プロローグ

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プロローグ

「先生の子供がほしいんです」 夕暮れの教室で佇むあなたに、形ばかりの愛を告げた。校庭から響く運動部のかけ声。なびくカーテン。黙り込んだ机たち。床に伸びた二つの影。オレンジ色の光に染まるあなたは、わたしを異常者みたいな目で見て笑った。 「いきなりどうしたの、遠坂。風邪?」 「違います」 「俺、結婚してるよ?」 「知ってます」 「俺、おじさんだし」 「おじさん大好きなんです」 「だったらおじさん困らせるようなこと言わないでよ」 困ったように下げられた眉が、なんだかとてもわざとらしい。困ってなんかいないくせに。うざったいと思っているくせに。予想どおりの反応だから、動揺なんてしてあげない。 「でも先生、女子高生好きですよね」 「女子高生が嫌いなおじさんってなかなかいないと思うよ」 「だったらここは喜ぶべきなんじゃないでしょうか」 「いや、だから結婚してるんだって。遠坂、彼氏いないの?」 「います。3人くらい」 「予想より多かったよ」 「でも、そんなの予行練習なんです。先生とお付き合いするための」 「勉強熱心だなぁ」 あなたは感心するように息を吐いた。ちらりと横目で廊下を見やって、誰にも聞かれていないことを確認する。別に聞かれたっていいのにな、と、わたしは能天気なことを思う。加害者はわたしなのだから。 「でも、子供がほしいなんて、女の子が簡単に言っちゃだめ。世の中にはこわいおじさんもいるんだから」 「どうしてもだめですか」 「だめだめ、だーめ」 わたしはちょっとふてくされた顔をしてみせた。泣いてやろうかとも思ったけれど、残念ながら涙は流れてこなかった。 「わたし、子供がほしいんです」 「それ、告白のつもり?」 めげずに繰り返すと、あなたはうーんと唸って頭を掻いた。 「ならせめて、もっとストレートに言いなよ。いや、ある意味ストレートだけど」 「だって、先生ってばモテるから。好き、なんてありふれた言葉、すぐお忘れになると思って。一生忘れられないように、この言葉を選んだの」 脳みそに深く刻み込めるように。鼓膜に、傷をつけられるように。いやらしくて、気持ち悪くて、衝撃的な言葉を選んだのだ。 あなたは心底気味悪がって、降参するように両手を上げた。 「分かった、分かった。じゃあ聞くけどさ、俺のどこが好きなの」 「授業中だるそうにしてるところとか、隠れて煙草吸ってるところとか。嫌いな生徒の評価下げてるところとか、あと、女子高生のうなじが好きなところも、全部」 余裕ぶっていたあなたの顔色がさっと変わった。 「最後、なんて?」 「うなじ、好きなんですよね」 「何で知ってるの。誰にも言ったことないのに」 「わたし、知ってるんです、先生のこと」 わたしはちょっと勝ち誇ったような気分になった。あなたの首を絞めているネクタイに手を添える。そうしたら、この人の所有権がわたしに移ったような気がした。 「だから、わたしを放置しないでください」
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