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静寂の森
見渡す限りの本棚と、紙の刷れる音。
艶やかなワックスがかった床は足音を響かせながら音を限りなく抑えようと歩く人の気遣い。
時の流れが遅くなるような感覚はそこの空気であり、それが堪らなく好きだった。
学校や街中の騒音から解放されて、誰の目も気にすることなく筆を追う。
時折聞こえる潜める声はおそらく小鳥の物で、カラカラと台車を動かす物音はきっと緑葉の衣擦れ。
邪魔するものはここにはいない、自分の世界をただひたすら堪能すればいい。
「あの、すみません」
小鳥が声をかけた。それが自分に向けられたものだと気づく、訝しげに顔を上げると残念ながら小鳥ではなく、左隣に何やら荷物を持って立っていたのはイヤホンを片耳外した男性だった。
「隣、いいですか?」
一瞬、眉を潜めた。
駅前の図書館、2階のテラス席のような空が見えて明るい特等席ならいざ知らず私が今いる席は一般の人はあまり来ない美術系のコーナーの最奥の席。
正面の壁には硝子がはめ込められていたが大きなケヤキで日も入らない。
テーブルには照明器具があるくらい、昼でも薄暗い。
男性は椅子の上にある私の鞄がいつまでも席を占領することに首を傾げた。私は戸惑いながらもそれを掴み、足元に置いた。
「ありがとう」
何と気無くそう呟き男性は隣の席に腰を下ろすと外していたイヤホンを着け直した。
それとなく後ろを振り向くと他の席はどれも埋まっていた。土曜ということもあって、人気の席はどれも埋まり、時間潰しのおじさまがたがいびきをかかないことをいいことに瞼を伏せている。
はぁ… 小さくため息をついて机に向き直ると読みかけの本を閉じた。
しかたなしに筆記用具とノート、教科書を開く。
折角の受験の息抜きが短時間に終わってしまったことを悔やみながら カチカチ と芯を伸ばした。
私は左利きだ。
クラスの隣の子とは鏡写しにそれを置く。
右から 教科書、ノート、その上に筆箱、ノート、消しゴム。
今日の授業で書いたノートをもう一冊のノートに教科書を参考に書き足しながらまとめていく。必須な単語は赤、次に重要な事柄をオレンジ、補足や先生の雑談は青。
色ペンを使い分けながらノートを作っていく。時おり左端に置いた消しゴムを擦り、シャーペンを滑らせると気がつく頃には外は暗かった。
毎日こんな感じだ。
学校が終わっても図書館に直行、学校が無い日はひたすら朝から晩までここにいる。
別に家に居づらいというわけではない。
母はパートで夕方までは帰らないけれどご飯の準備もしてくれているし、家事もしっかりこなす人だ。父も真面目だが子供の頃は休みの度にどこか出掛けようとする家族サービス旺盛な明るい人。
居づらいと言われれば結婚してもう二十年ともなろうというのに相変わらずの二人の仲の良さ…ぐらいだろうか。
未だに恋人気分の二人の間にいるのは一人娘の私にとって正直何とも言えないくすぐったさはある。
それはともかく、私は本が死ぬ程好きなのだ。
本だけでなく、この図書館という空間が。
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