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授業中に少しだけぼんやりとしてしまって、僕の目だけは黒板とノートを往復していた。若山は早々に女子のグループの輪に入り、教室を出て行った。気が付けばクラスの大半が学食か購買部に行くためにいなくなっていた。
ノートの書き写しが終わると律儀に待っていてくれた有名人が声を掛けてきた。
「今日の昼メシは?」
「僕は持ってきたよ」
「俺は学食だからさ、付き合えよ」
「わかった」
特に断る理由もなかったので、素直に誘いに乗る。有名人は週に2,3回の頻度で部活の昼ミーティングに顔を出さなければならないが、それ以外の時は大抵、僕と昼食を一緒に取ることが多い。
食堂へ入ろうとすると、有名人の足がすぐ脇の購買部へ傾いた。
「天婦羅パン一つ」
「太るよ」
「俺は部活で動くからいいんだよ」
と、有名人は購買のおばさんに百円玉を差し出しながら言った。
天婦羅パンとは、恐らくはこの高校の購買部でしか買えないであろう名物であり、その名の通りパンを天婦羅の要領で揚げた物で、パンが衣を着たカロリーの塊だ。餡子とクリームの二種類があって、ここの生徒の大半は興味本位で一度は食べるのだが、胸やけと胃もたれがひどいという理由で二度と食べないとなる奴と、それが癖になると言って好んで食べる奴の二つに分かれる。
そして僕は前者だが、時々後者になっては後悔する。
食堂はガヤガヤと賑やかだった。少々出遅れてしまったので、席に空きがなかった。
注文の列に並んでいる間、有名人は小腹を満たすかのように天婦羅パンを頬張ると、かつ丼とラーメンのセットを注文していた。食堂は何か注文した生徒しか利用できないので、僕はみそ汁を単品で注文した。
それぞれトレーを受け取ると、運よく先にテーブルを使っていた生徒と入れ替わる形で席に付けた。
待ってましたと言わんばかりに二人で食事を始めた。僕自身も早食いな方だと思っているが、それに輪を掛けて有名人は食べるのが早い。
有名人は、早くも半分を平らげた頃合いで喋り出した。
「あ。あとさ、相談したい事あるんだよ」
がつがつと丼から飯を掻き込みながらも有名人は器用に喋る。そして一旦箸を置き、ポケットから四つ折りのルーズリーフを一枚差し出してきた。
開けというので、言う通りにすると三通りの人の名前が書いてあった。
「なにこれ?」
「俺の新名」
「そうだとは思ったけど…ていうか、他人に見せちゃダメだろ」
「まあ、気にすんなって」
「それで?」
「だから、どうするか迷ってるんだって」
だからの使い方がおかしい、とは言わなかった。
「そう言われても」
「どうしようかな~」
箸を止めて悩んでいる僕を尻目に、有名人はあっという間に食事を済ませてしまった。
「俺、有名人って名前変えたいとはそれほど思ってないしなぁ」
「じゃあ、何でこの高校にしたのさ」
「家から一番近いからだよ。知ってるだろ」
そういうヤツだとは知ってはいたが、面と向かって堂々と言われると何となくため息が出てしまった。
「家が近いのは知ってるけど、そんな理由で選んだのは知らなかったよ」
「でも仁もだろ?」
「違うよ」
「そうなの? てっきり俺と同じだと思ってた」
「流石にそんな理由を決め手に高校は選ばないよ。只でさえ普通の高校じゃないんだから。というかそもそも引っ越したんだから近い高校じゃないだろ」
今更気付いたような顔をしたが、本心なのか冗談なのかの判断が付かなかった。
「なら名前変えたかったのか? 別に仁って普通だし、おかしいとは思わねぇけど」
「僕が変えたいんじゃなくて、親が変えたいんだってさ」
あまり名前を変えたい理由を人に話したくはなかったが、つい口が滑った。尤も有名人が相手ならどうと言う事はないのだが。
見れば、やはり僕の言う事が分かってないようだった。
「よく分かんねえな。元はと言えばその親に付けられた名前だろ」
「僕もよく分からないさ」
それは嘘だった。
親が僕の名前を変えたい理由は大方の検討が付いてはいるが、流石にこれまでは言いたくはない。先生にも、これから相談するであろう命名士とやらにも言うつもりはこれっぽっちもなかった。
