プロローグ

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プロローグ

「人間一つくらい取り柄があるもんだ」  これは俺が中学生の頃に死んだ爺ちゃんの言葉だ。  その言葉は此の世の真理だと思う。  問題はその取り柄を、取り柄だと言える環境に恵まれるか否かという事だろう。  江戸時代の人間にパソコンの才能があったとしても、そいつは役立たずとして一生終えただろうし、反対に今の世の中で剣術の才能があったところでそれで暮らしを成り立てることなどは難しい。  そして俺の唯一、他の誰にも負けないと自負する取り柄というのは現代社会では到底役に立たない無用の長物だった。  ◇  そんな俺こと、清水山秋生(しみずやまあきお)の取り柄というのは『妖怪の知識が豊富』というその一点だけだった。  俺は妖怪が好きだ。何よりも好きだ。物心がついたころから、俺は妖怪の魅力に取りつかれていた。  子供の頃は、妖怪が少しでも出てくるような漫画やアニメの情報を仕入れると徹夜してでも全て網羅した。やがてそういった創作物に満足すると、実際の歴史に残っている伝承に興味を持った。  高校時代は部活も勉強もそっちのけでアルバイトに明け暮れ、まとまった金が入るとその類の文献書類を集めに集めては、ほくそ笑んで読み耽っていた。  大学では民俗学や神学にアプローチをかけて、学生ローンを組んででも日本各地の伝説の残る地や寺社仏閣に残る文献を見るために旅行に出かけていた。  気が付けば友達と呼べるような奴は一人もいなく、就職活動も失敗し、それでも懲りずにアルバイトで食いつなぎながらも、古本屋で妖怪文書を買いあさる三十路過ぎの男が出来上がっていたという訳だ。  世間一般に言わせれば、俺は立派な負け組になるだろう。  だが、そんな俺には幸運と思えることが二つある。  一つは当然、妖怪という存在を知り人生のほとんどを自分の心の声が求めるがままに費やすことができた事。  もう一つは、そんな素晴らしい人生を三十年そこらで終えられるという事だ。  ・・・。  ・・・・・・。  薄れいく意識の中、俺はそんな事を考えている。  だってそうでも考えないと、流石の俺でも惨めすぎるかなと思えてくるのだ。  身体に残った衝撃の余韻は俺が交通事故に巻き込まれたことを物言わずに語っている。痛みがないのはきっともう助からないからだろう。  不思議と死の恐怖はなかった。  腐っても人生の大半を目に見えない存在のために費やしてきたのだ。魂がどうなるとか、死後の世界があるのかないのかとか。そう・・・これは答え合わせのようなものだ。もしかしたら怨念みたいなものが残って、妖怪になれるかも知れない。  いよいよ視界がぼやけてきた。頭に酸素が回っていないのが実感できる。  ・・・。  ・・・・・・・。  これは・・・あれだな。  高校生の時に丸四日間徹夜して古文書を読んだ後に襲われた睡魔に似てる気がする。  ともすれば、あとは眠ってしまうほかない。  中有の世界に妖怪は居るのかどうか、そんなことに胸馳せながら。俺の眼は光を失った。
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