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21話
手短に事の顛末を八反田に説明すると、聡い八反田は三好に連絡を入れた。
「井上さん親子のことはお前に任せた。とりあえず俺は末安雫枝をこの場から引き離す。」
「わかった。」
八反田は後部座席の井上を一旦車外に出し、牟田はそのまま社用車の運転席に戻ってエンジンをかけた。
そしてそのまま走り出す。
やがて三好と施設職員、末安雫枝の前に車を横付けし、牟田は運転席の窓を開けた。
「雫枝さん、…少し話せませんか?」
牟田はこの時初めて真っ直ぐ真正面から末安雫枝を見た。
建物からの逆光を浴びながら、雫枝はゆったりと微笑むと、
「構いませんよ」
淀みのない歩みで助手席側に回り、助手席のドアに手を掛けた。
※ ※ ※
外はすっかり夜が更け、道行く車のヘッドライトが助手席の雫枝の横顔を照らすのを、牟田は時折盗み見た。
雫枝は暗いだけの前をじっと見据えたまま、一度も口を開かない。
「………」
淀みそうな沈黙を乗せたまま向かった先は、町外れの寂れた運動公園駐車場。人気などはもちろんない。街灯もところどころで切れており、若者たちの間で心霊スポットになっているだけあってそこを漂う闇は深かった。
アスファルトの隙間から草の生える一角に車を停めてヘッドライトを消すと、車内は闇と一体化する。
牟田はハンドルを離して、運転席の背もたれに背を預けて大きく息を一つ吐き捨てた。
前だけ見ている雫枝はもちろん口を開かない。
どれ程の時間が流れた頃か。
「……!」
耳鳴りがするほどの静寂を引き裂くように、不意に大型バイクのエンジン音が谺した。
(……来たか。)
そしてバイクは何度かヘッドライトで牟田たちの車を照らした後に、横付けてきた。
エンジンを切ると、当然バイクのヘッドライトも消える。それでも闇に慣れた牟田の目は、隣のバイクをじっと見据えた。
バイクの人物がフルフェイスのヘルメットを外すと、闇の中でも光を掬うように美しい銀髪が流れ出る。
【クゥクーシカ】エージェントの女だった。
女はバイクから降りると、躊躇なく牟田の乗る運転席側に歩み寄り、ガラスをトントンと白く細い指でノックした。
女に向け、牟田は指で後ろを指差す。
女はゆったりと微笑み、迷いなく後部座席のドアを開けた。
「またお会いしましたね。」
「ああ、…そうだな。」
女は運転席の後ろの後部座席に乗り込むと、長い足を組み、バックミラー越しに牟田を見ては笑みを深くする。しかし牟田は一切その笑みに応えなかった。代わりに憮然と口を開く。
「単刀直入に聞くが、本物の末安雫枝はどこだ。」
「守秘義務がありますので、なんとも。」
「…お前たちの目的は何なんだ。」
「純粋に、人助けですよ。」
「お前たちの『人助け』の影で、どれだけの人間が救われない思いを抱えることになったと思ってんだ。」
「ふふ、」
刹那女は可笑しそうに笑う。牟田はミラー越しに女をねめつけた。そして低く言う。
「何が可笑しい。」
「誰かの救いが、同時に全ての人の幸せに繋がる筈がないでしょう。人の幸せなんて、往々にして大なり小なり、誰かしらの犠牲の上に成り立っているものですよ。」
「………」
「私どもは発注元のお客様が幸せになることを最優先に考えていますから、他への配慮は一切致しません。」
潔いほどの排他主義。
しかし利己的であると糾弾できるほどの正義感を、牟田は持ち合わせていなかった。
牟田自身、守れる範疇は両手を伸ばした程度のものだと考えている。その為に切り捨てなければならないモノの存在も理解はしていた。だからこそ、何も言えない。
女は頬を緩めたまま、言葉を紡ぐ。
「まあ、今回はこちらの不備で、安易に正体を見破られたのですから、全て不問に付して自主回収させていただきます。」
「…じゃあ、本物の末安雫枝は帰ってくるんだな。」
「あははは」
牟田の問いに、女は赤い唇をいっそう歪めて嘲るように声をたてて笑った。
「戻ることで得られる日常は、果たして昨日と同じ今日と言えるのですか?何故彼女が日常から遁走しなくてはならなかったのか。その問題が解決しもしないのに彼女に戻れと?…抜けた穴を埋めるだけの作業を続ければ、また同じことの繰り返しになるのでは?」
「それは当人同士の問題だろ。俺たちが関知すべき問題じゃねぇ。」
「確かに。貴方も大概には無責任ですこと。」
女は生理的に流れる涙を細い指で掬いながら、気だるく息を吐いた。
「で?お前たちの真の目的は何なんだ。」
牟田はそんな女の仕草を凝視したまま、表情を殺して静かに問う。
「何度も言ってますが人助けです。単純に、人類を救うための慈善事業ですよ。」
「……人類だと?」
「精神的にも肉体的にも人間が弱いのは生身だからです。生身だと弱いゆえに必ず悩むし必ず死にます。死こそが諸悪の根元。その解放こそが、我々の望み。だからこそ、…何度も実験を繰り返すのですよ。」
そして女は恍惚と微笑んだ。
その笑みをバックミラー越しに見遣る。そんな女の姿を神々しいと称える人間がこの世には大勢いるのだろう。
失笑が漏れる。牟田はゆっくりと視線を外して、フロントに映る無力な自分をじっと見据えた。
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