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クリスチャンとの会話
駅についた頃には、日が暮れはじめていた。
待ち合わせの場所はここから二駅先の場所であったが、少し余裕があったので歩くことにした。平日の夕方という時間にしては、駅から伸びるアーケードには人がごった返している気がする。僕はその人込みの中を縫うように進む。何故か途中の信号機の全部に引っかかり、思った以上に時間がかかってしまった。それでも待ち合わせには三十分程度の間があったので、本屋に寄ることにした。
入ってすぐに漫画と小説の新刊をチェックした。が、特に気になるものはなかったので、通路の隅にポツンとある囲碁将棋の専門誌コーナーに向かった。
適当に手に取った雑誌をパラパラ捲っていると不意にどこからか声を掛けられた。
「ヒトシ」
空耳かと思って雑誌に目を戻すと、再び名前を呼ばれた。
「こっち、こっち」
今度は声の出所が分かったので素直にそちらを見た。するとあと三十分後に待ち合わせをしているはずのルツさんが、悪戯に半身を隠しながら手招きしていた。
ルツさんは日本の大学に交換留学とやらで来ている大学生だ。父の店の間近にある大学の学生で、コーヒーを飲んでいる時に、たまたま店にやってきた彼女を父に紹介された経緯で仲良くなり、時には英語を教えてもらったりもしていた。しかし交換留学の時期が終わり、来週にはアメリカに帰ることになっている。今日はささやかながらお別れ会をするつもりでの待ち合わせだった。
「ルツさん、早くないですか」
僕は頭に浮かんだ台詞をそのまま口に出した。
「それはヒトシもだよ」
「僕は本を見るつもりで来たんで、別にいいんですよ」
「ワタシはヒトシが本屋にいるだろうなと思っていたからいいんだよ」
「待ち合わせ時間を決めた意味ないじゃないですか」
「だってヒトシがいる保証はなかった」
「確かに、そうですけど」
「ワタシ、間違ってない」
僕を論破したルツさんは誇らしげに胸を張った。
物腰や口調は柔らかいのに、とても芯が強いのがこの人だ。僕の知り合いの中で一番、人は見かけによらないという言葉を実践している。どうしたってこちらが引くしかないので、押されるままに負けを認めた。
「じゃあどうしますか? もう行きたいってお店にいきますか?」
「大丈夫、予約したから。だから本を見てみましょ。みたいでしょ」
「まあ、見たいですけど」
「なら見よう」
そう決められたので大人しく従う。それにこの提案は有難かった。暇つぶしで寄った本屋であったが、探したい本があったのも事実だった。
大よその当たりをつけて本を探そうとしたが、ルツさんも後を追ってくるので立ち止まった。
「何でついてくるんですか?」
「? 一緒に見るからですよ」
「ルツさんも適当に雑誌とか見ればいいじゃないですか?」
「二人いるんだから、二人で見よう」
「一人じゃないと見辛いですよ」
「エロいヤツですか?」
「違います」
「じゃあ、いいじゃない」
いつも通りの流れのままに、仕方なくルツさんと連れ立って気になっている本を見に行った。はじめに寄ったのは学校の図書館では消化不良だった名付け本のコーナーだった。流石に比べるまでもなく豊富に取り揃えられていたので、手始めに置いてある中で一番分厚い本に手を伸ばした。
「ヒトシ、赤ちゃん出来たの?」
とんでもないことを言ってきたので慌てて否定した。
「違います。今度名前が変わるんで気になっただけです」
「そうだった、忘れてた。何て名前になるの?」
「まだ分からないです。来週出揃うんで、その中から選びます」
「もうアメリカにいますけど、分かったらすぐに教えて?」
「メールはしますけど、すぐにですか?」
「すぐに」
ルツさんは力強く頷いた。
「何でまた」
「名前入りの何か送るよ」
あっけらかんと笑顔で言ってきた。
途端に何故だか恥ずかしくなってしまい、顔を逸らした。
「…ありがとうございます」
「あれ? 嬉しくない?」
「いや、そういうプレゼントって貰ったことないんで、どうすればいいのか分からないです」
「アクセサリーにするから付けてよ。写真も送って」
「善処します」
「ゼンショ? 分からない」
「できるだけ頑張るって事です」
「絶対送ってよー」
やんわり断ったのに倍になって返ってきた。そう騒ぎながら過度なボディタッチをしてきたので、すぐさま手の平を返して宥めた。
「分かりました分かりました、送りますから」
「よし」
そしてルツさんは、また満足したように笑うのだった。
「もう少しいいですか?」
「いいよ」
それから二十分ほど気になるタイトルが目に留まった本を取っては戻しを繰り返した。いつの間にかルツさんも自分の見たい本を読み漁っていたので、構わず一人で本を探した。
