初めての海と 初めての人

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 私は知明を供養しに岩手を訪れたはずだ。  しかし、知明は生きて私の目の前に現れた。  私は軽々しい口調とは裏腹に、本当に嬉しかった。  それからふたりで10年ぶりとなる時間を過ごすなかで、いつの間にか逞しさを身に付けていた知明に私はまた少しずつ惹かれていたのだと思う。  しかし、ああ。  なんということだろう。  いま私の目の前にいる男は、知明はやはり死んだのだと言っている。  自らを私への復讐を心に秘めていた知明の双子の兄、金子俊明だと言っている。  さっき読んだ日記には、私と出会ってから別れるまでの知明の心境が写真とともに綴られていた。  そして最後の日記には、私にも語らなかった別れの理由が克明に記されていた。  自分が一緒にいることで私が自らの虚栄心で壊れてしまうと感じた知明は、決まっていた就職を蹴ってまで大船渡へと戻ることを決めたのだという。  その結果として知明は津波に巻き込まれて死んだ。  俊明は、知明を虐げ、大船渡に戻るきっかけを作った私をずっと恨んでいたのだ、と、涙を堪えながら口にしている。  俊明の言葉を借りれば、今日の私に起こった出来事のすべては、慰霊祭の会場で俊明が私の姿を見つけたことが始まりだった。  慰霊祭のあとで偶然を装って近づいた俊明は、一卵性という類似性を活かして知明の名を騙り、日記に書かれた記録の断片をちらつかせることで見事に私を信じ込ませることに成功した。  俊明は日記に書かれていたとおりの私の不遜な態度にはじめはどのように復讐しようかと考えたらしいが、震災のあとで連絡をしなかったことを私が素直に詫びたのを見て、もし私の心が変わっていたのなら許してもいいと考えを改め、陸前高田の街だった場所を私に見せたのだそうだ。  そこで私が滂沱の涙を流しながら亡くなった方たちへ手を合わせる姿を見て、弟の死を無かったことにしてまで自らが行おうとしている復讐は見当はずれなのではないかと思うに至ったらしい。  しかしすでに自分は知明だと名乗っている挙句、助手席に乗る私が好意を再燃させたような態度を見せ始めたことで良心の呵責に耐えられなくなった俊明は、全てを話すことを決意した、とのことだった。 「本当に申し訳ながったです。知明が死んだのは貴方のせいでないのに……」  深く頭を下げる俊明の姿を見ながら、ようやく混乱の収まり始めた私の脳が適切な言葉を探している。  もう、二度と会えない知明と本当によく似た男へかけるための言葉を。 「日記に書いてあったとおりです。私は知明さんを、その尊厳を侮辱してしまいました」  自分でも信じられないほど、するりと謝罪の言葉が溢れた。 「そして私の弱さを見抜いていた知明さんを結果として岩手へと帰し、津波で亡くならせたことも私に責任があります。本当に申し訳ありません」  私の頬を、今日だけで三度目の涙が次々と伝う。  本当は知明へ伝えたかった謝罪は、もう届くことはない。  そして今度こそ私は、最も愛した人を失ったのだ。  どうすることもできない後悔と喪失感が、狭い車内で私を襲っている。  目の前では、震える俊明が頭を下げ続けていた。  不意に、後部座席のドアが勢いよく開いた。 「パパ! 帰りにアイス食べたい!」  驚いて振り返った私を、ドアに手をかけたままの3歳ぐらいの女の子が目を丸くして見ている。 「知海(ともみ)、まずは、ただいま! あど、ご挨拶は?」  知海と呼ばれた女の子はぴょこんと後部座席に飛び乗ると 「かねこともみです。三歳です」  そう言ってから小さく頭を下げた。 「娘の知海です。知明がら一文字貰って、あどは知明が好ぎだった海の字を入れました」  涙をためた俊明が私を見つめていた。  そうか。  ため息が漏れる。  私はまたひとつ、失ってしまったらしい。  色々な感情がない交ぜになった私の目から、また涙が溢れ出す。  すると、知海が助手席の脇から小さな顔を覗かせた。 「……ねえおばちゃん、泣いでだの? どごが痛いの? あー、パパ、女の人泣がせだら、メッ! なんだがらね!」  私は愛しさのあまり、口を真一文字に結んだ知海を思わず抱きしめた。 「知海ちゃん、ええ名前ね。おばちゃんはね、色々あり過ぎて胸が痛いの。全部おばちゃんが悪いんやけどね」  知海は私の手をすり抜けると、何かをぶつぶつと呟いてから私の胸の間に小さな掌をそっと乗せた。 「痛いの痛いの、海の向ごうさ、飛んで行げ!」  そう言って一生懸命に手を動かす知海の顔は、真剣そのものだった。  私は、本当の意味で変わらなければいけない。  知明が好きになってくれた私や、初対面の俊明と知海がこうして健気に気遣ってくれる私は、誰にも偽らざる本当の自分であるのだといつか胸を張れるように。  いつか私がトラウマにも似た過去の呪縛を断ち切ることができるように。  私は滲む視界の向こうにある海を見つめながら、知明を育み、そして奪った三陸の海に誓う。  知明の包み込むような優しさを私が受け継ぎ、これから出会うであろう人たちに掛け値なしの優しさを与えると。  そしてその優しさが誰かへ繋がることで、知明という素晴らしい人間の遺志をこの世界に遺すのだと。 「おばちゃん、痛いの良ぐなった?」  何度も手を振り続けた知海が、軽く息を弾ませながら笑顔を向けている。  頬が自然と緩むのが分かった。 「うん、ありがとう。知海ちゃんのお陰で全っ然、痛くなくなったわ。ほんまに知海ちゃんはパパに似て優しいんやなあ。お顔もめっちゃ可愛いし、こんなエエ子見たことないわ!」  知海のお団子頭を優しく撫でながら、私はそっと涙を指でぬぐう。 「おばちゃんの言葉、なんか変だよ。テレビさ出でる芸人みだいだ!」  はにかんだ笑顔を見せた知海が、照れたように窓の外に目を向ける。  そのいつか見たのと同じ真っすぐな視線の先には、陽に照らされて青く輝く三陸の海がただ静かに佇んでいた。
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