将棋仲間との会話

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将棋仲間との会話

 あくる日。今日は午後から教職員の全体会議があるせいで授業が午前中しかなかった。長田くんも折角だから早く帰りたいといい、僕も僕で午後に色々と予定を作っていたので部活は休みになった。 学校が終わると一目散に懇意に利用している将棋サロンへ向かった。中学生の頃、将棋仲間が欲しくてあれこれと思案した末、子どもの頃よく家族で来ていた複合型スーパーの一角にあったこのサロンを思い出して通い始めた。未だに気が向いたときに、こうして顔を出して将棋を指している。  ここは最初に「将棋サロン」というものをイメージした時に思い描いた通り、年寄りが利用客の大半を占めている。もう少し都会の方には十代の客もいる将棋サロンもあるらしいが、ここしか知らない僕にとっては都市伝説のようなものだった。だが、最年少という訳でもなく、近隣の中学生や小学生がルールを習う程度のレベルで通ってきている。尤もそれも三、四人の話だ。  学校の教室を三つ繋げたくらいの広さがあるサロンには長机が均等に並べられており、その上にはまたも均等に将棋盤が配置されている。  昔を知っている人の話では、僕の住むこの市もどんどん少子化のあおりを受けているらしい。そうなるとどうしたって人が足りなくなるので、ここのサロンでは将棋の他に囲碁、チェス、オセロなどのボードゲームなら取りあえず良しという感覚で人集めをしている。入り口にはボケ防止に効果的、だとか友達を増やしてみませんか、といったような文句を並べたポスターが張られ、集客に必死なのが見て取れる。事実、いつ来ても三分の一が埋まるのが精々だった。それでも元々は将棋一本で営業していた時からの常連もそこそこ数が多く、一先ず将棋を指す分には相手に困ることはなかった。  入り口のガラス戸を押して入ってすぐ右側、観葉植物を背にして壁に寄り掛かるように座っているお爺さんが一人いた。その人は笹川九兵衛さんといって、ここの古参常連の一人で、僕が一番お世話になっている人だった。  受付で料金を前払いすると、真っ先に九兵衛さんの真向いの席へ向かった。 「明けましておめでとうございます、九兵衛さん」  声に反応した九兵衛さんは、よう、と右手を挙げて応えてくれた。 「おめでとさん。元気にしてたか」 「ええ、何とか」  九兵衛さんは八十を過ぎているとは思えないほど活力のある人で、言葉使いは少々乱暴に感じる時もあるが、時折同年代と思うこともある。それくらい闊達な性格をしている。 「学校は始まったのか?」 「はい今週から」 「そうか。どうだ、調子は?」 「可もなく不可もなくって感じです」 「不可じゃないなら良しだ」  そう言って九兵衛さんはにかりと笑った。  その流れで対局を申し出ると、約束もないからと了してくれた。 「九兵衛さん、今日は角落ちだけでお願いします」 「お、どうした? 冬休みに修行でもしたか?」 「そんなところです」  普段九兵衛さんと指す時は二枚落ちで戦う事が多いが、それでもまず勝てない。とは言っても六枚落ちで手も足も出なかった時期に比べれば成長は実感できる。こう言っては何だが、この人は本当に化け物染みた強さがある。  僕が強気に出たのは単純で先日、古川先輩と一局交えた時、負けはしたが思った以上に善戦できたのが理由だった。 「じゃあまず、お手並み拝見」 「お願いします」  パチン、という音が耳に入ると、少し離れたグループの話声がシャットアウトされた。  いつもは黙々と将棋を指し、喋ることはあまりない。だから九兵衛さんが話しかけてきたのは意外だった。 「そう言えば、名前が変わると変わらないとか言う話はどうなったんだ? もう変わったのか?」 「いえ、まだです。でも来月には変わっちゃいますね」 「今の名前、何て言ったっけ?」 「仁ですよ。乙川仁です」 「そうそう。いつも坊主としか呼ばねえから忘れちまってた。で、新しい名前は何て言うんだ?」 「今、悩んでます。というか、候補が三つあるんですけれど、あと一つは来週にならないと分からないんです」 「来週に教えられて、来月まで決めろってのも酷な話だな」 「まあ、仕方ないですよ。生まれた日付次第ですから」 「そもそも、学校は言ったヤツ全員の名前を変えるってのが無理矢理な話なんだよな。ま、国のやることに無理矢理じゃないものなんてないか」  そこで会話が一度終わった。今日の九兵衛さんは喋っても問題ないだろうと思い、僕も話を切り出してみた。 「九兵衛さん。僕に個性ってありますか?」 「どした? いきなり」 「いえ、友達とか周りの人間がやたら羨ましく見えてしまって」 「例えば?」 「そうですね。勉強ができたり、スポーツで全国大会に行ってたり、恋人が居たり、将棋が強かったりとかですけね」 「羨ましく見えるのと、個性とは別の様な気もするがな」  九兵衛さんは首の後ろあたりを掻きながら言った。 