「ま、それはそうと、どれがいいと思う? 俺の新しい名前」
良くも悪くもこういうサッパリとしているところが彼の魅了だろうと思う。こうでなければここまで親しい友人にはなっていなかったと切に感じる。
「それは自分で決めようよ」
「飽くまで意見を聞きたいんだよ。お前、俺よりも頭良いしさ、提出まで時間もないし」
「頭が良いとか悪いは関係ないと思うけど。というか、折角冬休みがあったんだから、そこでじっくり考えれば良かったじゃないか」
「折角の冬休みにそんな事考えていられるかよ。そうでなくても部活の前に部活して、部活の後にも部活で埋まってたのに」
そんな訳の分からない台詞を、有名人はやれやれ分かってないな、と言わんばかりの身振りで言うと、ずいずいとルーズリーフをこちらへ押し出してきた。
「それはそうとして、どうよ?」
「誰がどの名前を考えたの?」
「それは内緒」
「なんで?」
「その方が名前だけで選べるだろ。俺に合ったヤツをインスピレーションで決めてくれよ」
「そう言われてもね」
じっと真人、有一、陽輔とルーズリーフに書き並べられた三つの名前を見比べた。
そして、
「これかな」
と言って真人という名を指差した。
「そいつか」
「これが一番しっくりくるかな」
「これが? 何で?」
「字数が同じだからかな。呼んでみて語感がいいよ」
「ああ、そっか」
「それに、これが親が決めたやつなんじゃない?」
「何で分かったんだよ」
一応の根拠はあって選んでみたのだが正解したようだ。
「やっぱりそうなんだ」
「そうだけどさ…」
「じゃあ有一が先生が考えたヤツで、陽輔ってのが命名士のヤツかな」
それぞれを指差して尋ねた。元々半分の確立で当たりはするのだが、こちらも考え通りだったようで、有名人はいよいよ目を丸くした。この反応をみて、むかし聞きかじりの手品を披露して見せた時の事を思い出した。
「いや、マジで分かんねえ。何で分かったんだ?」
僕は昔と同じように、今回も素直にネタ晴らしをする。
「全く新しい名前を考えるんじゃなくて改名なんだから、やっぱり今まで使っていたのと呼んでみた時の語感の違いは気になるでしょ? 三文字なのこれだけだし、最後が「と」で終わるのも一緒だし」
ふむふむと、頷きながら聞いている。
「でもこっちの二つは?」
「いくら元担任でも他人の名前をガラリと変えるのは忍びないだろうから、前の名前から一文字残したんじゃない? 実際、大沼先生はそういう理由で新名考えるって聞いたし。親と公認命名士なら全然違う名前にするのは大義名分もあるだろうからガラリと変えるかなって思って。で、真人が親が考えた名前ってわかったから陽輔ってのは消去法」
「なるほどね」
「けど」
「けど?」
一瞬、言ってしまっていいものかと、葛藤が頭の中を駆け巡った。しかし、今更何でもないと誤魔化しても仕方ないので、勢いに任せて言ってしまうことにした。
「こう言っちゃなんだけど、有名人って書いてユメトって読ませる名前を変えるにしては大分普通に寄せてきたよね、有名人の両親」
「ああ、それな。昔から親戚とかに色々と言われてきて少し後悔してたんだってさ」
「へえ」
「俺は単純に家から近くて名前が変わるって面白いなって思ったからこの高校にしたのに、父ちゃんたち勝手に勘違いしてさ、中学ん時、ここに進学するって言ったのすごいショックだったって打ち明けられたよ」
有名人はケタケタと笑った。
途端に、僕は彼の事がひどく羨ましくなってしまった。
思えば有名人の家は、驚くほど家族の仲が良い。有名人の両親も妹も弟も良く知っているから、はっきりと言える。
「どした?」
「何でもないよ」
少々呆けながらも今度こそ、そう言って誤魔化した。感情が自分でもよく分かっていない感覚に陥っていた。
そして、まるで救われるようなタイミングでチャイムが鳴った。
「さ、予鈴もなったし、教室戻ろう」
そそくさと弁当を片付け、トレーを返却すると僕たちは速足で教室へ戻った。
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