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暖簾をくぐり予約してある旨を伝えると、すんなり席へ案内された。
A3用紙一枚分の品書きを見ると、和洋問わずの甘味の名前が並んでいた。
僕は念のため一通り目を通したが、迷わずあんみつを頼むことにした。が、ルツさんはメニュー表を何度も目で往復し、頭を抱え込んでいる。何とか二つの候補に絞れたようだったが、ついに決められず決定権をコインに預けた末、抹茶パフェを注文することにした。
やがてそれぞれの品が運ばれてきた。するとルツさんは手を組んで、英語でお祈りを始めたのだった。
ルツさんは今のところ僕の知人の中で唯一のクリスチャンだ。ウチは一応は曹洞宗の家系で、母はお盆の時に迎え火を焚いたり、僕に精霊棚を作らせたりと、時たま変な所で仏教的なこだわりを見せるが、熱心な信徒であるわけではない。
完璧に聞き取れた訳ではないが、この食事とその時間を与えてくれたことに感謝をするような内容のことを呟いていた。そしてお祈りが済むと、とびきりの笑顔で頂きますと言った。
「そうだ。はい、これあげる」
そう言ってルツさんは小さな袋を差し出してきた。小袋にはさっき立ち寄ったゲームショップのロゴが印刷されていた。開けてみると、中にはルツさんが好きだと言っていたTCGのカードが一枚入っていた。上半分はイラスト、下半分はそのカードの効果のテキスト欄になっているのだが、それがまた何とも不思議なイラストだった。
顔に影の掛かった男が、運転免許証が連なったような紙を垂れ下げて持っている。その紙がイラストの枠を飛び出してテキスト欄に被ってしまっている。そのせいで効果の文章がぎゅうぎゅうに押し込められるような形で書かれていた。
「何ですか? これ」
「さっきのカードゲームのカードだよ。あるとは思わなかったけど、今のヒトシにぴったりだったから買っちゃった」
「どこら辺が?」
「下のテキスト読んでみて。英語たくさん教えてたでしょ?」
実際、大した英単語は使われていなかったので難なく読めた。
「…要するに、自分の好きな名前になっていいってことですか?」
「そう。ぴったりでしょ?」
ルツさんはケラケラ笑うと、またパフェを頬張った。
二人とも食べ終え、食後のお茶を飲んでいる中、ルツさんはまた喋り出した。
「それにしても、名前が変わるって日本は面白いをやってるよね」
「名前が変わるのとは違うかもしれませんけど、アメリカ…っていうか、キリスト教でも洗礼名とかあるじゃないですか。ルツさんにはないんですか?」
「ないよー。洗礼名がつくのはカソリック。ワタシはプロテスタントだから洗礼名はつかないの」
あっさり否定された。
僕はへえ、と相槌を打ってから質問をしてみた。
「なんで、その二つだと違うんです?」
「んー、難しいな。英語で説明して良い?」
「僕が分からないですし、ふと思いついただけですから、別にいいですよ」
「ヤダ。せっかくヒトシが聞いてくれたんだから、日本語で頑張る」
「じゃあ、お願いします」
「んとね、最初はカソリックの方しかなかったんだけど、それが嫌になった人たちがカクメイ――であってる?」
「合ってますよ」
「良かった。で、カクメイを起こすのね。だから簡単に言うとカソリックのやってることが嫌になっちゃった人たちがプロテスタントになってカクメイを起こして分かれちゃったの。マルティン・ルターって学校で勉強したでしょ」
「ああ、それがそうなんだ」
いつか習った世界史の教科書の内容が蘇った。
ルツさんは続ける。
「そう。だからカソリックが洗礼で名前を付けてたから、プロテスタントでは付けないの。プロテスタントの人達は聖書に書いてあることをしっかり守ろうって考え方で考えるから。聖書には洗礼名をつけなければならないって書いてないからね」
「プロテスタントの人達は何が嫌になったんですか?」
「ワタシはその時生まれてないから分からないけど」
「そりゃそうでしょ」
あまりにも真面目な顔で言ったので、思わず笑ってしまった。
「一番ダメだったのがindulgenceになっちゃったからじゃないかな」
「インドルジェンス?」
「うん。良い事をお金で買うって日本語で何て言うの?」
「ちょっと分からないですけど――要するに免罪符みたいなことですよね」
「それかな? お金で罪が軽くなったり、天国に行くためにお金を払って宝物を見たりしているのが変だって言って、ルターがそれを九十五個まとめた紙を教会のドアに打ち付けたの」
「打ち付けた? 貼りつけたとかじゃないんですか?」