「それはそうかも知れないですけど」 「例えば個性ってのはさ、同じ字を書かせてそれぞれ特徴が出るようなもんだろう。書いてみて読めないのは論外だし、上手い下手は別の問題だ。字が上手くなりたいなら練習するしかないし、最初から上手いのはそいつのセンスとかであって個性じゃない」 「はい」  九兵衛さんは一度打つのを止め、腕を組んで考え始めた。小さい唸り声がこちらにも聞こえてきた。やがて、「そういえば」と前振りをしてまた喋り始める。 「名前の話で言えば最近は個性的と称して、とんでもない題名の映画とか小説とかが増えてるだろう?」 「そうですね」 「ああいう妙ちくりんな名前は、個人的には好ましいとは思わないけど、付ける側の気持ちは分からなくはないんだ。世の中色々なものが溢れてきてるから、一々中身まで確認してる余裕なんてのはない。なら題名でもって注目を引こうとする。目立たない事には評価はされないから」 「人間の名前だってそうですよ」  クラスメイトの名前が頭に浮かんだ。昨日の垣さんとの話でも、昨今の名付けの一番の関心点は個性的かどうかという点であると言っていた。  けれども九兵衛さんは「それは違うぞ」と、首を振って僕の言葉を否定した。 「ああいうのは、中身がはっきりしてるから個性的の一言で済むんだよ。人間みたいに中身が分からんものに奇抜な名前を付けたって無駄さ。奇抜は奇抜であって個性じゃない。それに人間の中身だって結局はあやふやで分からないものだ。そういう連中がいう個性ってのは要するに『目立ちたい』を別の言い方にしているだけだからな」 「目立ちたいか…」  それは的確な表現だと思った。僕が友人たちに距離を置いてしまうのも、結局は比較され、自分の程度の低さが露呈してしまうのが嫌だからなのかもしれない。 「ただな、坊主くらいの年の頃はそう思うくらいがちょうどいいのかも知れないよ。他人と同じは嫌だってのは、俺も通ってきた道だ。そう思うから得意な事を見つけようと勉強したり何かを練習したりしたもんだ。だから個性を求めること自体は悪い事じゃないのさ―――それに、個性がないと落ち込んでるみたいだけど、少なくとも将棋の指し筋は個性的だよ」 「悪手かどうかが分からないだけですよ」 「そうだな、悪手かどうか分からないのが一番厄介だ。場合によっちゃ好手を打たれるより不安になる」  九兵衛さんは僕が何手か前に打った桂馬を指差して言った。 「例えばさっきのこれは、こうなる事を見据えて打った手か?」 「いえ。こっちの銀をけん制しようと思って打ったんですけど、角のこと忘れてて失敗だったかなと。今となっては銀と飛車が止められているんで、結果オーライかと思いますけど」 「つまりさ、これがお前さんの個性じゃねえのか?」 「どういうことですか?」 「さっきまでは、確かに悪手だなと思ってたんだよ。けど坊主が言った通り、今となってはこいつのせいで少々攻めにくくなってる。もしこれが人生だったらどうだ? あの時失敗したと思ったものが、今振り返って見れば意外な役に立っている」 「でも…それは偶然じゃ」  ペットボトルのお茶を一口飲むと、九兵衛さんはキャップを固く絞った。ぎゅうぎゅうに蓋を閉めるのは久兵衛さんの手癖だ。 「偶然じゃないよ。偶然ってのは将棋指してて一番言っちゃいけない言葉だよ。俺は精一杯考えて打っているし、坊主も考えて打っている。この桂が活きるように打ったってだけだ、偶然も必然もねえよ。そりゃあプロ棋士だったら、有る程度は予め考えて打っていたかもしれないけどな」 「…」 「俺が思うに個性っていうのには初めっから個性だった個性と、後から個性に仕立て上げた個性の二種類あるんだ、きっと」 「個性に仕立て上げた個性、ですか」 「型に嵌りたくない、なんてのは若い奴なら尚更思うことかもしれないけど、それでも型ってのは大事なんだよ。そもそも、日本人ていうのは型に嵌るのが大好きな人種だろう? やれマニュアルだ、常識だ、暗黙のルールだと言って、みんな同じ、出る杭は打たれるってそう言う国じゃないか日本ってのは」  九兵衛さんは腕組みをすると何かを思い出したようで、空を見ながらつぶやき始めた。 「『型の出来ていない奴が芝居をするとカタナシになる。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになる。そしてその型を作るのは稽古しかないんだ』って言ってた落語家が昔いてな。俺はそいつの事は嫌いだったんだけど、言動は破天荒で好きだったんだ。この言葉も言葉だけなら言い得て妙だと感心してるし。坊主の場合の型破りは、この桂だな」  僕は桂馬を見た。  何となくだけれど、ほっとした。
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