1.幸せの絶頂を襲った悲劇

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夜中、何度も目が覚めた、隆一が違う女とどこかに行ってしまう夢を見て目が覚める。 寝ようとしても眠れない。嫌な汗を一晩中かいていた。 朝7時30分、ショッキングピンクの目覚まし時計がけたたましい音で鳴った。 目を開けなくてもベッドの横の窓からは夏の強烈な日差しが朝を知らせてくれている。 なんとか目を開けスマホを確認すると、ホーム画面の甘島の綺麗な海に癒されたけれど、隆一からは何の着信も受信もなかった。 大きなため息をつきながら、ショッキングピンク色の机の上に置かれた淡いピンク色の鏡を覗きこむ。 窓から入ってくる強烈な日差しが鏡に反射して眩しく座る場所を変えた。 「何この顔!!」 よくよく見ると鏡に映っている自分は別人のようだった。目の下には大きなクマができていて、顔はパンパンにはれ、自慢のくっきりとした二重のラインがぼやけていた。 慌てて緊急時用の高級パックを取り出し、リンパマッサージをする。けれどどれだけやった所で状況は一向によくならない。 巻きゴテでカールを何回も作ろうとするけれどなかなかうまく決まらない。そうこうしているうちにテレビから朝八時をつげるワイドショーの軽快な音楽が流れた。 「やばい、また遅刻しちゃう……」 いつも遅刻する度に怒ってくる煩い高島部長の顔が思い浮かんだものの、こんなに決まってない髪形と顔で会社に行くわけにはいかない……。 「今日は8月20日です。今日は月曜日なので今日からから仕事という皆さんも多いと思います」 テレビでは陰気なアナウンサーが社会人の夏休みの終わりを淡々と告げていた。  「仕方ないよねっ、よしっ!」 自分に気合を入れると、お風呂を沸かすスイッチを押し鏡の前でポーズを作った。  「むくみ取り大作戦!開始!」 派遣社員は若さと外見が何より大切なことだ。誰もが口にはしないが、誰もかもが知っている。 私は生まれた時から勉強が嫌い、底辺と言われる大葉加高校もやっと卒業したぐらいの頭の良さだ。 けれども、若くて顔がまぁまぁでスタイルが良い私への仕事の依頼は沢山あった。 けれど25歳を過ぎた頃から、職場を首になると次の職場が見つかりづらくなったし、見つかってもどんどん条件が悪くなった。 今を逃すと急加速で安売りしないといけなくなる。 だから27歳の今年、お金持ちの隆一と結婚して仕事もやめる手筈を整えた。 これからどうしたらいいのだろうか。 六本木の有名ビルの中にあることだけが気に入っている今の勤務先のattack first。創立十年目で社員が全部で50人しかいない小さな会社だ。 オフィスを廊下からそっと覗くと、中では相も変わらず皆が皆、忙しく働いていた。 「別に一人ぐらい遅刻したっていいよね」 そっとドアを開けようとしたその時だった。 「一人ぐらいじゃないんだよ。一人だけなんだよ!」 高島部長の怒鳴り声が私の真後ろに聞こえた。 恐る恐る振り向くと予想通り、般若の顔をした高島部長が立っていた。 高島部長は今年40歳だけれど、説教臭くて大嫌いだ。 これぐらいの男性は私が何しても大目に見てくれるか、私を毛嫌いしていなかったものとするかどちらかなのに、高島部長はそのどちらでもなかった。 朝も昼もずっと説教するのだ。 見つかってしまった、どうして昨日からこんなについていないんだろう。 「もう十時なんだけど。君の勤務時間は午前九時からじゃないのか!」 「……ごめんなさい」 「いや、本当に困るんだよね。これで何回目だ?社会人としての自覚あんのか!」 部長がいつも通り眉毛を釣り上げ、永遠に怒鳴り続ける。 「次に遅刻したら、契約期間あと10日残ってるけれど、もう来なくていいから」 「……ごめんなさい」 とりあえず反省している感じを出す為に頭を深々と下げた。こうすると部長の怒鳴り声がどんどん小さくなっていくのを私は知ってる。 「……次はないからね。社会人としての自覚持ってくれよ!」 部長は小さなため息をついて自分の席に戻った。 私は大きなため息を吐きながら自分の席に座ると、隣の席の三十三歳の既婚二児のパパである伊藤さんが話しかけてきた。 「奈緒ちゃん、また怒られちゃったね」 「うん、私、昨日結婚式で眠れてなくて大変だったのに。部長って本当にムカつく」 伊藤さんは結婚式というワードには触れずに私の体を下から上まで嘗め回すようにみた。 「そうだよね、ところで奈緒ちゃん今夜こそ飲みにいかない?いいバー見つけたんだよね」 気持ちが悪くなり、休憩室へと逃げることにする。 「男ってどうしてみんなこうなんだろう」 席を立ちながら小声で呟くと、かみ殺しきれない大きなあくびがでた。 今の会社は休憩室のお菓子とコーヒーが飲み放題だ、そこはまぁまぁ気に入っている。 休憩室のガラスから外を覗くとビルの真下に観光客が沢山見えた。 変な洋服着て、パッとしない髪型の量産型の人たちがしきりにうちのビルを背景に写真をとっている。 「何が珍しいんだろう。馬鹿じゃないの」 コーヒーを注いだカップにミルクを入れようと小さな円筒状の容器を開けようとした。 すると蓋には日本の海百選がプリントされているのが目に止まる。 ちょうど手に取ったミルクは甘島の海と WELCOME SWEET ISLAND とプリントされていた。 「ようこそ、甘島へ」 そう呟くと何故だかわからないけれど激しく心が揺さぶられる。
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