「ううん。釘でガンガンって」
「すごいな」
「有名だよ。カレンダーの絵とかにもなってるし」
ルツさんはスマートフォンを取り出すと画像を検索して見せてくれた。画面には確かに言う通り、群衆に見られながら自分の背丈より少し小さい紙を壁に打ち付けている男の絵が出ていた。
「本当だ。金槌持ってる」
「でしょ」
「ちょっと話が戻りますけど、カトリックの人達はなんで洗礼名をつけるんですか?」
「プロテスタントはね、聖書に書いてある事だけを信じてそれを実行すればいいんだけど、カソリックにはさらに続きがあって生きているうちに良い事をい
っぱいしなきゃいけないの。カソリックの教えでは人間は死んだ後に煉獄ってところに行って、生きているうちした悪い事の分だけ苦しむんだって。それでね、生きているうちに良い事をしておくとその苦しむ時間が少なくなるの。で、その時洗礼名を持っていると良い事を一つしたってカウントされて、もう一個良いことがあるんだって」
「何ですか?」
「洗礼名って普通は聖書の中の人物とか、昔の偉いクリスチャンの名前を付けるんだけど、それを持っていると煉獄にいるときに付けた名前の人がやってきて助けてくれるらしいんだよ」
「へえ、目印見たくなるんだ」
「けど、アメリカ人は普通の名前が聖書から取っている人が結構多いよ。というか私がそうだし」
「そうなんですか?」
「うん。ルツって旧約聖書に出てくる人の名前だよ」
聞けば日本人が連想するアメリカ人の名前のほとんどが聖書由来のものが多いらしい。尤も長い歴史の中で有名になった人物にあやかるパターンも多いので、皆が皆キリスト教の影響で名付ける訳ではないそうだが。
「ところでさっきさ、ワタシに隠れて何の本買ったの?」
ブロンドヘアーを手でかき上げながら聞いてきた。
「人聞きの悪い事を言わないでください。買う段階になったらどっかに行ったのはルツさんじゃないですか」
「で、何の本?」
「別に面白いものはないですよ。将棋の本と新書をちょっと」
「で、何の本?」
「いや、ですから」
「何の本?」
お約束ように押し負けて、大人しく買った本を差し出した。
「…これです」
ルツさんは四冊の本の中表紙を確認すると、
「ヒトシは個性が欲しいの?」
と、言った。
「欲しいというか、個性って一体なんだろうと思う事があって、いろいろ調べている最中です」
「ふうん」
「ルツさんだって自分の個性で考えたりはあるでしょ?」
「どうだろう。あんまりないかな」
今自分が悩んでいる事を、いとも簡単に否定された。なので、少々声が強くなって聞き返してしまった。
「自分の才能とか個性とかはやっぱり気になるもんじゃないっすか?」
「日本人の言う個性って、つまりは人との違いってことだよね」
「まあ、そうなりますかね」
「ヒトシが個性を欲しがるのも、きっと日本人だからだよ」
「どういう事です? アメリカじゃ個性は大事じゃないんですか?」
「アメリカは他の人と自分が違っていて当然だもん。スクールで同じクラスにいたって年齢も宗教も人種も違うし、ひょっとしたら国籍だって違う人がいっぱいいるんだよ? 他の人との違いなんて、ただ暮らしてるだけで勝手に出てきちゃうよ。けど、日本はどの学校だって同じじゃん。頭の良い悪いがちょこっと変わるだけで」
アメリカの学校の事情など、せいぜいドラマや映画で見る程度の浅はかなものであったが、イメージは湧いた。
「確かに日本の学校なんてどこ行っても大概は同じようなのですけど」
「だと思うよ。ボランティアで色んな学校行ってみたけど、どの学校だったかの記憶がごちゃごちゃになるし。けどね、悪い事って意味でもないよ?」
「そうですか? そこはアメリカ式の方が個性とかに悩まなくて良さそうですけど」
「個性は考えなくても良いかも知れないけど、アメリカの子供だってコンプレックスはあるし、それに違うからこその差別だってあるもん。それにね、どの学校でも大体一緒ってすごい事なんだよ? 例えばすごい良い学校が十点で悪いのが一点だとしたらさ、日本の学校は大体が六、七点でしょ? でもアメリカは本当に一点の学校がいっぱいあるの。先生がライセンスを持ってない学校だってあるし」
「それは洒落になってないですね」
「そうだよ。だから日本の学校もすごいの」
そもそもルツさんは教育関係の仕事をしたいという熱意のある人だったので、目の付け所が違うのも頷けた。地域の小中学校によく行っていたらしいので、様々な事を見て色々と思うことがあるのだろう。
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