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第1話
人を好きになるのに理由はいらない、と、少女漫画の主人公が言っていた。だったらきっと、愛を告げることにも理由はいらない。その愛が本物じゃなくたって、たぶん神様は許してくれる。
人生初の告白をした。青春とか、甘酸っぱさとか、そういった感覚は一切なかった。春の日差しで頭がやられて、気が狂っていたわたしは、もてあました感情を、誰かにぶつけたくなったのだ。
一夜明けた今、その相手はすぐそこにいる。黒板の前に座って、えらそうに腕なんか組んでいるくせに、うつらうつら頭は前後に揺れている。
水曜日、2限目、古文のテスト。
シャープペンシルの動く音が連鎖する。36人の女子高生が椅子に座って、同じ問題を解いている。伊勢物語83段、小野の雪。主人公の男と隠居した親王の話。
「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは」
なんて素敵で切ない歌。こんな素敵な物語なのに、辛そうに頭を悩ませるなんてバカみたい。わたしは何度目か分からない見直しを終えて、あなたの寝顔をじっと見つめた。
生徒の様子を監視するわけでもなく、自分の仕事をするわけでもない。1番目立つ位置にいるあなたが寝るなんて、他の先生に見つかったら怒られますよ。わたしはポケットから携帯電話を取り出した。
「寝ちゃだめですよ」
メッセージを送ると、あなたの目がゆっくりと開いた。それからすぐに返事が来た。
「テスト中に携帯いじる方がだめですよ」
「カンニングではありません」
「もう全部できたの」
「できました」
「優秀だね」
「先生に褒めてもらいたくて」
「えらいえらい」
「心がこもってません」
席から見えるあなたは、ちっともわたしを見ようとしない。真面目ぶっているけれど、わたしと同じように携帯電話を開いていることを、わたしだけが知っている。
わたし、遠坂凛子は病んでいる。そう、昨日診断された。女子高生のうなじが好きなド変態教師に。
わたしがあなたの異常性癖に気づいたのはずっと昔。あなたが女子高生のうなじを見つめるより多く、わたしはあなたを見つめてきた。気づいたら目で追っていた、とか、そういう純愛チックなものではなかった。わたしはあなたを、観察し続けてきたのだ。
「ねぇ、先生」
「なぁに」
目を合わさずに、声を発さずに会話をする。画面に映った無機質な文字が、本当にあなたから発信されているのか、よくよく考えたら疑わしいわ。だってあなたはわたしを見ない。表情一つ変えないんですもの。
「もしこのテスト満点だったら、ご褒美ください」
「ご褒美って」
返事を打とうとしたら、試験終了を告げるチャイムが鳴った。わたしは素早く携帯電話をポケットに戻した。
「はい、回収回収」
あなたはようやく立ち上がって、教師の職務を全うする。1番後ろの生徒が、みんなの問題を回収していく。
――ああ、疲れた。全然分かんなかった。
テレビの電源がついたかのようにざわつく教室。窓から流れ込む初夏の風。次々と席を立っていく女の子たちが、スローモーションのようにゆっくりと見えた。席に着いたままなのはわたしだけ。わたしとあなたの、ふたりだけ。
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