158人が本棚に入れています
本棚に追加
わたし、遠坂凛子は考える。たとえば好きな人ができたとして、その人にはすでに運命の人がいたとするならば、好きな人は運命の人ではないのだろうか。結婚したら恋は終わり、その相手以外に愛することを禁じられるなんて、なんて肩身が狭いことなのでしょう。
わたしは思う。どんなおいしいお菓子もやがて腐ってしまうように、どんなに深い愛情も、いつかごみくずになってしまうのではないのだろうか。だったら恋愛というものは、子孫を残すためだけに神様が与えた機能なんじゃないかしら。だったら別に、愛情なんて、必要ないんじゃないかしら。
そんなことを考えながら眠った土曜日。そして変化が起きた、日曜日の朝。
ピンポーンというインターホンの音で目が覚めた。寝ぼけ眼で時計を見ると、まだ朝の10時である。休日は昼過ぎまで起きないわたしは、安眠を邪魔されたことにはなはだ不快であった。もう一度寝ようと布団に潜る。それを察知したように、ピンポンピンポンとチャイムが吠える。
「お、おばーちゃーん……」
いつもいるはずの祖母を呼ぶ。返事はない。そうだ、昨日から旅行に行っていたんだった。ちくしょう。宅配便でも来たのだろうか、そんなことを考えながら、わたしは仕方なく布団を抜け、苛立ちを手に込めて思いきり玄関の扉を開けた。
「おはよう、凛子ちゃん」
「……せ、先生?」
びっくり、した。だってだって、今日は日曜日で、ここはわたしの家で、あなたはいつものスーツじゃないし、そもそもこんなところに現れるはずないし。
だけど目の前にあなたは立っている。さらさらした黒い髪。知的な眼鏡。爽やかなストライプのシャツに、ラフなズボン。うん、見慣れない格好だけど、どう見ても本物。
「ど、ど、どうしたのですか」
「家庭訪問。お母さんいる?」
「いません。誰もいません」
「ならよかった。お邪魔します」
「ちょ、ちょっと」
戸惑うわたしを押し退けて、あなたは図々しく家の中に入っていった。ぽかんと立ち尽くすわたしの方を振り向いて、ちょっとバカにしたように笑う。
「ジャージ、新鮮」
そこでようやく、わたしは自分がどんな格好でいるのか自覚した。中学時代のよれよれジャージ。しかも小豆色。ああ、なんて恥ずかしい。逃げ出したくなる気持ちをぐっと堪え、わたしはあなたのあとを追った。
ひとまずあなたを居間に座らせたあと、慌てて洗面所に行って顔を洗った。ついでに歯も磨いておこう。ちくしょう、着替えたいけど時間がない。再び居間に戻ったら、あなたは呑気にテレビを見ていた。
「凛子ちゃんひとり暮らしなの」
「祖母と暮らしてるんです。こっちのが高校に近いから、住まわせてもらっているの」
わたしは冷蔵庫から緑茶を取り出して、二つのコップに注いだ。
「おばあさんは?」
「昨日から旅行中」
「じゃあ、いいタイミングで来たんだね」
「いえ、最悪です」
わたしはテーブルの上にコップを置いて、あなたの向かい側に腰掛けた。
「どうして」
「……わたし、昨日寝つけなかったの。だからあんまり、かわいくない」
あなたは目をぱちくりさせたあと、おかしそうにくすくす笑った。
「凛子ちゃんはかわいいよ。特にうなじが」
「この変態。ド変態」
「見せて。俺はそのために来たんだ」
緑茶を一気に喉に流し込むと、滑るようにわたしの隣へ移動した。
最初のコメントを投稿しよう!