『森の大賢者』

2/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
 そう、弟子である青年・ダリオの目の前に今居るこの師匠。  彼こそが正真正銘、『森の大賢者』アイトール。  青年は『大賢者の弟子』であり、師匠は『大賢者』なのである。  普段であれば師匠であるアイトールが人々の話を聞き、言葉なり術なりで悩みや生活を助けていた。その身の回りの世話と手伝いをしながら、弟子である青年ダリオは修行を続けていた。  もちろん『森の大賢者』と言えどもタダで、とはいかない。  善意だけでは自分達の生活が立ちいかなくなるからだ。  恵まれている者達からは金品、宝石、書物、骨董品、食料、衣服、などの物質的なもの。何も持たないと嘆くものからは思い出話や日々の暮らしについてなど、その人にしか経験できない形のない物。  そういった様々な物と引き換えに『森の大賢者』と呼ばれた彼は人々を助けながら、自らの研鑽に励みつつ、日々を過ごしていたのだ。  今でこそ度は合っているのにサイズの合わない大きな丸眼鏡も、ずるずると引きずる服の裾も、長すぎるからとまくり上げた袖も、本来の彼にはピッタリの物だった。  大柄な弟子の前をゆったりと歩く『森の大賢者』の姿は、午前中に一度全ての相談を片付けた後に向かう街の中では、よく見かけられていた。 「そうはいっても、説明すれば分かって貰えると思うんですよ、師匠」 「……残念だが、我が弟子よ。その機会を奪ったのはお前自身だったと思うのだが」  うっ、という短い声をあげた後、ダリオは今度は壁ではなく床に自らつっぷした。先程まで同じぐらいの目線の高さだったが、突っ伏したことで低くなったダリオに合わせ、アイトールはしゃがみ込む。  そして穏やかな声色で、弾むように、その耳元に囁いた。 「元を正せば、お前が王様に、報告を仕損じたが故に、招いた事態ではあるまいか」  涙目で顔をあげてその顔を見れば、嬉しそうににこにこと微笑むアイトールがそこには居た。失礼なのは理解しているが、どうしても我慢できずに指をさし、震えながらダリオは呟いた。 「お、おにだ、し、師匠は正真正銘の鬼だ……!」 「何をいうか、オーガ族なのはお前だろう」  間髪入れずに呆れ顔でアイトールのツッコミが入る。  額に短いツノを一本生やすダリオは、確かにオーガ族の青年だった。身体が大きく、力も強いオーガ族は荒々しい者が多いのだが、それにしては珍しくダリオは穏やかで真面目で心優しく、見た目も悪くはないを通り越して、どちらかと言えば整った顔立ちをしている男だ。  だからこそ、力の強さではなく、持っている知恵で皆に慕われている『森の大賢者』アイトールに彼は憧れ、弟子入りをした。  それがまさかこんなにも、自身よりもよっぽど、鬼のように恐ろしい人物だと誰が思っただろうか。  何かを言い返そうとはしたものの、相手は小さくなろうと『森の大賢者』。  真っ直ぐすぎる正論に、返す言葉がみつかりません、と消え入るような声で返した。 「だろうなあ。しかし、お前は確かに私の一番弟子。修行はしてきたのだ、お前が応えよダリオ」  それだけ言うと、軽い足取りで再びパンの待つ机に戻って行ってしまった。 ―― 何故、こんな事になってしまったのか。  ダリオは美味しそうにジャムたっぷりのパンを頬張る師匠の姿をしばらく見つめたまま呆然としていた。そして見つめられている事に気付いたのか、手のひらでひらひらと、ジェスチャーでこちらを見るなと示される。  涙で歪む視界でもう一度、扉の隙間から外を見て、賢者の弟子は深いため息をついた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!