18歳、夏

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数日後、豪邸に再び足を運ぶと、国原さんは相変わらずロッキングチェアに腰掛けて揺れていた。 「いらっしゃい。あの子を見つけてくれたのかしら?」 国原さんは皺だらけの顔をほころばせて私達を出迎える。 「はい、飼い主と連絡が取れて事情を説明しました。とても良い方で猫を連れてこちらへ向かってくれるそうです」 「そう、それは楽しみだわ」 「国原さん、訊きたいことがあります」 有明君は国原さんから渡された猫の写真を取り出す。 「十年以上前に猫が病院から逃げたんですよね? 当時、猫は十五歳だったとあなたはおっしゃいました。でもこの写真 からその矛盾が生じます」 国原さんは驚きもせず、何も答えず静かに有明君の声に耳を傾けていた。 「写真の日付は今から四十年も前です。当然、今猫が生きているわけがない。普通ならばあなたにからかわれたのだと腹を立てますが、僕は動物病院の獣医師の話を聞いて、SNSからの情報を集めてやっとわかりました。猫もあなたと僕と同じ、エターナルハートだったんですよね?」 四十年前、獣医師は連れられた老猫を検査して目を疑ったという。十五歳の老猫は、エターナルハートを発症していた。飼い主の国原さんに尋ねたところ、五十年間共に暮らしていたと知る。 写真を返された国原さんは、愛しそうに見つめる。 そして、秘めていた真実を語った。 「私が三十歳の時だからもう九十年も 前の話よ。その頃はまだ赤ちゃんでとても小さかった。そして、十五歳を迎えたと同時にあの子は倒れた。もう寿命だと思って諦めていたら、その子はまた生き続けたの。気づけば五十年、一緒に過ごしたわ」 エターナルハートの最初の発症者はアフリカに住む少女と言われている。しかし動物が発症した例はかつてないはずだ。九十年前に猫がエターナルハートになっていたならば、他の動物も人知れず発症しているのかもしれない。 「こんなに長生きする猫はいないでしょ? だから怖がらせないように家族以外には内緒で飼っていたの。でも子も孫もだんだんあの子を気味が悪くなりはじめて・・・。そう思うのも仕方がないと思っているわ。だから私だけはできる限りあの子の傍にいてあげようと決めたのよ」 突然別れの時はやってくる。国原さんは四十年前、心臓発作を起こし検査入院することになった。 「いよいよ私にもお迎えがきた。このまま入院したら、きっと二度と家に帰れない、あの子に会えないと嘆いたわ。私がいなければあの子はずっと独りぼっち。誰の引き取り手もつかなかったからやむを得ず病院に預けてしまった。ところが・・・」 「あなたの病はエターナルハートだった、そうですか?」 有明君の言葉に国原さんはゆっくりと頷いた。飼い猫と同じ病気になるなんて、偶然にしては出来すぎている。運命というものが本当にあるのだと思った。 「私は死なずにこのままの姿で生き続けることができると知った時、真っ先にあの子へ会いに行ったの。でも時は遅くて、あの子は病院からいなくなってしまって いた」 暖かい風が吹いて、庭の風車がカラカラと音を立てた。 この場所で独り生活をしていた国原さんは、行方の知らない猫を待ち続けていた。四十年間ずっと独りで。 有明君は用意されていた椅子に腰掛け国原さんにSNSの画面を見せる。 「へぇ、今はこんなに便利なものがあるのねぇ」 「猫は九つの名前を持っていました。つまりSNSから情報提供者が九人もいたんです。病院から逃げ出した後に猫を保護した、いわゆるあなた以外の飼い主達です。ひとりひとりにコンタクトをとることができました。皆さん大切に飼っていたようです。今もいなくなった猫を探している人もいます。猫は脱走を何度も繰り返し、そして現在、こちらに向かっている新しい飼い主の元にたどり着いたわけです。脱走するなんて無茶をするでしょう。老猫で歩くのがやっとであるにも関わらずに、まるで誰かを探しているみたいではないですか?」 動物には帰省本能があるといわれている。病院から逃げ出した猫は、ずっと国原さんを探し歩き、その途中で人に保護され飼われた。とても大切に飼われていたはずなのにそれでも場に留まらず家の外へ飛び出した。 国原さんを探すために。 「そう、そうだったのね」   国原さんは目を閉じて一筋涙を流した。その涙は写真の上に落ち、滲んでいく。 「国原さん、どうしても疑問に思うことがあります。なぜ僕達に猫がエターナルハートであったことを、最初から言わなかったんですか?」 有明君と私が疑問に思っていた点だ。国原さんは指先で涙を拭き取った後に答えた。 「あなた達に依頼する前に、何人かの探偵を雇ったの。その時には全てをお話したわ。けれど皆私がぼけたと思って鼻で笑い帰っていった。それがとても屈辱的でね、つい意地悪しちゃった。でもね、有明さん。あなたもエターナルハートならすぐに気づいてくれると信じていたわ。試すような形になってしまってごめんなさい。年寄りの意地だと思って、私の気持ちを汲み取ってくださいな」 国原さんは長いまつげでウインクをした。彼女の心は少女のまま時が止まっているのかもしれないと思ったら、なんだか素敵だった。 「さて、旅に出る準備も出来たし、何も悔いはないわね」 国原さんは立ち上がり、丸まった腰を伸ばした。そして庭の方へ歩き出す。 「そろそろ来るかしら?」  エンジン音が聞こえて、門の前に一台 の車が停まった。運転席から優しそうな男性が降りてきて、こちらに向かって会釈する。後部座席からペットキャリーを取り出している。中に真っ白で大きな猫が入っていた。 「お二人とも、ありがとう。あなた達に幸あれ」 国原さんは男性に向かって歩いていく。その後ろ姿を私と有明君は見守った。 「さあ、みいこちゃん。いらっしゃいな」  国原さんは両手を広げて中腰になる。その涙声が私の耳に届いた時、目から涙が溢れた。 「にゃあ」 ドアの開けられたペットキャリーから猫が出てくる。よろよろと地面を歩き、膝まづいた国原さんに渾身の力で擦り寄った。 「ああ、やっと、あなたを力いっぱい抱きしめられる時間がきたわね」 そう言って国原さんは優しく猫を抱き上げ、その場に座り込んだ。 四十年ぶりの幸せな再会の時間が数分間流れた。 有明君が、この言葉を呟くまでは。 「もう、眠ってしまったね」 吹いていた風がぴたりと止んだ。 きっとこの光景をずっと忘れないだろう。 私は足が竦んで動けなかった。この瞬間はいつまで経っても慣れることはない。 確認したくない、でも、確認しなければならない。 「行くぞ」 有明君は迷わず歩き出した。私は一度深呼吸をして感情を整えた後「うん」と返事をする。 私達は国原さんに近づいた。 「あの、大丈夫ですか?」   猫を連れてきた男性は心配そうにおろ おろしていた。有明君が国原さんと猫の様子を確認する。 「大丈夫です、眠っているだけです」 国原さんと猫は、眠るように百二十年と九十年目の夏、その生涯を終えた。 庭に咲き誇ったひまわりが二つ、また風で揺れ始めた。
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