公認命名士との会話

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「じゃあ、今度は仁君からどうぞ」 「そうですね。今、おっしゃってましたけど、名前を変えたがる人ってそんなに増えてきたんですか?」 「そうね。年々増加傾向にあったのは事実ね。けど、当然だけど名前はそう簡単に変えられるものじゃないの。家庭裁判所に出向いて手続きをしなければならないのだけれど、余程の理由がないと改定は認められないわ」 「余程の理由っていうのは?」 「肝心なのは名前のせいで社会的に不利な環境になってしまうかどうかという点ね。例えば難読な漢字でほとんどの人が正しく読めない場合とか、芸能人や凶悪犯罪者と偶々同名になってしまうケース、他の人と同姓同名になってしまって困るっていうのは有名人じゃなくても起こり得るわね。他には宗教的な事由で改名を望むという理由も少なくはないわ。因みに改名は十五歳以上であれば、家庭裁判に自分で申し立てること自体は可能よ」 「成人以上とかじゃないんですか? なら高校で変える必要はないんじゃ」 「申し立てができるだけで認められるかどうかは別問題だからね」 「卒業と同時に全員が必ず名前が変わるのもどうかと思いますけど」 「だからこその試験的実施という事よ。強制的に執行した方がいいのかどうかね。この高校みたいな学校は全国に増えてきてはいるけれど、嫌ならそこに入学しなければいいだけだから」 「半ば無理やり入って来る奴もいますけどね」  自傷気味に言った。言い終わった後に失言だったかと、垣さんの方を見た。  しかし垣さんは顔色を変えずに言う。 「――気休めかも知れないけれど、仁君のような生徒は結構いるわよ」 「それは、親が改名させたがっているという事ですか?」 「ええ。『不満足氏名』と言ったでしょう? 満足していないのが本人だけとは限らない。名付け親が改名したがるケースもとても多いの」  また疑問が湧いた。垣さんの話は聞くほどにこちらが続きを聞きたくなるような言葉が散りばめられている。  「どうしてですか? だってその人たちが付けた名前なんですよね。それで満足していないっていうのはおかしくないですか?」  僕の場合は母親が離婚した前の旦那に付けた名前をどうにかして変えたいという理由があるが、それ以外にどんなケースがあるというのだろう。 「起こって良い事ではないかも知れないけれど、事情や環境や価値観というのは変わってしまうものだから一概におかしいとは言えないわね」 「それは…どんな訳があるんですか?」 「例えば名付け親の――一言で言えば勉強不足と認識の甘さ。自分の付けた名前がこれほどまで読み辛いとは思わなかったとか、性別が分かり易い名前を付ければ良かったとかね。もしくは悪い意味を持つ漢字を知らずに使ってしまったり、読み方が別の熟語になってしまうのを指摘されて知った――なんて相談は多くあるわ」 「そういう普通の名前の相談も受けるんですね」 「勿論よ。そもそもそういった相談を受けるのがメインの仕事なのよ。そういう人は、次に名前を付ける時にとても臆病になってしまう人が多いから、相談を受けて、場合によってはこうやって名前を考えるの」 「大変、ですね」 「どんな仕事にも苦労と楽しさはあるわ。学校生活だってそうでしょう?」 「ええ、まあ。けど、命名士さんの仕事の楽しさって想像できないんですけど」 「そうね。仕事上、名前をこれでもかと言うくらい沢山見るのだけれど、それで世の中の流れが掴めるのが面白いと思ったりはするわね」 「世の中の流れ?」 「ええ。その時代によって人気の名前の傾向ってのがあるの。例えば、そうね・・・一九四〇年代の男性の名前は勝、勇、武とか戦いを連想させる名前が多く名付けれるのだけれど、理由は分かる?」 「…戦争ですか?」  垣さんは頷いた。 「そう。戦争に勝つことを願って付けられたのでしょうね。けれど、その後の五〇年代に入ると今度は茂、豊、実とか繁栄をイメージさせる文字が流行りだすの。文字通り敗戦からの復興ということだと思うのだけれど。この傾向は安土桃山時代とかにも言えて、有名な所だと上杉謙信、武田信玄や織田信長みたいに名前に『信』の文字を使う武将が多く出てくる。