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おぼつかない足取りで赤羽のアパートに帰ると一人絶望に打ちひしがれた。
このアパートは高校卒業後からずっと住んでいる部屋だけれど、ここも退去する手続きをしていて今月末でもう出ていかなければならない。
ネットバンキングを覗いてみると貯金は残り五万円しかない。この金額では敷金礼金が払えないし新しい部屋は借りられないだろう。
スマホのホームボタンを押してネットバンキングアプリを閉じた。
ホーム画面にしている甘島の海の写真が視界に入り一瞬心が癒される。
いつみても息をのんでしまうようなエメラルドグリーンの海に、白い砂浜がとごまでも続く。上空にはコバルトブルーの真っ青な空が広がっていて、近くに生えている植物のグリーンがとてもいい味を出している。
この世の楽園、もう一度行きたい。
去年の少し早めの夏休みのことだった。付き合って一年目の記念日に隆一が突然甘島に行きたいと言い出した。
「甘島?」
「そう。俺小さい頃にテレビで見てからさ、ずっと行きたかったんだよ」
「……えーロスかハリウッドがいいんだけど」
国内への興味がなかなか沸かない私に、隆一はパンフレットを広げた。
「沖縄の本島から高速船で一時間なんだよ。ほら見ろよ、この海!ここで尚と二人で遊んで俺きっと幸せだよ。ねぇ尚、駄目?」
猫のように甘えてくる隆一の顔を見ていたら不思議と一度くらいなら行ってもいいような気がしてくる。
「もう仕方ないなっ」
着くまでは乗り気じゃなかったけれども、甘島は想像以上の場所だった。
高速船を降りるとエメラルドグリーンの海に目を奪われた。
宿泊先の民宿へと続く一本道の道端はさとうきびが浜風にふかれてゆらゆら揺れていた。
甘島では、とにかく海で泳いで、疲れたら砂浜に上がり空を見ながら休む、そしてまた泳ぐその繰り返しだった。
夜には満天の星空が広がる。
真っ暗な浜辺に寝転びながら隆一は言った。
「俺、会社定年したらここに住もうかな」
「えーええええっ!!ヤダ!旅行に来るんならいいけど、コンビニもないし、洋服屋もないし、エステもないし!」
「そこがいいんだよ。お前にはわかんないかもしれないけどな」
「何なのよ!」
フグみたいに頬を膨らませた私の頬を指でつっつき、耳元で囁いた。
「星も綺麗だけど、俺には奈緒の方がきれいに見えるよ」
隆一のキザな顔を見ているとこっちまで幸せな気持ちになった。
二人で見上げた夜空には満天の星空が輝いていた。
けれどすぐに現実が襲いかかってくる。私が今いる場所は甘島でもなんでもなく、木造二階建て築25年のコーポ赤羽橋下の204号室だった。
仕事も派遣会社を今月で退職することになっている。
この先どうしたらいいのだろうか。
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