同じく大人に近づいている。何も知らない人は『大人びた十五歳』に見えるだろう。この春に高校を卒業したばかりだというのに、有明君の姿は高校生のまま時が止まってい る。 「ええ、今年で百二十一歳よ。夫は若くして戦争で亡くしたし、子どもも私を置いて旅立ってしまった。もうこれ以上思い残すことはないの。それでも私は病気で死ねない。不思議な時代になったものね。病気はすぐに死を連想させるのに、私にとっては生を感じさせるの」 国原夏乃さん、百二十一歳。彼女は八十歳にエターナルハートを発症して、時が止まってしまった。 その頃はまだ発症率がゼロに等しく、詳しい検査を重ねてようやく診断がついたという。取材陣が押し寄せ、テレビ出演も懇願されたが強く断ったらしい。 「新種の動物を見つけたみたいに取り上げられてしまったけど、初めはね、素敵な病だって喜ばしかったのよ。子どもも、孫も、ずっと子孫を見守っていけるなんてね。でも皆私を置いて先に逝くの。その内夫も恋しくなってしまったわ。ああ、どうして私だけあなたに会えないのかしらってね」 「それで僕のホームページを見つけたんですか?」 有明君は高校二年にとあるホームページを立ち上げた。それはエターナルハートの人が、人生を最高に終わらせるためのもの。私と有明君はホームページに問い合わせがあった人と直接会い、話をした。例え待ち合わせ場所が遠くてもバイトをして貯金をして旅行費を貯めたり、依頼主が出してくれたりすることもあるなど色々。劇薬を盛られた話は、孤独で欝になったエターナルハート者が私達をどうにかして道連れにしようとした出来事だった。 その人は海に身を投げて消えた。きっとまだどこかで生きているだろう。一度はそこで怖気づいたけど、有明君のために持ち直して未だにこの仕事をしている。 「夢みたいだった。まさか私が旅立てるなんて。この鋼鉄のような心臓を、あなた方が止めてくれるのでしょう?」 国原さんはうっとりとして両手を組んだ。有明君は一枚の書類をテーブルの上に広げた。 「正確には僕があなたのストッパーになるわけではなくて、あなたにとってのストッパーを探す役割を果たします。だからあなたの話をもっと聴かせてほしい。現在この世で最も愛している者、人でも、動物でも良いです。そして、それを一人思い浮かべることができたのなら、この同意書にサインをしてください」 有明君が出した書類は、ハートストップといって他人助力による心臓停止の同意書だ。 この世界には永遠に生き続ける者を人間と思わない人がたくさんいる。死ぬことがないからと言ってエターナルハート者を故意に痛めつけ、快楽のために傷つける。発症者増加に伴い、そんな事件が増えつつある。ハートストップは加虐目的ではなく、エターナルハート者の人権を守り、本人にとって最高の最期を迎えさせる手助けの同意に基づいて行われる。 「夢の切符というわけね。ええ、もちろん書くわ。本当にあなたを信じていいのね?」 国原さんは綺麗な字で自らの名前を書いた。これは人生が終わることを意味する同意書だというのに、彼女の目は希望に満ち溢れわくわくしているように見えた。 「これで良いかしら?」 「はい、結構です」 そして有明君は、いつも同意書を受け取る時、とても悲しい顔をする。 「ああ、百年ぶりの夫とのデートはどん なかしら?」 まるで少女のように国原さんは頬を赤く染めて舞い上がる。これまで朝地と共に依頼主を眺めてきたが、多数が幸せそうだった。それが私にとっては複雑で仕方がなかった。 だって、私だったら死にたくないもの。 死より怖いものなんてない。 有明君もただ病気を治したいだけで、本当は死にたくないはずだ。ホームページに魅了された依頼主と関わっていけば何らかのヒントが得られると私は考えている。 「私の大切な者はね」 国原さんが浮かべた大切な者は意外なものだった。行方の知れなくなったその者を私達は探さなければならない。見つけられなかった場合、同意書は白紙に戻り国原さんの心臓は止まることはない。 「手がかりが不十分過ぎる。人間なら住所がわかりそうなんだけど」 「まさか『猫』だとは思わなかった」 私達は豪邸を出てストッパーの探索を開始する。国原さんが指定したのは猫。予想外の展開に私と有明君は頭を抱えた。猫は国原さんが飼っていたのだが、年老いて体が弱ってしまったため動物病院に預けていたらしい。ところがある日病院から逃げ出してしまった。それ以来行方がわからない。生きている確証すらない。それなのに国原さんは猫が生きている自信があるように感じた。 「運が良ければ誰かに拾われたか、悪ければ死んでいるか」 「どっちにしろ一匹の猫を探し当てるなんて無理難題じゃない? 情報が最後に撮った写真一枚と名前、あとは動物病院の住所。最悪そっくりな猫を国原さんに渡すしかないんじゃ・・・」 自分でも卑怯な提案だと思う。有明君は納得がいかないように首を横に振った。 「それでも国原さんが信じ込めば完治するだろうけど、それじゃ詐欺だ。契約違反になる。猫が生きていようが死んでいようが、その末路を国原さんに伝えなくちゃいけない」 「じゃあ街中に張り紙でもする?」 「古い手段だ。今はSNSがある」 有明君はスマートフォンを器用に操作してさっそくSNSで猫の情報を呼びかけた。彼のアカウントにはすでにたくさんフォロワーがいて、タグ付けをすればあっという間に拡散されていく。たった十分で千件以上のユーザーに知れ渡った。 「老猫なら逃げてもそう遠くには行けないだろう。まだこの街の中にいるかもしれない」 「これで情報提供を待つだけね」 「いいや、これは保険だよ。俺達は俺達で猫の足取りを追わないと」 私達は猫が預けられていたという動物病院に行く。受付にいた若い動物看護師に事情を説明し、とりあえずカルテを探してもらうことになった。待っている間、有明君は渡された猫の写真をじっと眺めていた。 「どうかしたの?」 「猫がいなくなったのは十年以上も前だと国原さんは言っていた。自宅で飼っていた時点で十五歳の老猫、今も生きているとすれば二十歳を当に超えている。どうして生きていると信じているのかがわからない」 「確かにそうだね。それにしてもその写真、猫と別れる前に最後に撮ったものなんだって言っていたけど、ずいぶん古そう」 有明君は何気なく写真を裏返しにする。すると何かを見つけたらしく目を大きく見開いた。 「まさか・・・」 しばらくすると看護師が戻ってきた。 申し訳なさそうに、カルテは見つからなかったと告げられる。 「カルテの保管期間が過ぎていて処分されてしまったようです。しかし外出している獣医師に連絡してみたところ、その猫さんのことを覚えていると言って話を伺いました。その子は特別な病気を持っていたそうで……」 「特別な病気というのは?」 看護師に尋ねる前から有明君は特別な病気の正体がわかっているように見えた。その病名を訊いて私は驚愕する。 「そうか、だから国原さんは、猫が今も生きているとわかっていたんだ」 その時、有明君の携帯から通知音が聞こえた。SNSでも猫に関する情報提供者が出た。 その数の多さに比例して、国原さんと猫の歴史を垣間見るような心境だった。         もし推理が合っているならば、時間の流れの尊さを私は強く噛み締めることになるだろう。  
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