学校の図書館で調べたのと同じく、名前と呪いに関しての本を粗方見終わると、最後に個性について書いてある本を探し始めた。
「やっぱりこういう自己啓発本だよな」
個性という文字を前面に押し出した本がズラリと並んでいる。本の帯ではどこかの大学の教授やテレビタレントが笑顔でコメントを載せていた。手当たり次第に斜め読みをして、十数冊のうちから一冊選んで買ってみることにした。
他で確保した本と合わせて四冊あったが、いつか貰った図書カードのあまりがあったので財布とは大した相談もせずにレジに並んだ。何となく他人にタイトルを見られたくなかったので、全ての本にカバーをかけてもらった。
会計を済ませてルツさんを探そうかと思ったが、既に入り口前の話題の新作コーナーで待っていてくれた。
「お待たせしました」
「待ってないよ。さ、行こう」
とは言っても件の店の予約は余裕を持って取っていたので少し時間があった。
どうするのかと思っていたら、ルツさんが提案してきた。
「私もちょっと寄っていいかな?」
そう言われて僕に拒否権などある訳がない。ルツさんは確かな足取りで歩き出した。てっきりどこかのファンシーショップとか服屋にでも連れて行かれるのかと思いきや、ゲームショップに躊躇いなく入って行ってしまった。ここは有名人に付き合って、一度だけ入ったことがある。意外にゲーマーなのかと思っていたら、店内の商品にはわき目も降らず奥の方へとずんずん進んで行く。
奥には中身のよく分からないマニアックな内容のガチャポンのケースが並び、そのすぐ隣に下へ続く階段があった。地下もあるのかと考えていたら、ルツさんは軽快なテンポで降りて行ってしまった。
地下は一階のスペースよりも少しだけ狭く感じた。
扱っているのはゲームはゲームだが、カードゲームのコーナーだった。
ガラスのケースに一目見ただけでも圧倒される量のカードが所狭しと並んでいる。デュエルスペースと立札のある奥にはテーブル席があり、対戦に勤しんでいるグループが幾つかあって、それぞれが盛り上がっている。他にも熱心にばら売りされているカードを一枚一枚確認しては、気になるカードを買い物かごに入れている人たちもいた。僕はともかく、ルツさんはとにかく場違いに思えた。事実、何人かは選定中の彼女を見て、驚いたような顔をしている。
僕の小中学校でもこの手のカードゲームは流行していた。というよりも高校になった今でも続けている奴もいる。人気のあまり学校に持ってくる生徒もいて、禁止のお達しが出たこともあった。その時配られたプリントを見た母が心底、馬鹿馬鹿しいと言った記憶がある。
ルツさんはガラスケースの前で止まると、目を輝かせながら中の商品をチェックしていた。
「ルツさんってこういうカードゲームやるんですか?」
「うん。最初はお兄ちゃんが好きで、練習を一緒にしてるうちに私も好きになっちゃたの。アメリカでできたんだけど、世界で初めてできたトレーディングカードゲームなんだよ、これ」
「へえ」
「日本語訳ともちろん英語もあるから、最初はこれで日本語勉強したんだ」
好きなものを別の形で活かせるのは羨ましいと思った。僕は今のところ、将棋をやっていて将棋以外で役立った経験はない。
幽かな鼻歌交じりにカードを見るルツさんがあまりに楽しそうだったので、ルールすらわからないのに一緒に眺めていた。何百枚のカードがずらりと並んでいる。きっと何かの法則に則って並んでいるのだろうが、詳しくは知れない。上から順々に見ている中、ふと目に入ったカードの値段を見て驚き、二度見にしてしまった。
「何ですか、このカード」
「ん? あぁ、タルモね…」
「一万二千円って、これ一枚でですか?」
「そうだよ」
「0が一つ多いんじゃ…いや、それでも高いですけど」
「多いのは0じゃなくて1だよ。ホントにこのタフネスプラスイチっていうの消してくれないかな」
ルツさんは全く意味の分からないことを呟いた。
他にもこれに勝るとも劣らない値段のカードがいくつもあり、得も言われぬ怖さを覚えてしまった。そのあとはルツさんの話に適当な相槌を打って時間を過ごした。お目当てのカードがあったらしく、慣れたように店員に話しかけてガラスケースから商品を取ってもらうと会計を済ませた。ポイントカードを持っているということは、当然ながら常連客なのだろう。
ゲームショップを出ると、丁度いい時間になっていた。
この先にある路地の中に隠れるようにある甘味処で何か甘いものを食べるというのが、今回の趣旨だった。
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