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見慣れた地元の景色に別れを言って、またあのバーへと戻っていた。
サラは、タクシーに乗り込んでからずっと、話し掛けて欲しくないと言うような空気を纏って、反対側のガラス窓の外を眺めたまま、黙ったきりだった。
つい今朝方、俺の正体を知ったときよりも、横顔は暗く曇っていた。
さっきまで、無邪気な笑顔を見せて、過去の事実の変化を喜んでいたはずなのに。
サラの膝に置かれた手に俺の手を重ねた。
その手はとても冷たかった。
そして、小さく震えていた。
「離れたくない」という悲痛な叫び声が、繋いだ手から伝わってきそうなくらいに。
視線だけは、窓の外の遠ざかる景色を、切なく見つめていた。
大鏡を通り抜ければ、遠い過去や未来へも、一瞬にして行けるのに、別れの場所へと導くタクシーの道のりは、スローモーションのように長かった。
最後の時間は、サラと過ごした数ヶ月間のように、とても深く濃い時間だった。
まるで鳥の羽根のように、脳裏に次々と浮かぶ、二人の思い出は、しばらく浮遊した後で、ふわりふわりと揺れながら、舞い落ちて沈んで行く。
今もはっきりと脳裏に焼き付く、サラとの思い出を、全て忘れてしまうなんてことが、本当にあるのだろうか。
抗うことのできない力によって、じりじりと引き寄せられた星々のように、俺たちは惹かれ合い、こうしてまた何かの力によって、離れ離れになっていく。
これが宿命ってやつなのだろうか――。
為す術もなく、ただ目をつぶり、サラの震える手を、強く握ることしかできなかった。
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