第7話

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マンションから出たら、雨はもうやんでいた。雲の隙間から見える星が、淡く光を放っている。夜風が冷たい。春本番にはまだまだ遠くて、体の芯まで凍えてしまいそうだ。わたしは唇をきつく結んで、早足で家へと向かった。振り返ってはいけないと分かっていた。期待なんてしてはいけない。追いかけてなんてくるはずがない。 髪を切りたいな、と思った。色も染めてみたいし、ピアスだってあけてみたい。お化粧道具を揃えて、新しい自分になりたい。そしたらきっと、奥さんとは全く別の女になれるだろう。もう似ているなんて言えないだろう。そうだ、そうすればいいのだ。あなたを、失望させればいいのだ。 わたしは歩調を緩めて、左手をじっと見つめた。あなたがくれた愛はもうどこにもない。わたしが、自ら捨てたのだ。そう気づいたら、なんだか急に悲しくなった。さみしくなった。 あなたはわたしを追いかけてこない。強がってはみたけれど、明日も会える保証なんてどこにもない。終わるかもしれないし、続くかもしれない。ただ一つ分かっていることは、あなたはわたしを愛してはいない。それだけが、たった一つの揺るぎない事実。 呼吸がうまくできない。瞳がどんどん潤って、視界がぼんやり滲んでいく。ごしごしと手の甲で目をこすっても、涙はまったくとまらなかった。 わたしと同じ速度で、恋に落ちてくれたらよかった。 距離が縮まるのと同じ速度で、わたしを愛してくれたらよかった。 こんな時に思い出すのは、優しい思い出ばかりだ。夕暮れの教室。誰もいない静かな海。さみしさを抱き締めた夏の夜。あなたがくれた偽りの愛ばかり、思い出してしまうのだ。 わたしはえんえんと泣きながら、ひとりぼっちで夜空の下を歩いた。迷子になった子供のように、不安が溢れてとまらなかった。さみしさは風になって、わたしの髪を揺らすばかりだ。
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