戦士の休息

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戦士の休息

「はー……いい湯だねぇ」  極楽極楽、と続けながら身体を流す為に用意されていた桶の中。小さな体の師匠は気持ちよさそうに弟子が適量を掬い上げた湯に浸かっていた。  勇者の方はまだ意識は朦朧としているようだったが、大人しく同じ桶の中で湯に浸かり、姿勢を保つ事は出来ていた。自身は大きな湯船につかりながら、その縁に置いた桶の中の師匠に、青年は不安げに語りかける。 「これで本当に大丈夫、なんですか?」 「なんだ、私のやる事に不安があるのか弟子よ」 「い、いえ、そう言う訳では……」  身体は小さくとも睨みつける視線の鋭さに、大きな身体の青年はひるんだ。  くくく、と笑いながら師匠はちゃぷん、と湯をかき交ぜてから穏やかに弟子の方を見た。 「まあ、気持ちは分からないでもない。説明が欲しいのだろう、違うか?」 「は、はい。出来ればお願いします」  ここまで自分一人で一所懸命に考えてきた、その事実を師匠であるアイトールは嬉しく思っていた。だからこそ、普段なら面倒くさがって伝えないかもしれないような、彼一人ではたどり着けない答えを与える事にした。  面と向かっては少々照れがあるのか、視線を外し手で湯をかきまぜながら、アイトールは語り始めた。 「王の持っているこの癒しの湯はな、『傷を癒す湯』として知られているが、『あらゆる邪に対しても強い効果がある』んだ」 「そう、なんですか?」 「ああ。だが、それがあまり知られすぎても悪用する者が現れる。だからこの事実は王族と……信頼された者しか知らないのだよ」 「……そ、そそ」 「そ?」  身体を震わせながらそしか言わなくなった弟子の方を思わず見れば、顔が蒼くなっていた。 「そ、そ、それは、私が知っても大丈夫な事なのでしょうか」 「……そもそも、駄目なら個々には通されていない。大体、魔王との戦いに勇敢にも向かった者だぞ。それを信頼しないでどうする」 「で、でも気が変わったりしたら」 「変わる予定でもあるのか?」 「ありませんよ!王族に逆らえるはずがないじゃないですか!」 「だったら問題ないじゃないか」 「……確かに」  悪い方向に考えすぎるのは悪い癖ではあるが、アイトールは弟子のそういう所が決して嫌いではなかった。面白がりはするが、一応宥める事もする。そのままにしておくと、小心者の弟子は想像だけで体調を崩してしまうのだ。 「だから、この湯にしばらく浸かっていれば、私も彼も術は抜けるさ」 「そんなに簡単に行きますかね」 「行くとも、それほどの湯なんだよ、ここは」  目を細めて穏やかに言う師匠に、何故、とは聞けなかった。  どこか悲しい目をして、遠くを見つめるようだったから。  青年は話題を変えるように、もう一つの気になっていた事を聞く事にした。 「ところで師匠」 「なんだ?」 「マルスさんはどうして無事だったんでしょうか」 「ああ、分かっていなかったのか」 「すみません、考える時間が無くて……」 「我々の命がかかっていたからだとは思うが、まあいい」  普段であれば「自分で理由を考える時間を与えるから考えてみなさい。その後に答え合わせをしよう」となる。だが、そんな余裕がなかった事は大賢者と呼ばれる彼には言われなくとも分かった。何より、頑張った弟子へのご褒美はもう少し与えても良いと思っていたのだ。 「私のかけた術があっただろう。効果が残っていたのではないかと思う」 「仮定、ですか」 「その辺りはもう少し調べる必要があるだろうな」 「そうですか」 「ああ、だがあれは、魔王に確実な一撃を与えている」 「空が晴れる程の……」 「ああ、そうだ、暗黒の空をも切り開くような一閃。あれには人々の純然たる願いと思いも込められている。周辺に霧散したわけだし、『勇者を救う事』に多少は使われても特段おかしくはないだろう」 「なるほど……」  弟子は瞳を閉じて、戦闘時の事を思い出していた。  そしてそこに、アイトールは付け足す。 「後はこいつが勇者として選ばれるだけの資質でもあるな」 「……はぁ」 「分かってないな? ようは元々耐性が強いんだ。そこに上乗せして戦っているから、私の術をかけた時の効果が、人より強かったのさ」 「……それで勇者として選ばれるだけの資質、ということですか」 「そう言う事だな。お前の身体が最初から普通の人より丈夫、みたいなそういうものだ」 「なるほど……勉強になりました」  弟子は今すぐノートをとってきてメモを取りたい衝動に駆られたが、そうはいかないので忘れないように頭の中に刻み込む。後で聞いた話はしっかりと残して置く事にしよう、と心に決めた時。アイトールが話しかけてきた。 「さて、これからどうする」 「え? 王様に説明を」 「どうして?」 「ど、どうしてって、必要だからですよ! このまま戦いで二人とも散った事にするつもりですか!?」 「そのつもりだが」 「師匠!?」  間違いを訂正するつもりだった弟子に対して、師匠はそれをなんでもない事のように言う。 「お前は魔王を倒してなお戻ってきたんだぞ。もう既に立派な『賢者』だとは思わないか」 「な、何を言ってるんですか!? それにマルク様はどうするんです!」 「こいつはしばらく使い物にならない」 「え」  勇者の名前が出た所で、師匠は真剣な表情で弟子に告げ話を続けた。 「術を受けていなければしばらく休むだけで何とかなっただろうが、おそらく元の生活が出来るようになるまでは時間がかかる」 「そ、そんな……」 「……資質があったとしても、あんな近距離で、何の防御も無く受けたら分が悪い。身体が無事なら何が壊れるか、なんてのはお前でも想像がつくだろう」 「え、でも師匠は……?」 「私には勇者としての資質はアレに比べて低くとも、魔術の耐性がある。それも、そっちの方はこいつに比べて強い。だからこうして、今もまともに会話が出来るんだ。……マルクの精神が元に戻るのは、かなり先だと思って良い」 「そう、ですか……」  元に戻らないかもしれない、という話を賢者はあえてしなかった。  哀しげな表情で桶の端に座りぼんやりとしているマルクを弟子が見つめる。 幼い頃から共に色々な事をしてきたアイトールも、複雑な表情を浮かべて彼を見つめていた。  しばらく間があいた後、師匠が先に口を開いた。 「……今のマルクを、勇者として世に出すのはまずい。誰かに利用されるかもしれないし、受け答えもまともに出来ないこの状態では、事実を捻じ曲げられる可能性も高い。だから、賢者も勇者も、あの戦いで散った事にした方がいい。生きている事を隠しその上で回復を待つべきだ」  真剣に説明するアイトールに、ダリオは静かにうなずいた。 「分かりました、お二人が生きている事は隠し通します」  師匠に倣い、静かに、そして真面目な表情で応えた弟子に、ニヤリ、と笑みが向けられた。 「そこでだ、私に考えがある」 「……はい?」  弟子はなんとなく嫌な予感がしながらも、その考えを聞く事になった。
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