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とめどなく溢れる涙が、ようやく乾いた頃、ワインの酔いは覚め始めていた。
風船が萎んでいくように、冷静さを取り戻すと、今度は、自分の化粧が崩れてるんじゃないかと、気になり始めた。
かなり泣いたし、酷い顔をしているはず。
自分の顔を想像したら、無性に恥ずかしくなって、おもむろに顔を手で隠した。
「あの。ちょっとお手洗いに⋯⋯」
俯きがちに彼に声を掛けると、バックを持って、化粧直しに席を立つ。
お手洗はどこだろう――。
ちょうど目線に入った人影が、奥の通路へと消えていった。あぁ、あそこかな。
すれ違いざまに、肩がぶつかりそうなくらいに狭い幅の通路を進んで行く。
経年変化が感じられる、木目の壁に付けられた照明が、ぼんやりと通路を飴色に照らし、グレー色のタイル床までも、同じ色に染めていた。やっぱり好きだな、このお店。
通路のつき当たりを右に曲がって、しばらくそのまま真っ直ぐに進んで行くと、そこはなぜか、行き止まりになっていた。
正面のレンガ壁には、長身の男性でも全身が映せるくらいに大きな鏡が掛かっている。
何かがおかしい――。
人影がこちらの方へ消えたはず。
見間違いか、気のせいだろうか。
もう酔いは、だいぶ冷めているのに。
それにしても、なぜ、人が来ない場所に、こんなに大きな鏡が掛かっているのだろう。
その鏡に映る自分が歪んで見えた。
やだ。まだ、足元がフラつくのかな。
だいぶ飲みすぎちゃった。
でも、気分はそんなに悪くない。
いまだに「飲みニュケーション」だなんて、化石的文化の存在を信じる、職場の男性上司たちと行く、居酒屋での酔い方とは、明らかに違った。
もっと大きな幸福感に優しく包まれているような、そんな感じ。
床が生き物のように動いて見える。
さっきまでは、気を張っていたから、平気だったのかもしれないけれど、いよいよ、酔いが回り出したのかも。やだなぁ。
慎重に壁をつたいながら、通路を引き返すと、トイレの表示が目に入る。
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