第1話

1/12
前へ
/64ページ
次へ

第1話

人を好きになるのに理由はいらない、と、少女漫画の主人公が言っていた。だったらきっと、愛を告げることにも理由はいらない。その愛が本物じゃなくたって、たぶん神様は許してくれる。 人生初の告白をした。青春とか、甘酸っぱさとか、そういった感覚は一切なかった。春の日差しで頭がやられて、気が狂っていたわたしは、もてあました感情を、誰かにぶつけたくなったのだ。 一夜明けた今、その相手はすぐそこにいる。黒板の前に座って、えらそうに腕なんか組んでいるくせに、うつらうつら頭は前後に揺れている。 水曜日、2限目、古文のテスト。 シャープペンシルの動く音が連鎖する。36人の女子高生が椅子に座って、同じ問題を解いている。伊勢物語83段、小野の雪。主人公の男と隠居した親王の話。 「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは」 なんて素敵で切ない歌。こんな素敵な物語なのに、辛そうに頭を悩ませるなんてバカみたい。わたしは何度目か分からない見直しを終えて、あなたの寝顔をじっと見つめた。 生徒の様子を監視するわけでもなく、自分の仕事をするわけでもない。1番目立つ位置にいるあなたが寝るなんて、他の先生に見つかったら怒られますよ。わたしはポケットから携帯電話を取り出した。 「寝ちゃだめですよ」 メッセージを送ると、あなたの目がゆっくりと開いた。それからすぐに返事が来た。 「テスト中に携帯いじる方がだめですよ」 「カンニングではありません」 「もう全部できたの」 「できました」 「優秀だね」 「先生に褒めてもらいたくて」 「えらいえらい」 「心がこもってません」 席から見えるあなたは、ちっともわたしを見ようとしない。真面目ぶっているけれど、わたしと同じように携帯電話を開いていることを、わたしだけが知っている。 わたし、遠坂凛子は病んでいる。そう、昨日診断された。女子高生のうなじが好きなド変態教師に。 わたしがあなたの異常性癖に気づいたのはずっと昔。あなたが女子高生のうなじを見つめるより多く、わたしはあなたを見つめてきた。気づいたら目で追っていた、とか、そういう純愛チックなものではなかった。わたしはあなたを、観察し続けてきたのだ。 「ねぇ、先生」 「なぁに」 目を合わさずに、声を発さずに会話をする。画面に映った無機質な文字が、本当にあなたから発信されているのか、よくよく考えたら疑わしいわ。だってあなたはわたしを見ない。表情一つ変えないんですもの。 「もしこのテスト満点だったら、ご褒美ください」 「ご褒美って」 返事を打とうとしたら、試験終了を告げるチャイムが鳴った。わたしは素早く携帯電話をポケットに戻した。 「はい、回収回収」 あなたはようやく立ち上がって、教師の職務を全うする。1番後ろの生徒が、みんなの問題を回収していく。 ――ああ、疲れた。全然分かんなかった。 テレビの電源がついたかのようにざわつく教室。窓から流れ込む初夏の風。次々と席を立っていく女の子たちが、スローモーションのようにゆっくりと見えた。席に着いたままなのはわたしだけ。わたしとあなたの、ふたりだけ。
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!

158人が本棚に入れています
本棚に追加