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9月のあの日、バーBitterのアルバイト店員のシノブにちょっかいを出してしまったことだ。
見た目が可愛かったのと、声がタイプだった。
この仕事をしていると、いやでも人の声に敏感になる。 渋い声をしていたり可愛い声の女性なんていっぱいこの業界にはいるから、気にもならない。
だが、あのシノブの中性的な声は久しぶりに興味が湧いた。 あの声で鳴かれたらたまらないだろな・・・と思ってしまったのだ。
しかも同じマンションに住んでいるなんて。
こんなにラッキーなことはないじゃないか!
もし付き合っても、同じマンションに元々住んでいれば、スクープされることも無いだろう。
実際男でもよくなってからは、ますます慎重に抱く相手を選んできた。 いちいち詮索されるのも、説明するのもめんどくさい。 本気で付き合う気なんて、最初から無いのだから最近はもっぱら金を払って抱いている。
だが、失敗した。
まだ自分の性的嗜好に気がついてないだろうと思って、シノブにちょっかいをかけたら、俺の行動がスパイスになって、あれよあれよという間に彼は男の恋人が出来てしまった。
二ヶ月経った今もラブラブのようで、しょっちゅうキスマークを鎖骨の辺りにつけて歩いている。しかも、声優としても本格的に歩み出すことになって、今では共演相手だ。俺の今までバレずにいた性的嗜好も、もうすでに数人の業界人にはバレている。 おまけに、仲良くしていたボイストレーナーの明石先生には告白もされてしまった。
完全に計画が狂った。
「吉木君、聞いてる??」
隣に座っている明石が俺の顔を覗き込んでいる。
「あ、すみません。なんでした?」
「今度のクリスマスの日のスペシャルラジオ、ゲスト出演で一月から放送始まる『探偵Rの苦悩』の宣伝してもらいますよって話」
「ああ、はい。俺一人だけですか?そのラジオのゲスト?」
「いえ、良一役のシノブ君とですよ。主役と準主役で」
「え?二人でですか?」
「そうです。この前先行カットを流したらネットでシノブ君話題になってるからシノブ君をラジオに出してみようって話だったでしょう!」
「ああ、そうでした」
「で、一人じゃ心細いっていうから吉木さんベテランとして一緒にお願いしますよって!」
「なんだか、俺の方がおまけみたいですね・・・」
「そんなことないですよ。吉木君主役!人気者でしょ!」
「はあ・・・」
「お待たせしました。ウォッカギブソンです」
明石の目の前にカクテルが出される。
目の前にはいつも穏やかなBitterのマスターが立っている。
「田中さん、遅いな〜」
明石が呟く。
そうだ。今日は事務所でのミーティングに明石が欠席したからこの時間に、バーBitterでMG事務所のディレクター田中と俺と明石で打ち合わせをしようということになったのだった。
基本声優の俺が打ち合わせに出ることはあまりないのだが、最近自分でも企画側に興味がある。だから後学のためにも積極的に出ている。
打ち合わせといっても、きっとただ単に酒が飲みたかっただけだろう。
打ち合わせの内容は、ほとんど昼間の会議の議事録で明石にも伝わっているはずだ。
「吉木君は、もう飲まない?」
明石が聞いてくる。
「あぁ・・・じゃあ俺もそれと同じものを」
「かしこまりました」
マスターが渋い声で答える。
「シノブ君、現場に馴染めてる?」
明石が聞いてくる。
「ああ、彼は愛されキャラ。
先輩声優たちに可愛がられているようですよ」
「そうですか・・・。よかったよかった」
「収録にも慣れてきたみたいで、最近は少しずつアドリブもするようになってきました」
「いいね~。やっぱりシノブ君にして、正解!」
「そうですね。彼は真面目だし素直だからきっと伸びますね」
「吉木君が、後輩褒めるなんて、珍しい」
「そうですか?俺って、どう見られて・・・」
「う〜ん。謎な人ってイメージじゃないかな?プライベートがあまり想像できない人・・・みたいな?」
「まあ、そうかも・・・」
「あ!でも俺はそう思ってませんよ。 この前も言いましたけど、俺は吉木君のこと信頼してるし。 絶対仕事に穴は開けないし現場の雰囲気も率先して作ってくれてるし吉木君がいる現場は笑いが絶えないから」
「そうか・・・ありがとう」
「いえいえ、本当のことでしょ」
そこに、さっき注文したカクテルがきた。
「ウォッカギブソンです」
一口飲んでみる。
なかなかキツイ。
でもさっぱりした後味で美味しい。
可愛いパールオニオンもおしゃれだ。
「明石先生、いつもこれを飲んでるんですか?」
何気に聞いてみた。
「最近の僕のお気に入りです。 前、マスターが僕に似合うカクテルをって作ってくれたんですよ」
ふふふと明石が笑う。
似合うカクテル・・・。
響きだけでもカッコいい。
マスターはあの声優界のベテラン、低音で甘い声と評判の霧島さんの友人だと聞いている。 友達がダンディーなら、出てくる酒までダンディーなのか・・・。
そんなことを考えた。
「あ、田中さんからラインだ・・・」
そう言いながら、明石がスマホを片手に店外に出て行った。
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