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公認命名士との会話
昨日は欝蒼とした気持ちで眠ったのに、学校へ近づくに連れて嘘のように気持ちが晴れていった。珍しく母と衝突がなかったせいもあるだろうが、やはり今日の面談に対して期待や高揚が強かった。しかし通学途中で昨日立ち寄ったきありく亭が目に入った途端、ついその時の心持ちまで思い出してしまい、午前中は落ち込み立ち直りまた沈む、と誰にも気づかれず一人心中の海で怒涛の航海をしていた。
昼休みは一人だった。一人で食堂を使うのは気が引けてしまい、パンを二、三個買うだけで適当に済ませることにした。部活のミーティングに行っていた有名人が案外早く戻って来たので、少し待っておけば良かったかと思ったが、当の本人はまるで気にせず、話をしながら食堂で買ってきた弁当を頬張っていた。
午後の授業も難なく終わり、放課後になった。
写真を撮って来い、という有名人を軽くあしらってから面談用に設けられた部屋へ向かう。普段は学校の来客用に使っているらしいが、この時期だけ公認命名士との面談の為に解放される。
トイレに寄っても時間が余ったので、面談室前のベンチになっているスペースに座ってスマートフォンをいじっていた。しかし、何をどうしてもそわそわが収まることはなかった。
やがて、とうとう面談の時刻になった。
ドアをノックして、中へ一声かけた。すると穏やかな女性の声が返って来た。
「二年三組の乙川仁です。失礼します」
更に一声添えてから部屋のドアを開けた。
面談室には、聞こえてきた声のイメージ通りの人がいた。少し明るい髪の色と小柄な体格のせいで一瞬子供っぽく見えもしたが、主張しすぎないメイクとしっかり着こなしているスーツ姿が和していて、月並みな感想だが大人の女性という印象を受けた。
「こんにちは。どうぞ掛けてください」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。コーヒーは大丈夫かしら」
「はい」
脇に備えてあったポットでインスタントコーヒーを淹れてくれた。緑茶は苦手なので有難かった。
「砂糖とミルクは?」
「砂糖だけもらえますか」
紙コップのコーヒーを差し出すと、女性は居直って名刺を一枚渡してきた。名前にはプリントと違ってルビがふってあり、初めてこの人のフルネームを知った。
僕は何かの冗談かと思った。
思わず二度三度、読み間違えたかと名前を読み直した。
「改めまして、公認命名士の垣と申します。お話を伺って、乙川仁君の納得してもらえる新名を考えるので、よろしくお願いします。私も気になることは質問していくけれど、仁君も気になることがあれば何でも聞いてください」
「あの――この名刺のお名前は、その、本名なんですか?」
悩んだ末、思い切って確かめることにした。
「ええ、本名よ。公認命名士の垣かき紅華呼くけこと言います」
失礼だと思ったが、どうにも二の句が継げなかった。有名人たちの話を聞いて勝手にハードルを上げていたのだろう、公認命名士を謳う人でもこういう名前を付けるのかと、期待感が抜け落ちていった。そして「良い名前がつけられるはずがない」という母の言葉がフラッシュバックした。
僕の表情か態度から何かを読み取ったのか、垣さんはニコリと笑ってから言った。
「良かった、ふざけた名前だと思ってくれる人で」
「はい?」
「私の名前を面白がったり、個性的だと褒めてくれたりする人に名前の重要性を説明するのが大変なのよ。あなたは、そういう感性は一般的みたいだから助かるわ」
「いえ、別にふざけているとは思ってないですけど」
勿論それは嘘だった。だがこちらの思ったことをそのまま言われてしまい、咄嗟に取り繕った。慌てていたので如何にもしどろもどろな受け答えになってしまった。
「なら、やんわり言って違和感を持ってくれる人で良かったわ」
「…」
慣れた口調で上手い事まとめられてしまった。この部屋に入って間もないのに、すっかりこの人のペースに乗せられてしまったのに気が付いた。
しかし、決して名前のようにふざけている人でなく、羽入先生のよう流れ作業の一つとして仕事をするような人ではないということは直感した。
「じゃあ早速、一緒に名前を考えていきましょう」
「よろしくお願いします」
「既に先生と保護者の方からの候補は出来ていますか? あれば教えて欲しいのだけれど」
そう言われて用紙とペンを渡されたので、上から順を追って候補の名前を記入していった。
「両親からは孝文、担任からは将太郎と候補を貰いました」
「そう。では私が候補を出せば、後は君が選ぶだけね――けれど、中々大変そう。あなた他の二つの名前に納得してないでしょう? というよりも名前を変えることに納得してないんじゃないかしら」
怖い事を言われた訳でもないのに心臓が跳ねた。
「――何でそう思うんですか」
「腐っても命名士になって十余年ですからね。期待してもいないし、浮かれてもいない。名前を迷っている様子でもなかったから」
またしてもズバリ言い当てられてしまった。僕は自分で思っている以上に考えていることが顔や仕草に筒抜けで出てくる人間なのかもしれない。
「そうですか」
「それでどうかしら? 納得してはいないの? 名前が変わることに」
「――はい」
「もし良かったら、この高校に入った理由を聞いても良いかしら?」
「母の勧めです」
「ということは、仁君本人ではなくてお母様が名前を変えたがっているという事ね」
「――はい」
少し目を反らして返事をした。
「なるほどね。じゃあ今度は君が質問してみて」
「え?」
「名前を変えるのに納得していない理由を聞かせてもらったから、今度は仁君が私に聞きたいことはない? かわりばんこに聞きたい事を聞いていきましょ」
そう言われても即座に出てこなかった。ふと、昔に疑問に思った記憶をぽっと思い出したので、的外れかも知れないが関係がなくはない質問を考えた。
「あの、これは自分で調べろって話ですけど」
「構わないわ」
「この高校生の名前を変える制度って、何故出来たんですか?」
予想外の質問だったのか、垣さんは「そうね」と前置きして言葉を選んでいる。街角でアンケート調査をしている調査員が持っている様なクリップボードを伏せて答えた。
「この名前を変えるという制度――正式には『不満足氏名改定制度』と言うのだけれど。所謂ところのキラキラネームを始め、個人の名称に対する不満足性を早期的に解決・解消する目的として、九年前に東京都と一部の地方自治体が試験的に実施したのが始まりね。知っているとは思うけど、今では全国的規模の制度になりつつあるわ。社会的責任や信用が掛かる手前の年齢であること、一応の分別が付く年齢という事が加味されて基本的には高校生と大学生が対象ね。掻い摘んで言えば、名前に不満を持っている人間が増えてきたことに対しての早期的な救済措置と言うのが分かり易いかしら」
「まあ、大よそは分かり易かったです」
概要はいつかニュースで見たり、聞きかじったりした内容そのものだ。
「良かった。じゃあ今度は私から質問します。何か部活には入っている?」
「将棋部の――一応は部長です」
「あら、そうなの?」
意外そうな声を出したので、念のため補足する。
「二人しかいなくて、もう一人が一年生だから必然的に僕がなってるだけです」
「残念ね。面白いゲームなんだから、もっと人がいてもいいのに」
「指せるんですか? 将棋」
「勿論。とはいっても嗜む程度だけどね」
綿密な調査をした訳ではないが、僕が雑感で思っている限りだと、女性で将棋を指せる人は稀だと思う。身近に将棋が指せる人がいるというのは、それだけで何か嬉しい気になる。
そして質問合戦は続く。
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