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14話
八反田の法律事務所のパラリーガル椰山珠璃は柔道の有段者であり都大会でも優勝している。
現在はキックボクシングを趣味とし、『武田モータース』横に併設された『武田キックボクシングジム』のトレーナーにプロへの転向を促されているほどの実力の持ち主だ。
とはいえその素晴らしい筋肉は、スーツ越しからではよくわからない。
「………」
だがそれは今は牟田の気にするところではない。
「すまんね、椰山さん、よろしく頼むよ」
急ぎ白い社用車の助手席へと乗り込む。途端に椰山は滑らかなハンドル裁きで車を走らせた。
しばらく走った後、信号に引っ掛かったタイミングで三好は内ポケットから、カバーのない黒いスマホを取り出した。それを牟田に差し出す。
「これ、うちのプリペイド携帯です。今後はこれでご連絡を。先生が先手を打ってご用意くださってましたので。」
「聞いてるよ、ありがとう。助かる。」
牟田は三好の手からそのスマホを受け取った。
すると三好は自らの手をハンドルに戻しながら、形のよい唇を歪に曲げた。そして毛虫でも見るかのように牟田を横目で見遣る。
「まったく。牟田さんはいつでも他力本願すぎますよ。先生がわざわざご忠告してくださったのに。…身の程を弁えて勝てる勝負に挑むのが戦いの基本ですからね。」
八反田以外には決して懐かない三好の説教はしばらく続いた。
牟田は半笑いでそれを聞き流しながら自身のスマホの画面を開き、スマホを見ながらプリペイド携帯のダイヤルボタンを操作して通話ボタンを押す。
しかし公衆電話の後にかかる見知らぬ番号からの着信を、受け取ってもらえるはずもなく、牟田は即座に通話を切るとショートメールに切り替えた。
【牟田です。訳あって連絡はこの番号からお願いします。】
端的に入力して送信した。
すると五分とかからないうちに着信がきた。
『牟田さん!』
耳に当てたプリペイド携帯から聞こえてきたのは、切羽詰まった朋美の声。
「どうした?」
努めて冷静に、牟田は聞き返す。
『おばさんがっ、…沙織のお母さんがっ…うぅ、』
牟田と通話できたことで安堵したのか、朋美は電話の向こうで嗚咽を漏らした。牟田は内心動揺しつつも穏やかな口調で声をかける。
「井上さんに何かあったのか?」
『お父さんと喧嘩になってるって、でもいつもより酷いから怖いって沙織から電話があって、…おばさん、殴られてるかもしれないっ、私のせいで!私が変なお願いをおばさんに頼んだからっ!』
「落ち着いて。君のせいではないよ。それにそれは喧嘩ではないね。一方がもう片方に手をあげるのはただの暴力だから。そこにはどんな理由も介在しない。君のせいではないよ。」
『…うぅ、ううぅ…』
「でも、わかった。俺が見に行ってみるから。井上さんちの住所わかるか?」
『…はい。…住所は、』
会話の内容を察したのか、運転していた三好は一旦道路脇に車を寄せて、牟田が復唱している住所をナビへと入力し始めた。
「わかった。とにかく行ってみるから。…くれぐれも、自分を責めるなよ。大丈夫だから、」
『…はい。…ありがとうございますっ』
涙で濡れた言葉は聞き取りづらい。それでも懸命に話そうとする朋美の必死さが、現状の深刻さを物語っていた。
スマホの通話を一旦切り、牟田は隣の三次に視線を投げた。三好は前だけを見据えたまま、再び車を走らせる。
「すまんね、三好さん。とりあえず近所の人を装って警察には連絡するが、…間に合うかどうか、」
催促のようにチラチラ三好を伺うが、三好は牟田を見ようともしない。しかし、普段から凛としているはずの横顔が、いつもより若干険しく硬質な雰囲気を醸し出していた。
「間に合わせます。警察は動きが鈍いので我々が救助に向かいましょう。」
「…そうだね。」
三好は明らかに怒りを滲ませている。
牟田は半笑いのまま三好を見ることを止めた。
「………」
女だから。男だから。
そのような表現が差別に繋がることは多い。
しかし現実問題、性差というものはなくならない。事実として、男は女よりも腕力が強く、女は男よりも非力だからだ。
その差への抵抗心が、三好を格闘技へとのめり込ませていた。
それでもやはり男女差というものは埋められない現実。
「牟田さん、少々運転が荒くなるかもしれませんがご勘弁を」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう。」
引きつる笑顔で答えながら牟田は顎を引き、右手でシートベルトを強く握った。
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