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そう簡単には甘島に行くことはできない。飛行機の運賃も高いし、宿泊した星砂荘だって一泊数万円するらしい。
お金持ちの隆一がいないと低賃金で働く私には行くことができない夢の島だ。
何もかも疲れて休憩室に逃げ込むと、部長に見つからないように奥の自動販売機の影に隠れた。
ため息をつきながらコーヒーを一口飲む。
何をするわけではなく隆一との思い出に浸っていた。
記念日には薔薇の花束をかかえて会社の前で待っていてくれたこともあったし、二人で突然思い立ったように会社を休み奥日光まで出かけたこともあった。
けれど今の隆一は変な女に騙されておかしくなっている。
誰かが休憩室に入ってくる音がして慌てて我に返る。
「あーあ疲れた」
「本当」
ランチを一緒に食べている派遣仲間の祐美と明子の声だ、この子達は結婚式に招待したもののどうしても外せない用事があるらしく断られてしまった。
だから結婚式の顛末を聞いてほしい、無性にその想いに駆られた。
自動販売機の陰から出ていこうとしたその時だった。
「奈緒見た?今日も遅刻してたね」
「見た!ワザとらしく落ち込んでるふりなんてしてさ」
「本当、毎日毎日、いい加減にしてほしいよね。あいつのせいでうちらまで派遣の契約切られたらどうしてくれんのよ」
「もう本当嫌だ。あいつ大嫌い」
「私も!そういえば聞いてよ!昨日飲み会で聞いたんだけど、あいつ前の派遣先でさ、上司とできちゃって、色々騒ぎ起こしたらしいよ。奥さんが会社に乗り込んできてさ」
「うわっ、不倫便器女じゃん」
二人がいやらしく笑う声が小さくなって消えた。給湯室から出ていったようだ。
思わずその場に座り込んでしまった。三年前のことなのに、どうして明子が知っているのだろう。
同じ時期に派遣され、毎日一緒にランチして仲良しだと思ってたのに……大切な女友達だと思ってたのに……
東京の人間は信用できない。
もう嫌だ。
全てが嫌だ。
星砂荘まで続く坂の途中に三件のお土産物屋さんがあった。それぞれお菓子と食品とお土産物に分かれていて棲み分けがきっちりされているから感心してしまった。
レンタカーを運転する隆一の肩を叩いた。
「ねぇねぇ、あそこ寄りたい」
レンタカーを駐車場に止めて、車から出ると人のよさそうな三人のおばあたちがニコニコして出迎えてくれた。
「あらー東京?大都会からわざわざようこそ。ゆっくりしていってね」
「そうじゃ、さとうきび食べるかいな?」
「さとうきび!?」
驚く私の顔を見て、おばあの一人が嬉しそうに店の奥へ入っていった。
「奈緒、さとうきびもしらないの?」
「知らないっていうか、知っているっていうか……」
ごにょごにょとごまかしているとおばあが戻ってきた。
「ほらこれかじってみて」
おばあから手渡された竹のようなものをおそるおそる口に持っていく。
「……あまい!美味しい」
「よかったな」
その場にいるおばあ達のくしゃくしゃな顔がさらにくしゃくしゃになった。
あのおばあ達がここにいてくれたならこんなに傷ついて可哀想な私を優しく慰めてくれるだろう。
涙が枯れ果てようやく自分の席に戻ると、コピーしなくちゃいけない資料が山ほどのっていた。
「はぁ」
大きなため息が出る。
「藤田さん、お客さんにお茶出して」
高島部長が隣の会議室から顔を出し、大声で叫んだ。周りの人たちが急かすように冷たい視線を向けてくる。
ここにいるみんなが敵なのだ、みんな私のことが嫌いなんだ。
机の横においてあった鞄の中からスマホを取り出した。けれど隆一からの着信はなかった。思い切って隆一に電話をかけてみる。
「この電話番号はお客様のご都合により」
相変わらずのアナウンスが流れるだけだった。
「藤田さん!業務中に携帯使うなんて!何様だ!!」
遠くから部長の怒鳴り声が聞こえる。部署のみんなが私を見ている。
みんな私のことを嫌いなのだろう。
もう嫌だ。何もかもすべてが嫌だ。
スマホのホーム画面を押すと甘島の綺麗な海が見えた。
波の音の背後から三味線の音が聞こえる。真っ白な砂浜にエメラルドグリーンの海、透明な水の中を泳ぐカラフルな熱帯魚達。
「藤田さん!聞いてるのか!早くお茶!それとその資料、正午の会議に使うから早くコピー!」
部長の怒鳴り声が遠く聞こえてくる。今この瞬間、私の頭の中であることが決まった。
「藤田さん!どうした?具合でも悪いのか?」
部長がいつの間にか私の隣まで来て、何か言っているが、もう頭に入らなかった。
あの海を眺めながら幸せに暮らそう。そうすればいつか隆一が迎えに来てくれるだろう。
あの海が私を呼んでいる。
「部長、私、もう仕事辞めます」
「……あっ!?」
部長が声にならない声を出した。口をあけたまま閉じるのも忘れている。
「もう私向いてないんです!東京で暮らすことに!私はもっと自分らしくいられる場所に行きます!」
フロアのみんなが唖然としてこっちを見ている。部長が何か言いかけた次の瞬間、私は鞄を掴み急いでオフィスを出ていった。
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