「ウチのうちにウチがいる」

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「美春さん、お待たせしました」  俺が背後からそう声をかけると、彼女は跳び上がって驚いた。寒かったのか、その手には缶コーヒーが握られている。 「おっ、遅いわ! 三十分は経っとるで!?」 「ちょっと連絡しないといけないところとかありまして。でも、三十分も経ってはいないですよ。今でちょうど二十二分です」 「まあええわ。それより、さっきちょうどまたウチのが窓のところに来てんて。ほら、見て」  俺は彼女の指さす方を見上げた。窓の向こうにいるその人物は、確かに竹宮美春そのものに見える。 「確かに、竹宮美春に見えますね」 「せやろ!?」 「ところで、ちょっとこれを見てもらって良いですか?」  俺は手に持っていた雑誌を開くと、彼女の方に差し出した。彼女は素直にそれを受け取ったが、直後に困惑した声をあげる。 「暗くてよう見えへんのやけど」 「じゃあ、もう少し明るいところに行きましょうか」  俺達は、連れだって街灯の下へと向かった。そして、その明かりで照らし出された俺の顔を見た途端、彼女は驚きで裏返った声をあげた。 「かっ、笠井君やない!? 誰なん、君!?」 「それに答える前に、まずは先ほど渡したものを見てください」  彼女はまだこちらを警戒する素振りを見せながらも、言われた通り、俺が渡した雑誌に目を落とした。 「ええと、『交通事故で入院していたアイドルグループ〝ショコラティエ〟の竹宮美春が今週、完全復帰した。竹宮は以前にストーカー被害に遭っていたことから、事故ではなく事件との噂もあったが、竹宮はこの噂を笑顔で否定』……あれ? ストーカー? なんやっけ? なんか思い出せそうなんやけど……」 「それより、その写真を見てください。そこに写っているのは誰ですか?」 「誰って、ウチやろ?」  彼女は雑誌にもう一度目を落としてそう答える。 「それはつまり、竹宮美春のことですね?」 「他に誰がおるのん」 「では、これを見てください」  俺はそう言って、今度は手鏡を差し出した。きょとんとした表情でそれを受け取った彼女だったが、鏡に映った自分の姿を見た途端、狼狽して悲鳴をあげた。 「なっ、なんやこれ!? なんやこの顔!? これがウチ!? 嘘や! こんなん嘘や!!」  パニックを起こした彼女の両肩をがしっと掴み、俺はその顔を正面から見据えた。これをやるのももう五回目くらいなので、こちらとしては手慣れたものである。 「いいですか、落ち着いてよく聞いてください。さっきあなたが言った通り、私は竹宮美春のマネージャーの笠井秋典ではありません。そしてあなたも、竹宮美春ではない。さっきあのうちにいたのが、本物の竹宮美春なんです」 「うっ、嘘や! そやったら、ウチはいったい誰なん!?」 「これから私が話すことを受け入れるのは、今のあなたには難しいかもしれません。しかしそれでも、これが現実なんです」  そうして俺は、彼女に向けて語った。  彼女は、〝ショコラティエ〟のオーディションで自分を負かした竹宮美春を恨んでつけ回し、ついには竹宮美春を巻き込むかたちで交通事故を起こしたのだと。  そして事故で頭を打ったショックで記憶が混乱し、自分こそがオーディションに受かった竹宮美春だと思い込むようになったのだと。 「そ、そんな……そんなん、嘘や……」  彼女は脚から力が脱けたかのようにぺたんとその場に座り込むと、ぼろぼろと涙を零した。街灯に照らし出されたその泣き顔は、客観的に見れば、雑誌の中で笑っている〝竹宮美春〟のように美しくはない。  しかしそれでも俺には、その顔がたまらなく愛おしく思えた。  俺は座り込んだ彼女に向けて、右手を差し出した。 「さあ、いっしょに帰りましょう。あなたの本来いるべき場所へ。大丈夫。私は……私だけは、あなたを見捨てたりはしません」  彼女はしばらくの間、俺の手を無視してぐすぐすと泣いていた。しかし俺がいつまでも手を引っ込める様子が無いのを見ると、おずおずと俺に向けて自らの手を伸ばしてきた。俺はそんな彼女の手を引いて立ち上がらせる。  帰り道、俺に手を引かれて歩く彼女は、鼻声で俺に問いかけてきた。 「なんでそんなにウチに優しくしてくれるん……?」 「それはもちろん、あなたを愛しているからですよ。あなたの方は、私のことなんて覚えていないかもしれませんが」 「でも、ウチこんな顔やのに」 「関係ありませんよ、そんなこと」  確かに彼女の顔は、事故のせいで元の顔を想像できないほどひどく変わってしまっている。  しかしそんなことは、俺には関係ないのだ。  俺は、他の奴らとは違う。
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