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PEARL_1
────僕は、彼女と真っ青な空の下にいた。
「今日は良い天気だね」
「そうね」
彼女が笑った。こう言う日は、薬草がよく育った。僕たちは微笑み合って。手を繋いだ。山の、棚田の、麓が見下ろせる場所で。
僕たちは薬草を育てて薬を売っていた。彼女が作り僕が配達する。そう言う生活だった。
「雨期までは時間が在るから、それまでには育つと良いんだけど」
「そうだね」
雨期になると、雨が酷くて、特にこの一帯は洪水が起こる程だった。山が多く川の整備もきちんとされていないから。町へ行くとそうでも無いんだけれど。
僕たちの生活は町より山の麓のほうが合っていたから。
「今年も、早めに作って、猛暑に備えないとね」
僕たちの薬草は暑過ぎても寒過ぎても駄目だった。だから夏場は栽培用のハウスに日陰を作って冬場は出来るだけ暖めて。ここまでやっても、春の棚田で出来た収穫量には叶わない。去年もこうだった。
「……そうね」
村を俯瞰してた僕は彼女を見た。彼女は。
「それが、出来たら、良いわね」
笑っていなかった。
空虚な表情で、眼下に広がる景色を眺めていた。
僕は、このとき彼女に問い質すこともしなかった。
「───になります」
「ありがとう」
薬の配達。僕は村の人と笑顔で、金銭のやり取りをしながら言葉を交わす。いつもの光景。
「コレ、持って行きなさいよ」
「ありがとう。彼女、よろこぶよ」
花屋の店主に何本か花を貰う。小振りで、商品にならないからどうぞ、と。こんなときも在る。変化と呼べるようなものでも無かった。
「そう。それは……良かった」
花屋の店主の顔が一瞬曇った気がした。気のせいだろうか。……多分、違うだろう。
「……」
けれど僕は何も言わない。気付かない振りをする。
「薬、ウチにもちょうだい」
「毎度っ」
今度は布屋の店主に声を掛けられた。僕はそっちへ向かった。
「えっと、これとこれだから……───になります」
「あと、それも」
「畏まりましたー」
「あ、……ねぇ」
するりと、領収書を書く僕の腕に布屋の店主の繊手が絡んだ。僕はきょとんと店主の顔を見返した。
「今晩、どう?」
妖艶に、布屋の店主が笑んだ。そこへ僕が何か言う前に。
「彼、薬屋の彼女で手一杯だそうよ」
花屋の店主が割り込んだ。
「あら、花屋さん」
「彼、困ってるじゃない。放したら」
「困ってるの?」
間に挟まれた僕に、布屋の店主が尋ねる。随分と甘えた声色だ。僕は、にこりと笑顔を浮かべて。
「ううん」
返した。これに花屋の店主は気色ばみ布屋の店主は笑みを深くしたけれど。
「だって、断るのは決まっていたから」
「……」
「……」
続く科白に二人は微妙な顔をした。複雑、と言いたげだ。
この村には男性がいない。みんな、国の戦争に取られた、と聞いた。僕は余所者だったので、徴兵されず済んでいた。ゆえに、男性は取り合いになるのだと、彼女に言われていた。僕は、彼女以外に興味が持てないので遊ぶこともしなかったが、昔、ここに流れ着いた者の中には何人もの女性と関係を持った者もいたとか。凄いな、と思う。
「帰ったよ」
「おかえりなさい」
奥の部屋から、彼女が声だけで応答してくれた。調合中だったらしい。僕は荷物を置き、貰った花を花瓶に生けた。
しばらくして、彼女が出て来た。
「おかえりなさい」
改めて、彼女が言ってくれた。僕は彼女に花瓶を顔の横に持ち上げて、おみやげ、と笑った。彼女も微笑してくれた。僕はそのとき、彼女の手に見慣れない中身の小瓶が握られているのに気が付いた。
「なぁに、それ」
「うん、薬」
「へぇ。見たこと無いな」
覗き込んで、じっくり見詰めた、数粒だけのそれは、薬と言うより宝石のようだった。真珠みたいな、丸くて、光沢が在って……。
「うん。あなたには初めて作ったから……」
一瞬、“あなたには”と言う文言に引っ掛かりを覚えたものの、ふぅん、と僕は相槌を打った。と、彼女が僕に小瓶を差し出して来た。
「え、」
「飲んで」
彼女は静かに言った。僕は戸惑いながらも小瓶を受け取った。無理強いするみたいな押しの強さは無いのに、有無を言わせない迫力が在ったのだ。
「え、と……」
僕は中身の薬を取り出し、そして摘んだ薬と彼女を交互に見た。彼女は無表情だった。
「いただきます」
僕は刹那躊躇して、だけど彼女が僕に害成すようなものを与える訳が無いと思い直して口に含んだ。
「一年」
「え?」
「あなたが来て、一年になるの」
僕が薬を飲み込んでいる傍らで、彼女が唐突に話し出した。そうだ。僕がこの村に来て一年になる。結構長くいた気がしたけれども、そうでも無かったらしい。突然の話に、僕は更に困惑した。だけども、すぐにそんなどころでは無くなった。
「……あれ」
視界が、揺れた。
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