公認命名士との会話

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「今の例え話は名付け親が「正しさ」を求めている場合の話だけど、最近の傾向として親が子供に一番求めているモノって何か分かるかしら?」 「何だろう―――『個性』とかですかね」 「正解。仁君、頭良いわね」  褒められたことは嬉しかったが、それよりも話の続きを急かした。 「いや、それよりも『個性』が求められるとどうなるんです?」 「思うに子どもに個性を求める、その現代の傾向の負の側面が如実に表れたのが、つまりは不満足名称なのよ。不満足名称を細かく分類すると『人名にふさわしくない名前』、『日本人としてふさわしくない名前』、『当て字や分割読みをする読めない名前』、『漢字の使い方が不適切な名前』の四つがあるんだけれど、いずれも大多数に共通するのは個性的であるという点ね。じゃあ、何でこういった不満足名称が生まれるかって理由なんだけど」  垣さんはまたコーヒーを一口飲んだ。 「誰しもが口にするように、やっぱり時代が変わったというのが一番大きいのでしょうね。特に全体主義的な文化から個人主義に移行してきたということがとてもね」 「個人主義ですか?」  また込み入った話になる予感がした。 「ええ。けれど日本って国そのものは、今言った通り全体主義的な文化も根強く残っているから余計に混乱している、というより矛盾を抱え込んで苦しんでいる――って私は感じているわ」 「申し訳ないんですけど、また例えてもらってもいいですか?」 「言い方は悪いけど、子どもを――いえ、人間を所有物と考える人が増えてきているという事かしら」 「所有物」  思わずその単語だけを反復した。思い当たる節があった。というよりも思い当たる節しかなかった。僕は再び母の事を思い浮かべていた。 「昔は終身雇用が当たり前の社会だったけれど、今ではそんな企業は稀でしょう? それどころか就職氷河期とか派遣切りなんて当たり前に言われている。派遣切りなんて正しく人間を物扱いしているような名称で、憤りや寂しさや不安を感じる人は多い。けれど、これは資本主義の成果であって、実際に生活が豊かになっている訳だから、一概に悪いとは言えないわね。それで本題だけれど、親が子供を所有物扱いして名前を考えたらどうなるか―――子供の事を蔑ろにするようになる訳ではないわ、場合によってはより親身になる人もいる。ただ子どもとの関係が濃くなるの」 「濃くなるのは良い事ではないんですか?」 「悪いイメージを持たれている『呪い』にも良し悪しがあるように、何にでも同じことが言えるわ。ずるい言い方かもしれないけれど」 「という事は、関係が濃くなることの悪い側面があるってことですよね」 「そして、今は悪い側面が浮き彫りになっている訳ね」 「ぐ、具体的には?」 「再三言っているけれど、名前が呪いであるなら呪いの構造上、子どもに個性を求めるって事は、裏を返せば名付け親が自分自身に個性を求めていることになるの。そうなった場合、名付けという行為は自分の個性的センスを主張できる絶好のチャンスになる。難しくて煌びやかでジョークとウィットに富んでいればいるほど、そんな名前を考えた自分は個性的な人間だってことになる。仮に自分の理性が働いたとしても、自分の子供は一個人ではなく、所有物であると無意識的な認識があるとそのまま命名してしまう。不満足名称をつけるのは名付け親に常識や創造力がない訳じゃなくて、そういう認識があるから―――というのが私なりの分析ね」 「けど周りの人間が止めたりは――っていうのはダメか。個人の問題になんだから口を出すなって言われるのがオチですね」 「そうね」 「ならそもそも、役所とかで止められないんですか?」 「難しいでしょうね。別に違法な事をしている訳ではないし。良心的な職員がいれば止めるかもしれないけれど、別の役所でなら受理されてしまうだろうし、そもそも止めない人の方が多いのよ。所詮は他人の事、揉めたりしたくないのが本音だからね」  垣さんはため息を一つ洩らし、渋い顔になった。ひょっとしたら、かつて命名の事で悶着があったのかもしれない。 「でも、いくら何でも、読めない字だってことくらいわからないもんですか? 流石にそれは馬鹿すぎるかというか」 「もちろん、そこまで世間知らずだったり非常識な人達ばかりという訳じゃないわ。いくら個人的な問題と言っても、不満足名称がここまで社会的関心を集めて問題視されるようになったのは、世間が名前っていうのは公共的な性質を持っていると知っているからじゃないかしら、自覚無自覚は問わずね。だから本当の問題点は名前の公共性がなくなってきているからと思った方がいいかもしれない。そして、その背景には資本主義やコマーシャリズムの標準化がある。子供の名前が最初に呼ばれる環境は、実際には幼稚園や学校や病院が主で、子供の名前が読めずに批判の声が上がったりするんだけれど、保護者の立場からすれば自分たちはその施設を利用している、つまりはお客さんであるわけ。お客さんなら子供の名前が読めないのは店側が努力して改善すればいいと思う――ここがおかしいといえばその通りだけれど、今の日本の現状を鑑みれば店側の努力を当然と思ってしまうのは仕方ないわ。もしも店側が努力しなければお客さんが離れていくから、店側は努力せざるを得ない。こうして悪循環が生まれる。結果として不満足名称に歯止めがかからなくなる―――ああ、これもね、私個人の見解だから」 「はい」  またも釘を刺される。が、言いふらそうにも言いふらせない。 「それに不満足名称が問題視されているのは日本だけじゃないしね」 「そうなんですか?」 「アメリカやヨーロッパでも社会問題になっているわよ。あまり大事にはなってないけれどね。少子化と一緒でいずれは世界共通の社会問題になるかも知れないわね――けれど私は、日本の場合はもう少し込み入った理由があると思っているの。日本ならではのね」 「日本ならでは?」 「もっと正確に言えば日本語ならではかしらね。日本語の表記には大きく分けて三つあるでしょう? カタカナとひらがなと漢字の三つね。ここが味噌なんだけれど。日本語っていうのは日本古来のヤマトコトバと中国漢字の二つの言語が合わさって出来ている、いわばハイブリット言語なの。語感や発音に関してはヤマトコトバ由来の要素が多いんだけれど――言霊ってものは知ってるかしら」 「聞いたことは…」 「要するに私が『赤い』と言ったら、仁君は頭の中に赤色を思い浮かべる事ができるでしょう? 前の話を借りて言えば声を使って相手に呪いをかけてるんだけど分かるかしら」 「はい」 「じゃあこうしたら?」  垣さんは適当な紙の裏に、ボールペンで大きく『赤』と一文字書いた。  途端に脳内に赤色が滲むように再現された。 「頭の中には赤い色を思い浮かべられる?」 「はい。つまり目から入って来る呪いですよね?」 「ええ。字なんて只の鉛筆の線でしかないのに、同じように呪いをかけることができる。私は言霊に対して『あざたま』って勝手に呼んでるんだけれど」 「あざたま? ってどう書くんですか?」  耳慣れない言葉にイメージが湧かなかった。垣さんは例によって紙の裏に丁寧な字で『字霊』と書いた。そう書いてもらったら、漠然とだが意味を理解したような気がした。つまりこの感覚が字霊なのだと思った。
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