「ありがとう」を言うまでループする世界

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 殴られたように頭がガンガンと痛む。 「いてぇ……」  頭を押さえて蹲ると、手から滑り落ちたペットボトルが地面を転がっていく。  繁華街だけあって、さっきから人通りは多いのに、誰一人として転がったペットボトルにも、蹲るオレにも、目をくれなかった。  無常にも通り過ぎて行く人々を避けながら、転がっていたペットボトルを拾い上げる。  元の場所に戻って来ると、どこかの店の外壁に寄り掛かる。  大きく息を吐き出すと、脱力して座り込んだのだった。 「また、ここに戻って来たのか……」  尻ポケットからスマートフォンを取り出すと、画面には「七月三十一日、十一時三十二分」と表示されていた。  ここに居るという事が、どういう意味を指しているのかわかっている。  また失敗したのだ。  前回の七月三十一日で、誰にも「ありがとう」を言わなかった。  だから、最初に戻ってきたのだ。 「グランドオープンは明日の朝十時から! 場所は……」  その時、近くの道路を宣伝カーが通り過ぎて行った。 「明日か……」  虚しくなってそっと呟く。  オレに八月一日はやってこない。  この、七月三十一日から抜け出せないからだ。  初夏を過ぎた頃、交通事故に遭い、大怪我を負ったオレが目を覚ますと、自分の身に不思議な現象が起きている事に気づいた。  それは、「一日一回、感謝を伝えなければ同じ日がループ」というおかしな事象であった。  適当に礼を述べてはダメなようで、ある程度、心から礼を述べなければ意味がないらしい。  ただ、どれくらい心から礼を述べればいいかわからず、この現象に気づいたばかりの最初は、この法則に気づく事さえ大変であった。  そんな曖昧な基準のせいで、オレはいつも苦労してループを回避していた。  日付が変わる二十三時五十九分までに、誰でもいいから心から礼を述べる。  適当に言っても、機械的に言っても駄目だ。  一日を終わらせて、次の日を迎える為には、「ありがとう」を言わなければならない。  それがオレに課せられた日々の課題。謂わば、ゲームで言うところのデイリーミッションでもあった。 (とは、言ってもな……)  他の人に混ざって、繁華街の雑踏の中を歩きながら考える。  さっきペットボトルを落とした時に、誰も拾ってくれなかったように、なかなか礼を述べる機会はない。
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