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20話
そろそろ、この薄暗い駐車場から出発しようかとエンジンをかけた時、スーツの内ポケットのスマホが震えた。
取り出すが、それは三好に渡されたプリペイド携帯であるために、画面に表示されていたのは番号のみの通知。
それでも牟田は躊躇うことなく受信する。
「もしもーし、」
『俺だ。今どこだ。』
予想通り、電話の向こうは八反田だった。
急かされているとの自覚があったため、牟田は頭を搔きながら低い声で答える。
「あー、すまん。すぐそっちに向かう。三好さんたちはもう母子保護シェルターに着いたのか?」
『ああ、俺も今し方到着した。急げよ。』
「…了解。」
そして通話を切った。
そのままスマホを内ポケットにしまいながら、牟田はチラリとバックミラー越しに井上を見遣る。
「…この地区の母子保護シェルターにご案内しますね。」
そして改めて行き先を告げると、井上は力弱く頷いた。
※ ※ ※
母子保護シェルターとして活用されているアパート前には、既に数名の人間が牟田たちの到着を待ち構えていた。
三好、八反田、あとスーツを着た見知らぬ中年女性。おそらく施設職員だろう。
そして、もう一人。見覚えのある女性がそこには立っていた。
「…嘘だろ。」
その姿を目にして、牟田は思わず低く唸った。
フロントガラス越しに、その見覚えのある40代くらいの女と目が合って、牟田のハンドルを握る手に力が籠る。
あれは、末安雫枝だった。
「…なんで末安雫枝さんが?」
「わ、わかりませんっ、なんでっ、」
牟田の問いは誰かに対して口にしたものではない。だが後部座席の井上は、明らかに震える手で口を押さえながら顔を青ざめさせた。
その哀れな様をバックミラー越しに目の当たりにして、牟田は小さく舌を打つ。
「………くそ、」
牟田は、一旦、彼らよりなるべく離れた位置の駐車スペースに社用車を停めた。
そして後部座席を振り返り、可能な限りの微笑みを顔に張り付けて井上に言う。
「井上さん、できるだけ平静を装ってください。あそこにいる背の高い男は確実に我々の味方、弁護士です。…母子保護シェルターが安全ではないと判断されたなら、必ず別の施設をご案内しますので、」
しかし怯えに支配された井上の瞳は、末安雫枝のみを捉えて顔をひきつらせるばかりだった。
「………」
強い自責の念が、井上を追い込んでいる。
牟田は前を向き直すと、急いで内ポケットからスマホを取り出し、履歴から先程着信のあった番号へとリダイヤルした。
『なんだ。』
すると、こちらをじっと見ていた背の高い男が、ハンズフリーのイヤホンを着けているらしく、通話しながらこちらへと歩み寄る。
「八反田、何故そこに末安雫枝さんがいるんだ」
『…末安朋美が呼んだんだ。』
「はあ?…なんで、」
驚きのあまり、牟田は思わずスマホの画面を見遣り、通話を遮断した。そのまま苛立ったようにスマホを助手席に投げる。
もはやプリペイド携帯を使っての小細工など必要なかった。プリペイド携帯は、あくまで【クゥクーシカ】という未知の組織から依頼人を守るという名目だったためだ。
「……はぁ、そういうことか。」
牟田は腕を組み、ボサボサの黒髪をガシガシと搔きむしった。
その牟田の脳裏を掠めたのは一つの可能性。
「……そうか、」
末安朋美が真に知ろうとしていたのは、おそらく「母親が入れ変わった事実」ではない。
知りたかったのは、母親が入れ変わってまで家を出ることになったその経緯であり、そんな母親を手助けしたであろう人物の炙り出しだったのではないか。
(…俺たちは、まんまと彼女の策にハマったってのか。)
朋美は、母親の異変に気がつき探偵に調査を依頼した。そうすれば、未成年である自分は身元保証人を求められるに違いない。結果、母親のママ友であった井上の娘に相談できる。すると案の定、焦った井上が動き出した。
(…井上さんの指摘は強ち間違ってはいなかったのかもしれねぇな。)
朋美は、井上と雫枝の繋がりに気がつき、今も安穏と暮らす井上に嫌悪感を抱いたのかもしれない。
「………」
だからこそ、朋美は雫枝をここに呼んだのだ。井上の自責の念を更に煽るために。
(…初めから、ある種の確信があったのか。)
牟田はゆっくり目を閉じた。
眉間のシワが深くなる。
「………」
娘たちは、井上宛に雫枝から現金が送られたことを、知っていたのかもしれない。
「………そうかぁ、」
少女の、大人たちを罰して裁きたかった思いが透けて見えて、牟田は思わず唸り声を上げた。
(井上さんのご主人に現金がバレるタイミングがよすぎたんだ。あの時点である程度疑うべきだった。だが、…軽率すぎだ。)
もちろん朋美は異図していなかったのだろう。しかし、雫枝をここに呼ぶことは、同時に【クゥクーシカ】に井上たちの規約違反をバラす結果となる。
「…私たち、…どうなるんですか?」
黙りを通す牟田に不安を覚えたのか、震える声で井上が問う。しかし牟田はすぐさま答えることができなかった。
【クゥクーシカ】裏サイトは口外することさえ許されていない。なおかつ井上はそのアカウントを末安雫枝に譲渡したのだ。
「……くそっ」
今後井上母子の安全を優先するならば、一旦末安母子から隔離しなくてはならないだろう。
「八反田!」
牟田は運転席から降りると、足早にこちらへ向かっていた八反田に、怒鳴るような声を上げた。
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