これは――飽くまで想像だけれど、人を裏切ってでも名を上げて自分を誇示しようとする時代だったから、人を信じる事を大切にしてほしいって願いがあったのかも知れないわね」 「その時代に求められているものが名前に反映されやすいって事ですか」 「更に言えば、求められていても易々と手に入らないもの、かしらね」 「今もあるんですか? そういう傾向は」 「あるわよ。キラキラネームなんて呼ばれたりしながらも、結局は人間の営みですもの。因みに何だと思う?」 「何だろう。全然思い付かないですけど―――――女の子だと愛とか心、とかですかね。イメージは」 「正解よ、女の子の場合はね」 「じゃあ男の場合は?」 「男の子の場合は傾向として、空、海、風みたいな自然を連想させる名前が多くなるわ。機械化、都市化、ハイテク化で遠ざかったものなのかもね。人間関係が希薄になるなんて言われているから、愛や心も同時に求めている」 「けど、易々とは手に入らないんですよね」  そう言うと、垣さんは何故か申し訳なさそうに笑った。 「なかなか面白いでしょう? 名前の話一つ取っても」 「はい。面白いです」  僕は素直に頷いた。 「こういう民俗学とか文化人類学みたいな話は平気?」 「苦ではないです――いえ、聞いてみて興味を持ったんで好きなんだと思います。多分」  その通りだった。そしてそれ以上に公認命名士という職種と今それを仕事としている垣さんに強い興味が出てきていた。 「なら興味を持ってみたところで、他にも聞いてみたい事はある? 名前について」 「なら、そもそもキラキラネームみたいなものが出来始めたのも、何か理由があったりするんでしょうか?」 「そうね。今でこそ話題になったりしているけれど、キラキラネーム……私の立場上は『不満足名称』と呼ぶけれど――この不満足名称での問題っていうのは昔からあったのよ。少なくとも明治時代には新聞に掲載されるくらい問題視されたこともあるし、遡って行けば鎌倉時代にも既に珍奇な名前に対する不満を綴った文献も残っているわ。単純にメディアが進化して外国のことでも隣近所のように知られるようになったから、より身近に感じているだけよ。例えば未成年の犯罪者が増えているなんて昨今では思われているけど、少年犯罪率は年々減少しているから、データ上はむしろ今の若者の方がモラルがある訳だしね。とは言っても、不満足名称自体が多くなってきているというはその通りで、それに対して世間の関心も強まったというのは、あなたが今実感しているとは思うけど」 「まあ、そんな意識からできた改名制度なんでしょうけれど――ですけれど、そんなに世間知らずと言うか適当に名前を付ける親がいるもんなんですか?」  そう聞くと、垣さんは強く否定した。 「それは勘違いよ。適当とか非常識に思える名前が多いかも知れないけれど、ふざけたり不真面目に名付けしている人はいないわ。大多数が自分の子供の名前なんですもの。それが一般に受け入れられ辛いだけ」 「名付ける人と常識が一致してないってことですか?」 「理由の一つにはなるわね。けれど今言った通り悪意を持って名前を付ける人なんて稀だし、むしろその逆。夢や希望を持って名付けるのが普通なの。それはさっきも言ったわよね?」 「その時の世相を反映するって話ですよね」 「そう。何度も言うけれど昔と違って、今の時代子供に名前を付けるのは基本的にその子を産み、育てる人が付けるんだもの。いい加減な料簡で考える人なんてごく稀の話。ただ名前が及ぼす影響も性質も知らないだけ。人間なんだから間違えることもあるし、自分自身の制御がきかなくなるなんてのは誰にでも起こり得る。それが偶々子供に名前を付ける場面に発露してしまっただけ。それが名付け親の教養の無さや常識の欠如にイコールで結びつけて考えるのは間違いよ。何年か前にあからさまにネガティブな名前を子供に付けようとして、問題視された保護者がいたけれど、それだって『そのネガティブな名前に負けない人間になってほしい』というその人なりの願いがあった。経験のある人なら分かると思うけれど、何の理由もなかったり、意味を無視して人の名前を考えるなんて、まず不可能な事なのよ」 「今の話でちょっと気になったんですけど、垣さんの言った名前の持つ意味を知らないって何のことですか」  垣さんは僕を見てニコリと朗らかに微笑んだ。 「ああ、それはね」  そして変わらぬ声音で言う。 「名前は世の中で一番身近な『呪い』だという事よ」
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