焼却炉

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 小学校六年間、過ごしているととても長いように感じる年月は、終わってみればあっという間に感じるものである。体育館で行われている卒業式の主役は、浩一を含む六年生であった。  浩一の身長は、おじいさんと初めて出会った日と比べると三十センチも伸びて、すでにおじいさんの背丈を超えてしまっていた。  皆が思い思いに教室で別れを惜しむ中、浩一はすぐに教室を後にしておじいさんの元を訪れた。おじいさんはいつものように、焼却炉に枯れ葉をくべていた。 「おじいさん、今日までありがとうございました。無事、卒業することができました。次郎も、ありがとな」 「卒業おめでとう。浩一君ももう中学生か。まったく、年を取れば取るほど、月日が経つのは早いものだな」  浩一の満面の笑みに、おじいさんのしわくちゃの笑みが返す。そんな様子を見上げる次郎。 「良かった、焼却炉に火を入れていてくれて。今日はおじいさんに最後のお願いがあってきたんだ」  浩一は手さげ袋から円筒を取り出してポンと蓋を開けると、卒業証書を開いて見せた。 「卒業証書か。もう何十年も見ていなかったな。今日はそれを見せに来てくれたのかい?」 「うん、それもあるけど……」  浩一は口ごもりながらも、 「これを、この焼却炉で燃やして欲しいんだ」  と、意を決したように続けた。 「卒業証書を、燃やしてしまうのかい? お父さんやお母さんに見せなくちゃいけない、大事なものなんだよ」  おじいさんはしどろもどろに返答するも、浩一は、 「知ってる」  とだけ言って、焼却炉の中でパチパチと燃える枯れ葉をしばらくの間ぼんやりと見つめていた。クウン、次郎が心配の声を上げる。浩一は、大丈夫だよ、と次郎の頭を撫でてから口を開いた。 「おじいさん、覚えてる? ずっと前に僕に、焼却炉は忘却炉だって教えてくれたでしょ。忘れ去ってしまうんだって。僕も初めはそう思っていたんだけど、それは違うってことに気が付いたんだ。悪い点のテストをこの焼却炉で燃やしてから僕は、もうそんなことをしちゃいけないんだって思うようになったんだ。おじいさんに会う度に、次郎に会う度に、焼却炉を見る度に、いつも思い出す。忘れるのはほんの一時的なもので、それよりも大事なものが、なんていうのかな、心に刻まれたというか、忘れるのとは違うのかなって思ったんだ」  ただただ呆気に取られた様子のおじいさんはやっとのことで、 「でもなんで、卒業証書を?」  とだけ口にすることができた。 「それはね、今日という日にこの卒業証書を燃やすことで、おじいさんや次郎との思い出が、ずっと僕の心の中に残るんじゃないかって思ったんだ。卒業証書なんかなくても、忘却ではないから、むしろ心に刻まれるから、全然悲しいことなんかじゃないんだ」  おじいさんは、あ、あ、と何度か言葉を詰まらせてから、憂うような円らな瞳を目一杯見開いて浩一を見つめていた。  そんなおじいさんを横目に浩一は迷うことなく、ふっと一つ微笑んで、卒業証書を焼却炉に投げ入れた。厚い紙は縮まり、黒い穴を開けた。  全てが灰になったことを確認した浩一は、空に舞う灰色の煙を見上げ、 「さようなら」  と、静かに告げた。そんな浩一のぴんと伸びた背中を見たおじいさんも、空を見上げ、 「さようなら……ありがとう、ありがとう……」  と、呟いた。目には今にも零れ落ちそうなほどに涙を浮かべながら、くうんとすがる次郎の頭を撫でるのであった。  幾分かの時間、二人は空に昇る煙の尻尾を見上げていた。尻尾は次第に細く、灰色も薄くなっていき、とうとう空に溶けるように完全に消えた。  浩一は微笑みを置いて、焼却炉を後にした。
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