18歳、夏

3/3
前へ
/14ページ
次へ
「お互いがストッパーだとは思わなかったな」 帰りの電車内、放けている私に向かって有明君が言った。 SNSは悪いことばかりだと思っていたけど、いいことにも使える。悪いことっていうのは人の悪口や自分に酔って書いた世界の批判。だから私は電話もパソコンもない、遠い相手とのやりとり方法が手紙だけという時代に生まれたかった。 「今までもこうやって見てきたけど、有明君は一度も泣いたことないよね?」 「これは一種のビジネスだ。情に振り回されていたらやっていられないだろ?」 「それもそうだけど・・・」 電車内は満員で、やっと一つ空いた席に私を座らせて、有明君はつり革に捕まり前に立っていた。 それにしても、国原さんが最後に言った言葉が気になる。 「ねえ、国原さんはもしかしたら自分が猫のストッパーだとわかっていたから、ずっと猫を抱きしめられずに暮らしていたのかな?」 やっと、あなたを力いっぱい抱きしめられる時間がきたわね。   猫がエターナルハートになってから、国原さんは病気のことを調べたはずだ。そしてストッパーの存在を知った。もしかしたらその日以来、猫を抱き締めることを我慢していたのかもしれない。 「ストッパーは、結局自分が相手を死なせることと同じだから」 見上げると、有明君は窓越しに通り過ぎていく夜景を真っ直ぐに眺めていた。   三年前と変わって、眠るではなく死という単語を使用するようになった。 見た目は変わらなくても成長している。 物事の考え方だってもちろん変わっていく、本人にはとても言えないけれど、私は有明君は有明君のままでいてほしいと思った。 彼を救うためのヒントは、今回も見つけ出せなかった。有明君とこうして過ごしていると、一日が終わるのがあっという間だ。 電車が急停止して人々が揺れてぶつかり合 い、怒号が飛び交う。 「私は、君を死なせたくない」 私は誰にも気づかれないようにそう呟いた。有明君は三年前に私が言ったことを、まだ覚えているのだろうか。 目の前で揺れた小さな身体。ふわりと幼い香りがした。いつしか私の弟のような存在になった同級生。 有明君、君はね、いつまでもその香りでいてもいいんだよ。大人になっていく私を安心させてくれる匂いがするんだよ。 君が変わらずにいてくれることで、私もいつまでも少女のままでいられる気がする。でも反対に、お互い大人になって一緒に年老いて死ぬのも素敵だなと思う。矛盾していてごめんなさい。どんな姿をしていたってかまわないから、今はこうして傍にいられれば十分。 国原さんと同じく、私も有明君に触れられなくなってしまった。私が触ったことでもし、彼が眠ってしまったらと思うと恐ろしい。 正直、今もこれからもどうしてあげればいいのかわからない。 彼がずっとこのままだったらいいのに、彼が大人になったらいいのに、そんな自分勝手な葛藤が揺れた。電車と一緒にガタゴトガタゴトとやかましく、不安定に。 午後十時に家へ着いた。母はリビングのテーブルにサランラップをかけた夕飯を準備していて、腕を組みながら椅子に座っていた。口をへの字に曲げて怒ってる。 「毎日毎日遅い帰りですこと」 耳が痛い私は申し訳なくて背中を丸めて椅子に腰掛けた。飲みに行って帰りが遅くなったサラリーマンの気分だ。 「遊び歩くなら勉強するかバイトしてほしいわね。お母さんだけの稼ぎじゃいっぱいいっぱいだし」 「バイト、というかボランティアはしてるんだけど」 「まだ、あの子と関わってるの?」 どきりとした。あの子、というのは有明君のことだ。 「あの子と関わるのはよしなさい」 「何でそんなこと言うの?」 「何でって、一度大事な娘を失いかけたきっかけがあの子でしょ? 現に左耳の聴覚を奪われたじゃない」 「奪われたって、私が勝手にやったことだよ。人の命助けたのがいけなかった?」 怒りが湧いてくる。母は長くため息をついた。 「大体、あの子病気じゃない。友達なら百歩譲って許してあげるけど、恋愛はだめよ。あなたが泣く羽目になる」 この言葉を聞いて、いよいよ私は憤慨した。恐らく生まれてから初めての反抗であり、こんなに怒ったことはない。 「お母さんからそんな言葉聞くとは思わなかった! 病気の偏見が嫌いなくせに、よくそんなこと言えるね!」 「私は、咲夜子のことを考えて・・・」 「嘘、ちっとも考えてない。私が有明君に泣かされる? 上等よ」 「あの子は歳をとらない。あなたは年老いてくの。それに耐えられるのって言いたいの!」 「もし、お母さんが歳をとって死んだ後、お父さんと天国でまた会えた時、若いお父さんに老けた自分を見られるのは嫌? 私はそんなこと思わない。お互いどんな姿だって好きでいられるから」 「咲夜子・・・。私は、またあなたが痛くて苦しんでいるところを見たくない」 母の声はだんだん小さくなっていき、やがて顔を覆い隠して泣いてしまった。私は後ろからおぶさるように母を両腕で包み込んだ。 「大丈夫。お母さんを独りにはしない。お母さんは有明君を知らないだけ。私だってあいつに関わらなかったら、何も知らないままだった。甘いお菓子が好きで、動物が好きで、野菜が苦手。不器用だけど自分より人のことを考える。お母さんも関わればわかるよ。今度、家に連れて来てもいい?」 母はしゃくりあげながら何も言わず首を縦に振った。 後日、有明君が家に来た。初めはぎくしゃくしていたけど、話しているうちに二人とも表情がやわらかくなっていった。 どうやら彼に対する偏見は消えたらしい。 有明君が帰った後、母は冗談を言った。 「咲夜子と並んで座っていると、姉弟みたいだった」 「見た目が幼くなくても、中身は私の方がお姉さんだと思うけどね」 そうして、母と私は笑い合った。喧嘩したことなどすっかり忘れてしまっていた。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加